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「適応」を専らとするは進歩なき進化である

 戦後教育改革の分岐点と言えば、1979年から実施された共通一次試験というものでしょう。それまでの旧一期校と二期校の差別・格差を解消するとの目論見でありましたが、実際は、偏差値という尺度ともいえるモンスターの登場、そして5教科7科目1000点満点という一種生徒にオールラウンドプレーヤーを求める試験の出現それらが引きがねとなり、私立大学の人気が急上昇、そして、地方の地味な国立大学よりも、MARCHは勿論のこと、日東駒専レベルの大学の方が偏差値が高いとい、今の学生には信じられない受験状況を招いたのです。
 そもそも、そうした事態を引きおこすことは、ある意味予想されてもいました。人性論的にむべなるかな、人は易きに流れるという心の摂理に従ったまでであるからです。しかし、少子化が進み、大学側が教育よりも経営に重きをおく姿勢に大勢が変わってきたこと、そして私大が自身での入試問題作成能力を欠く大学も出てきたことが追い風ともなり、おそらくは、文科省が、共通一次試験をセンター試験へと衣替えし、共通一次試験以上に大勢の受験生を集め、科目数も国公立に関しては減らす、しかも、私大受験生には、アラカルト方式を採用する、公的試験が<つまみ食いの存在>になり果てたのが1990年代の末の頃であります。公的試験の世紀末現象とも申せましょう。
 共通一次試験、そして、センター試験の初期までは、ある意味で、それが必要最低限の教養をチェックする試験、それに、短時間で問題を処理する情報処理能力を試す試験でもありました。そこの第一関門をクリアした受験生のみが、二次試験という筆記主体の記述形式の考える問題でふるいにかけられる運命でもあったのです。国公立の入試スタイルに関しては、この方式が、準理想でもあったと言えましょう。
 入試問題に関しては、共通一次試験(センター試験)、そして、私大で多い、マークシート形式プラス記述形式のミックス問題、そして、国公立の二次試験で採用されている記述形式問題、このように3種類に分けられます。
 共通一次にしろ、センターにしろ、このマークシート形式の問題は、数十万人規模で行われるため、客観性第一のためそうならざるを得ぬ事情もあるのでしょうが、私個人が、現場高校生を臨床にこの国民的行事とも、冬の風物詩ともいえる試験を分析すれば、短時間で問題を素早く、的確に処理する情報処理能力を試しているとしか考えられないものです。恐らく、あと十分、英数国に関して時間が増やされたら、平均点は、10点から20点前後あがることは確かであると断言できる代物なのです。そうなのです。センター(共通一次)試験では、その受験生の考える力など判別できるものではないとはっきり言えるのです。そうした、ある意味(誤解がないように!)IQに近い資質が求められる“時間に追われるひっかけ問題的試験”に、そもそも記述形式を国語や数学に取り込むなどは、国家の自動車免許の全マークシートに記述形式を取り入れるに等しいバカげた行為であるとさえ言えます。だから私は、今般の頓挫した大学入学共通テストなるものが、鵺的“化け物”試験と命名した所以なのです。まるで水中を魚のように泳げ、鳥のように空も飛べ、なおかつ馬の如きに陸を疾駆する能力がある生き物を求めているように思えて仕方がないのです。民間に委託することになった4技能を求める英語試験に関しても同様です。
 昭和の終わりに始まった共通一次試験は5教科7科目1000点を国公立を目指す受験生に必須とするものでした。そして、二次の記述試験でさばき切れない人数になった場合、一次の点数で足切りなどを行う。そして二次で記述形式の問題に受験生を立ち向かわせればそれで済む話なのです。どうして、こんな単純明快な最善策を文科省はなし崩し的に瓦解させてきたのか。
 
 英語に関しても、時々思い浮かぶことがあるのです。「もし、昭和の時代の英語教育を、令和の時代に中等教育で行っていたならば…」という夢想です。
 
 昭和時代、公立中学は少々違っていましたが、公立高校では、まず文法と読解、そして少々の英作文の授業のみでした。英会話の時間もなければリスニングの時間も皆無でした。今では、学校では、音読やらコミュニケーション主体の授業に様変わりしています。文法は、刺身のつま程度、ほとんどが、習うより慣れろ形式の授業に変貌しています。副教材やらそれに付随した参考書を生徒に与え、自宅学習させている傾向大であります。授業というものの“手抜き”とさえいえるような有様です。極論ながら申し上げると、文法や構文に基づいた読解など塾や予備校から、スマホサプリに至るまで、アウトソーシング(外部委託)しているような教育光景が浮かびあがってもきます。学校英語教育の空洞化、学校授業の骨粗しょう症的“文法・読解”栄養不足症状が出てきています。
 
 ここですが、もし、文法がちがち、読解がちがちの昭和の授業を、平成から令和の時代に現場で行っていたならば、むしろ、パソコンやスマホのSNSという時代に、生徒自らが、音声系の英語の勉学に励んでいたであろうというのが、私の妄想的仮定の話なのです。
 
 今の中高生は、英語の発音能力や物おじせずに外国人に話しかける気質は昭和の頃に比べ隔世の感があります。しかし、その英語の土台は、脆弱であることは否定できません。
 
それは、バブル時代に建てられたマンションのほうが、バブル崩壊後平成後期に建てられたマンションよりも地震などに対する強度などで勝っている点に共通するものがあかと言えそうです。バブルの頃は、資金もふんだんにあり、建築資材に糸目をつけず最良のものを用いていたといいます。それに対して、平成時代のマンションは、表面的に様々な設備を備え、いかにもモダンなデザインのものが増えましたが、その資材や設計には、昭和末期に比べ相当質の劣るものが多いという話を不動産関係の方から以前聞いたことがありますが、そのことに、昭和の高校生、平成の高校生、この両者は、まさにマンションの比喩にも該当すると思われるのです。
 
 政府は、教育改革と称し、特に、入試制度を改悪してきたのです。先が見えない時代、模範となるべき教育モデルが世界にもうなくなった、そして、情報と経済のグローバル化という文明の津波に怯え、変えなくてもよいものを、変えて以前よりも事態を悪化させる文科省・政府の方針は、亡国の端緒でさえあるのです。
 
 もし、昭和の高校生が、タイムスリップし、この令和の時代にやってきたら、自身でSNSの文明の利器を最大限活用し、英語ができる、英語が使える大学生へと変貌すると思うのは私の妄想でありまししょうか?「へえ!平成っていう時代は、パソコンやスマホで英会話も学べ、発音もよくなるぞ!なんて便利な世の中だ!あれ、参考書や問題集、単語集もなんて素晴らしいものが、書店に並んでいるんだ!こうしたツールで、よし!国内留学だ!」こう快哉を叫ぶことでしょう。
 
 それに対して平成末期の高校生が、共通一次試験の昭和の教室にタイムスリップしたとすれば、「何なの?この英語の授業?文法ってこんなに細かくやらなきゃいけないわけ?超複雑っう!まるで、数学、いや古文の授業みたい!分けわかんない!読解って?英文和訳?私の平成の授業ではこんなに几帳面な和訳、求められなかったわ、意味さえ分かれば自然な訳なんて必要なかったのに、ったくもう大変な時代に来たもんだわ!」このように愚痴る女子高校生が大勢を占めるのではないでしょうか?
 
 こうしたSF小説まがいの時空を超えた高校生の交換留学なるものがあったならば、多分、私の以上に述べた呟きが昭和の高校生、そして平成末期の高校生から吐かれることはほぼ間違いないと言えます。

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