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初等・中等教育のデジタル化は学力を低下させる!

 これから述べることは、世の誰も指摘してしてはいない仮説{※日本語の見えないローマ字化、無意識のローマ字化}です。私の妄想、いや杞憂かもしれません、近年どことなく湧き上がってもくる日本の近未来像に思えてならないので敢えて語らせていただくことにします。
 
 これは、ジャーナリスト池上彰氏などが日ごろメディアで指摘していることです。周知のことでしょうが、あと10年もすれば、日本からノーベル賞受賞者は出なくなるというものです。
 
 その理由の一つは、大学の基礎研究における国家予算の激減ぶりです。国立大学などが独立行政法人化して、研究予算がバブル崩壊後、さらに小泉改革後、輪をかけて、研究分野への国の冷遇ぶりが目を見張るものがあります。
 2000年代に入り、ノーベル賞受賞者の数は、アメリカに次ぎ日本が2位である。しかし、その成果は、ほとんどが昭和の時代の基礎研究が実を結び、世界的評価として花開いた感が否めません。ここ10数年、<博士のワーキングプア>という用語に象徴されるがごとく、自然科学系の学生は修士課程どまりで、一般企業に就職する研究者の卵が増えているだけで、アカデミックの分野、科学の基礎分野では、博士課程に進む者は先細りとも指摘されています。
 まさしく、池上彰氏の予想通りに事は運びつつある雲行きではあります。
 
 それだけでは、ありません。OECDにおける国家予算の教育費に占める割合は、最下位との指摘もあります。そうです。日本の初等・中等教育は、公的費用で学力が担保されてはいない。<塾歴社会>という言葉に実態が現れてもいるように、教育の二重構造ともなっているのです。“権威の朝廷・権力の幕府”というものが、中世から近世にかけて日本社会を支配していた如く、学校では卒業証書、塾・予備校では学力を、大方の親御さんならお気づきの<教育二重構造>が、日本の教育の実態でもあるのです。これが、<教育格差>⇒<格差社会>のアクセルともなっている事情は、アメリカ社会と同類です。グローバル化、即ち、アメリカ化が日本でも教育の分野で進んでいる証拠です。
 
 高等教育では、特に、サイエンスの分野の研究者への予算しぶりよう、そして、初等中等教育においては、菅政権のうたい文句“自助・共助・公助”の上っ面らだけの標語の実態、いわば、「ほとんどは自助でやってくださいね!」=「真の学力は塾・予備校でやってくださいね!」の本音から、教育予算の削減、この小学校から大学までの教育分野への冷遇措置、これが、長期的にボディーブローのように日本の、教育分野、学問分野、強いては自然科学分野での立ち遅れ、後退、そして、国家の零落、衰退、没落へと進む未来予想図は、どうも、財務省の“吝嗇なる”官僚に論破できない愚かな政治家に原因があるようです。
 国家には、3安保が必要であるというのが私の持論でもあります。一つは軍事安保、これは現実として危機が目の前にあるので、けちにはなりません。二つめは、食糧安保であります。これは、自給率の高さの維持でもある。近い将来、地球上の人口激増と異常気象による食糧難が必ずや到来しかねない。この視点を抜きにして、政治家は、日本の農業を語ってはいけない。TPPで工業製品と農産物をバーター取引で行う視点です。最後に、これは一番ボディーブローのように国家100年の計で中枢を蝕んでゆく教育予算への冷遇です。教育安保の観点の欠如です。確かに高齢者への医療費、年金への予算は当然‘準福祉国家’を目指す日本としては必要ではありますが、少子高齢化の社会では、子供、少年少女は国の宝という、自覚があまりに欠落しているのが、教育予算の額に典型的に表れてもいます。
 
 ここまでが、誰しも、日本の将来に関して、現状の教育というものを考えた時、「これじゃあ日本もやばいな!」と実感される実例であります。では、私が一番危惧する教育における“亡国への死角”というものを挙げさせていただくとする。それは、教育のデジタル化であります。
 
 グローバル化=アメリカ化、アメリカ化=言語の英語化、これは断言できる事実であります。
 デジタル化=GAFA帝国傘下、GAFA帝国=非リアル社会、これも容易に想像がつきます。スマホがあれば、そこそこ‘幸せ’と感じてしまう社会です。
 
 ここででありますが、欧州言語を中心に、世界の多くは、アルファベットに代表される表音文字です。それに対して、アジア圏の漢字文化圏、特に、中国や日本は表意文字です。
 明治維新以来、西欧の概念を漢字を用いて、次々に“日本語化”してきました。福沢諭吉の脱亜入欧とは言いながらも、西欧の文明をダシにして、日本の文明を発展させ、独特の文化を生み出してもきました。その個性が、洋食文化に典型に表れてもいます。昭和では、欧米の科学は日本語で学べる域にまで進化進歩してきました。
 
 平成に入ると、ワープロなる便利な事務機具が普及し、中期になると、ワープロからパソコンのワードというソフトで便利に文章が書けるようになりました。そして、今では、世のほとんどの人は、スマホからパソコンまで日本語入力する際は、ローマ字変換で、日本語の文章を作成しているはずです。実はこの点こそ、日本人の最も<秀逸なる日本語をベースとした気質>を蝕む行為であり、強いては、日本人の脳構造を劇的に変えてしまう、いわば、欧米化の引き金となる懸念材料と私の眼に映る点なのです。
 
 どういうことかと言えば、戦後焼け野原の日本で、「日本語捨て、ローマ字にしてしまえ」とか、「フランス語にしてしまえ」などといった暴論が噴出したともいいます、その見えない“アルファベット化”こそ、スマホやパソコンの入力作業で、日本人のアナログ的、手で漢字を書くという行為が希薄になり、強いては、<漢字が読めるが、書けない現象>を日本人全体にもたらすのではないかといった事態の到来なのです。
 
 よく巷のおじさん連中が、「いや~!最近漢字は読めるんだが、書けなくなって困っているよ」と愚痴る現象です。これは、飛躍して言わせてもらえば、日本語教育の“ハングル化”でもあるのです。大方の韓国人は、漢字はそこそこ読めても、漢字は書けないとも言われていますが、この現象が、デジタル教育で日本でももたらされるという懸念です。一部の識者が、また、ノーベル賞受賞者の白川英樹氏も指摘していることですが、ノーベル賞級の研究成果から様々な大企業で用いられている独創的な発明や発見は、日本語が土台となってきたという事実です。これこそ、漢字文化圏の最も正統的継承者でもある日本の面目躍如であります。韓国からノーベル賞受賞者が生まれないのは、このアジア文化圏から表音文字の系列のハングルという文字文化へ移行した点を指摘する方までいる。日本のデジタル化は、この韓国の轍を踏むことになると誰も指摘してはいません。そうなのです。日本人は、実は、平成に入ってからというもの、無意識に“日本語のローマ字化”を行ってきたのです。そして、表面的には、漢字とひらがな・カタカナという日本語を記述しているように見えながらも、実は、脳内で、ローマ字化していたのです。これが、小学生から高校生に至る、最も、脳構造が成長発達する段階で、スマホからパソコン、タブレット端末など、文明の利器を使用すればするほど、日本語という言語文化が下支えしていた日本独特で進歩してきた文明的文化、もしくは文化的文明という基盤を危うくさせるというのが私の懸念材料なのです。
 
 巷では、世界では、デジタルネイティブという言葉が飛び交っていますが、英語と同じであります。早期英語教育をしたからと言って、全てが全て、ネイティブのように英語が話せるわけでもない。プログラミング教育やらeスポーツやら早期からやってモノになる人間など数割にも満たない事実は、英語教育と同様です。
 書道家の石川九楊氏は、手で文字を書く行為の重要性をしきりに強調しています。鉛筆で小学校1年生が漢字やひらがらを交えて文章を書く行為が、デジタル化教育でどんどん軽視されていくでしょう。事実、これは林修氏も指摘していることですが、女子よりも男子の答案用紙が見づらくなってきている、即ち、文字が薄いということである。筆圧が弱いことが原因とされる例でもある。男子のほうが、文明の利器に毒されている症例であるのでしょうか?
 つまりは、スマホやパソコンによるローマ字変換という行為の低年齢化である。これこそが、中年オジサンの漢字忘れ症候群を、小学校の段階からもたらしかねないという危惧であります。畢竟、この現象は、日本の若者の学力の低下、強いては、韓国同様に、日本人からノーベル賞級の発明や発見が生まれない淵源になるように思いて仕方がないのであります。

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