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受験結果が思わしくなかった君へ

 これは、予備校界で有名な話です。

 

 「浪人して、よかったです」こうした言葉を吐く浪人生が7~8割だといいます。但し、現役時代以上に努力したという必要条件と高校時代以上に優秀な(恵まれた)講師に出会えたという十分条件、その両方を兼ね備えた生徒を対象にした数字だと思われます。

 

 では、この数字は何を意味するのでしょうか?私に言わせれば、次のようなことに尽きると思います。

 

 「あいまいなまま(中途半端)で前進するよりは、人より一歩遅れてでも、はっきりした(完全な)形で前進することが後々正しいのだ」という真実に彼らが気づくからでもあります。

 

 私が今最も注目し、評価もしている日本思想研究者の先崎(せんざき)(あき)(なか)氏が、NHKの月末深夜放送のトーク番組{※ニッポンのジレンマ:司会古市憲寿}で語っていた彼自身のターニングポイントとなった経験について語ったものです。

 

 「時代からドロップアウトしているほうが、社会がよく見えるんじゃないかと気づいた」

 

 これは、挫折や失敗で、自身と社会を客観視、また、俯瞰視できることを言い当てていて、浪人生が、ある意味、同じような境地に立ったということの謂いでもあると言えるのです。以上のような人生論上の真実に浪人した人は、この寄り道(浪人生活)で気づくからでもあるのでしょう。

 

 「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」(松浦静山の剣術書『剣談』)

 

 この箴言は、不幸にも何となく合格した人に、不幸にもやっぱり不合格だった人に、その両者によく噛みしめてもらいたいものです。

 この不幸にも何となく合格した人を、中途半端族と命名し、“大学までの人”と呼びたいと思います。それに対して、浪人し、完全な形で前進した人、不幸にもやっぱり不合格だった人を敢えて、“大学からの人”と呼びたいと思うのです。これと似たようなことは野村克也氏の次の言葉と通底していると思うのです

 「成功と書いて退化と読む。失敗と書いて成長と読む」

 

この“大学までの人”“大学からの人”という言葉が閃いたのは、有名な「東大までの人、東大からの人」という東大生の間で有名な通説からでもあります。この文脈で一番知ってもらいたい人物、それは、ノーベル化学賞受賞者の田中耕一氏であります。彼は、東北大学の学卒{※大学院出ではありません}です。一年留年もしています。そして、第一志望だったエンジニア路線のソニーに落ちて、島津製作所に入ります。しかし、配属は、物理系の研究ではなく、全くゼロかの化学系の研究所に配属となります。そこから、あのノーベル賞へと到達するのです。でも、彼は、ここ16年以上テレビやマスコミの取材を一切受け付けてきませんでした。沈黙を通してきたのです。市井の一サラリーマン研究者に徹していたわけです。2019年2月17日のNHK特集を見ました。ノーベル賞受賞会社員としてこの田中耕一氏を独占取材したものです。さらに2度目のノーベル賞受賞ともなりえる研究に、今や近づきつつあることにびっくりし、また、敬意の念を覚えたものです。
 

  こうした浪人という雌伏の時代に、自分とその対象(科目)との関係性を、冷静客観的に見渡せるようになる。これこそ、大局観というものです。実は、語弊を覚悟で敢えて言わせてもらえば、現役で合格した人の三分の一、推薦枠で合格した人の二分の一、そして附属で進学してきた人の三分の二は、こうした大局観は身に付いてはいないと思われます。

 裕福な家庭で育ってきた人が、貧困の途上国の貧しい暮らしの人々や先進国でも不幸な生い立ちの人と生活、または付き合ったりして初めて得られる人生上の真実です。また、親元を離れて、一人暮らしをして、仕送りが殆どない大学生が、高校までの親の有り難さに気づく本当の実感でもあります。

 

「成功も失敗も終わりではない。肝心なのは、続ける勇気だ」(W・チャーチル)政治家

 

「神は、完成を急がない」(A・ガウディ)建築家

 

 これは、NHKのテレビ≪達人VS達人≫という対談番組で、画家の横尾忠則がマラソンの名ランナーだった瀬古利彦に語った言葉です。

 

 「非常に重要で大切なもの、一番欲しかったもの(オリンピックの金メダル≒東大や超一流企業など)が手に入らないということ、すごく重要だと思う」

 

 瀬古利彦は、40代後半の方ならご存じかと思われますが、マラソン戦績15戦10勝の、恐らく日本陸以上史上最強のマラソンランナーだったことに異を唱える者はいないでしょう。その負けは、大学生時代の2戦、そして大学生時代のボストンマラソン2位{※これは凄いことです!}、これに加えて、ロス五輪、ソウル五輪の合わせて5敗のみです。戦率でいえば、マラソン史上最高の選手であったかろうと思われます。その彼をして、瀬古自身コンディション・体力最高の時期に、モスクワ五輪をボイコット、これは、不運としか言いようがありません。そして、ロス五輪、これは、直前までの無謀とも言えるハードな練習の末、血尿まで出るコンディション管理のミス、これは、戦略・戦術の甘さです。最後に、ソウル五輪、これは、瀬古自身、体力のピークを過ぎての出場でした。オリンピックは4年に1回、受験は1年に1回、アスリートも、受験生も、その1発勝負に照準を合わせてきます。それに向けて照準を合わせることの難しさといえば、言わずもがなです。ここ最近では、和製フェルプスの異名をとる水泳の萩野公介が絶不調で、2020年の東京オリンピックが危ぶまれる事態に陥ているそうです。これは、イップス{※ネットなどで検索して意味を調べてください}が原因とも言われています。実は、このイップスにこそ、模試では満足いく点数をゲットしていながら、いざ本番となると本領を発揮できない受験生気質と似たものがあるように感じられるのです。受験で失敗した生徒は、このイップスのフィルターを通して自己分析してみるのもいいかもしれません。

 

 最後に、あの夏目漱石にも触れてみましょう。彼は、一高在学中に落第しています。しかし、その後、主席を通しました。彼の言葉です。

 

 「僕の一身にとってこの落第は非常に薬になったように思われる。もし、その時落第せず、ただごまかしてばかり通って来たら今頃はどんな者になっていたか知れないと思う」

 

 芸術家一家として名高い千住3兄弟{博・明・真理子}がいます。今では、長男博は、世界的日本画家として大成しています。次男明は大河ドラマなどの音楽を手掛け大活躍しています。末の妹はヴァイオリニストとしてとみに有名です。博も、明も、二人とも東京芸術大学を2浪しています。しかし、その兄弟は、芸大を主席(※作品芸大買い上げ)で卒業しました。受験と、その後に芽生え、研鑽を積んで開花する才能・資質は別物なのです。受験結果が思わしくなかったからといって決して自己否定や将来が暗いという思いに陥ってはいけないのです。人生とは、思い通りにいかない時にこそ、無意識のうちに、自己成長しているものなのです。

 この博も明も、父が慶應大学理工学部の教授であり、附属からそのまま大学へ進める恵まれた環境にありながらも、敢えて‘前途不確かな荒野’へ踏み出した精神の猛者たちです。妹真理子が少女時代に早くも天才ヴァイオリニスト{※12歳でデビュー}として脚光を浴びたあとの、雌伏の2年、これが、どれほどこの2兄弟を成長させたか想像に難くないと思います。

 余談ですが、博は、芸大を卒業した後、筆一本で生活できるようになるまで、河合塾で予備校講師をしていたといいます。


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