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学校の定期テストの実体

 前回は、推薦やAOまた、附属系ルートで、大学進学する生徒がだんだん増えてきている進学状況について語りました。
 では、中学生か高校生のお子さんが、推薦やAOルート向きか否かのリトマス試験紙のような事例をお話しすることにします。
 これから話すエピソードは、私の高校時代によるものです。少々、小説風に語ってみたいと思います。
 
 宮城県の県立高校時代のことです。土曜日の4時間目の終了間際、英語の先生が「では、来週から、期末試験が始まるから、このレッスン4からレッスン8の範囲をよく勉強しておくように!」「起立!礼!」と日直が声を上げた直後のことです。Fという生徒が、いきなり声を上げて、「先生!ちょっといいですか?」と英語教師に向けて、声高に質問らしき声を上げた。皆は、カバンを手に持ち、帰宅の途につこうと、教室を出かかろうという矢先のことです。「何だね?F君!」皆は、いつもの様に、その英語教師に、何等かの授業中の内容に関してのクレームでも言うのではといった、周辺にいた数名の生徒のあきれた顔、一種、うんざりしたような表情が浮かぶ中、そのFに全員の顔が向けられた。そうである。このFなる生徒は、授業中でも、何かと、教科書の例文やら、教師の黒板に書いた英文などに、授業中でも、今風に言えば、空気読めない秀才とでもいった気質か、授業を中断することが間々あったからです。Fの奴、また先生の上げ足でも取るのかよ?といった空気がその場に流れました。このFは、敢えて言いますが、四捨五入的に言えば、天才というよりも、がり勉風に見える秀才でもあったのです。英語の授業中でも、NHKラジオ講座のスペイン語のテキストを眺めていたり、物理の授業中でも、その当時よく売れていた『前田の物理』(代々木ライブラリー)なる参考書で内職をしていたりして、確かに、地頭はいい生徒でしたし、その後、東北大学の医学部に進学した‘田舎にいる典型的な秀才’ではあった奴です。
 「あの、ですね、僕が言いたいのは…」いつもの生意気口調で話し始めます。「その英語の教科書の試験範囲に関してなんです…けど…」
 「君、何か、その試験範囲で、文句でも、質問でもあるのかね?」
 「いや…」少々、その場の空気を若干察してなのか、一瞬口ごもったかに見えたが、即、「ええと、では言っちゃいますね」もう、皆は、机の上に半腰で据わっている者、椅子に脚を組み、前かがみに座っている者、教室内は、ちょうど、終ベルが鳴り響く中、生徒は全員固唾をのんで二人を見守っている。
 「先生が言う、その試験範囲をやっておくというその主旨ですが…」
 「F!その試験範囲に何か注文なり文句でもあるのか?」
 「そうです、ぶっちゃけて言いますね。先生の言う今回、いや、毎回なんですけど、学校の期末試験、中間試験、何でもそうですけど、出る範囲が分かっていて、それをやって来いという、習ったことを確認する試験ですよね?」
 「そうだよ、それで、お前は、不服なのか、文句でもあるのか?」
 「ありますよ!」ときっぱりFは、教室の後ろの席で、言い返す。皆は、先生の方から一斉に、Fの方へ振り向く。
 「先生の、いや、学校の定期テストって、実は、暗記力のテストじゃないですか?もし、もしもですよ、こんな極端な奴はいないと思いますが、もし、英語が超苦手、学校の評価も5段階で1か2位の外国語が下手な奴がいたとします。しかし、そいつが、IQ150から200くらいの、暗記の天才だったとしまね、その生徒は、その試験範囲、今回でいうレッスン4から8までを‘人間フロッピーディスク’の脳で{※その当時は、人間暗記コンピュータと言っていたが}全部丸暗記すれば、満点ゲットということになりませんか?
 「じゃ、お前は、何が言いたいんだ?」
 「そこなんですよ、学校という場の定期テストは、率直に言えば、習った範囲の暗記テスト、理解しても、いなくても、また、中途半端な理解でも、100点は100点、90点は90点、しかも、そういう奴に限って、試験が終わると、頭の中に、その内容の半分も残ってはいないのが実態でしょう?先生は、そのことは、ご存じなはずですよね?」
 「それで、じゃ、定期テストをどう行えといいたいんだ?お前は!」
 「僕の提案ですけど、試験範囲の5割は、やはり、英語が苦手でも、努力でゲットできる教科書の範囲から、2割は、レッスン1から3までの前回の中間テストの範囲から、そして、残り3割は、実力形式の問題、即ち、初見問題、例えば、東大や、早慶、また、東北大の問題を出してくれるとありがたいんですけどね」少々遠慮気味に言う。回りの気まずい雰囲気をFも察知したのだろうか、続けざまに「そうすると、先生も進路指導しやすくないですか?5~6割ゾーンの奴は、一発受験組には適さず、前もって、推薦ルートを進路指導できるし、7割前後は、一発組には、本人の努力次第で、適正があるかもと両方指導できますよね?そして、8割以上ゲットできた奴は、真に英語の実力がある奴だと。それぞれ、英語の各自の資質なりがわかって先生にとっても好都合じゃあないですか?」
 教室内の生徒の半数以上の顔に、「こいつ!ったく、余計なことを言いやがって!」という苦々しい相が浮かび上がったのが今でも記憶に生々しい。私なんぞは、英語なんて、試験勉強などあまりせずとも、80点前後は、ゲットできていたし、学校の順位などあまり気にしてはいなかったので、「面白いことを言う奴だ!」くらいで、何とも思わず、涼し気に、その場に居あわせていました。
 その事件以後、十名近くの、いつもFと話しを交わしていた連中は、1週間以上、Fとは口を利かなかたことが印象的でもあった。
 
 この話を、弊塾の生徒に向かって、「松山さんも英語がそこそこ出来るんだから、英語の授業のあと、このF君みたいに発言したら(笑)?」と訊くと、「いや、そんなこと、言えませんよ、言ったら、友達なくします。」「そんこと、言ったら浮いて、教室内が凍りつくよ!」「そんなこと、言えば、総スカンをくらうよ!」「自分が英語できるからって、余計なこと言ってと、非難ゴウゴウですよ!」などなど、松山さん以外の教え子が、苦笑まじりにそれぞれコメントを添える。実は、教室内では、できる生徒でも、『裸の王様』の‘大人’であり続けざるを得ないわけです。あのF君のように学校の定期テストの実態を面前で暴露できる‘子供’にはなれないということでもあります。
 このエピソードから、その後、中学生や高校生に、私が英語を教えていた経験則を基に、そのF君事件による彼の友人達の態度が‘真の理解か、中途半端な理解かの’リトマス試験紙ではといった“仮説”を立て、“検証”し、そして“立証”するに到ったのです。
 そうです、F君に同調する派は、一発受験組F君に拒絶反応を示す組は、推薦組(附属適応組)とも言える真実です。
 ‘受験英語の神様’とも言われ、駿台予備校の英語科のブランドを築きあげた伊藤和夫が自身の最晩年の書『予備校の英語』(研究社)の中で似たような彼自身のエピソードを披瀝されている箇所を読んだ時、思わず膝を叩きながら、かのF君をしみじみと思いだしたものです。
 そうです、灘や開成の秀才、いや、その科目(英語でも数学でも)が真に理解できているか、生半可な理解なのか、そのメルクマール(目印)こそが、このF君や伊藤和夫の精神的(メンタル上の)姿勢でもあるのです。
 結論を言います。私立、公立を問わず、学校という40名での授業は、“できる生徒”にとっては、復習の場になっているという真実です。個人的に、参考書や塾・予備校で、2歩、3歩先を既習している、よって、教室が復習の場、よって、試験前でも、その得意科目はほとんどやらなくて済む。灘、開成、麻布、蔭桜の秀才達が、何故、超エリート塾でもある鉄緑会やSEGまで通うのか、それは、そうした超進学校内部にいる、自分より更に上のレベルの天才に負けてなるものか!といったメンタル、そして、学校が、そうしたブランドとはかけはなれた自由な、生徒の自主性に任せる授業スタイル、しかし、進度が極めて速いカリキュラムなどを考慮したメンタル姿勢がそうもさせているのでしょう。
 一発受験組の連中は、10割教科書から試験で出されても、ほとんど定期テスト前に勉強せずとも、まあ8割以上はゲットできる。また、F君の進言通りに出されても、教科書の5割のうち4割はゲット、前回の試験範囲の問題のうち1~2割はゲット、初見問題の3割のうち2割はゲット、よって8割弱は得点できる。こうしたタイプが、がり勉ではなく、準秀才以上とでもいうのでしょうか?因みに、私の高校時代、1学年240名ほどの生徒で、5教科の合計で順位がでていましたが、20番から50番くらいの順位の生徒が、真にできる奴、即ち、田舎の秀才であったような気がします。そうした連中は、定期テスト1週間前であっても、休み時間に、Z会の通信添削の問題やら、『大学への数学』(東京出版)の問題に取り組んでいました。上位20名の連中は、数少ない、東北大、山形大、宮城教育大などの指定校枠を目指し、定期テストで全ての科目を90点以上ゲットしてやろうとする、闘志むき出しに猛烈に勉強する奴らであったような気がします。

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