コラム

歴史について<補遺>

  History is not a mere list of facts but a sequence of causes and effects.
 (歴史とは事実の単なる目録ではなく、原因と結果という関係の繰り返しである)
 
   We don’t study history for nostalgia, but to predict our future.
 (我々が歴史を学ぶのは郷愁の念にかられるからではなく、未来を予測するためである)
 
   A tiny incident can change the course of history.
 (ごくささいな出来事が歴史の流れを変えてしまうこともある)
 
 
 『三国志』という歴史的書物がある。一方、『三国志演義』というものもある。前者は、史書であり、後者は小説である。さらに、『三国志』は、西晋の陳寿によるもので、“魏”を正統として著されたものである。それに対し、『三国志演義』は、元末期から明初期にかけての羅漢中によるものである。“蜀”を正統として書かれたものである。
 
  日本においても、道長側に肯定的視点によって描かれた『栄華物語』、彼に批判な目線で書かれた『大鏡』、南朝側の『神皇正統記』、北朝側の『梅松論』など、日本史でも、そうした事例はこと欠かない。歴史は、勝者がつくる、また、敗者は、文学作品になる傾向が強い。庶民により、判官びいきとやらの国民性か知らぬが、ヒーローにされる政治的人文科学上の摂理でもある。『平家物語』や『太平記』を覗くとその日本人としてのそうした気質がわかるものである。我々庶民は、物語で歴史上の覇者や英雄、時に悲劇の人物を思い描く理は、シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』や『リチャード三世』から、その人物像を認識していること、影響されている事実、それは洋の東西を問わず、たいした違いはない。ただし、こうした二面性をもつ、“歴史書”というものを読む際には、『歴史とは何か』(岩波新書)を著したE・H・カーの知性を持して臨むことは言うまでもない。これが、なかなかできない。できる者は、いっぱしの“歴史の大人・成人”でもある。我々普通の大衆は、“永遠に歴史の少年”のままである。ロマンというものを史実とダブらせたがる習性が、いつまでも歴史小説へと駆り立てもする。小説というものが持つ、魔力である。
 
 『三国志』には、おおむね“事実”が書かれているともいう。一方、『三国志演義』には、多く、フィクションが含まれてもいる。しかし、その小説としての『三国志演義』は、それを種本として、吉川英治に日本版“三国志”として、横山光輝の“マンガ”として、中国人以上に、日本人に愛読されてもきた。日本人の生き様に少なからず、いや、世の中の処世術に大いに影響を与えてもきた。これは、欧米人、アジア人を問わず、歴史というものの、聖書・仏典につぐ影響力とも言ってもいいものだ。歴史上の人物の生き方の効用でもある。恐らくは、江戸時代は、人々の生き方の規範・模範は、仏教でもなく、儒教でもなく、歌舞伎などを経た歴史、読み物としての歴史に求めてきた。これに生きる指針を庶民は見出だしてもきた。それを、明治末期、新渡戸稲造は、地表から雨水が地下に浸透するかのように、江戸庶民にまで、それから明治臣民にまで、武士道の観念として、日本人の生活の深層心理の宗教として思想化したにすぎない。江戸の庶民文化が、娯楽が、赤穂浪士が、物語や演目として、生き方の基軸として根を張っていったものが、その典型でもあろうか。本当の事実、“真実”などどうでもよかった。これが、小説、映画、ドラマ、マンガ、そしてゲームに至るまで、その役割が、オーソドクシーとして受け継がれているのが現代である。一般大衆にとって、日本人にとっての歴史とは、せいぜい、この程度の役割で御の字でもある。真の宮本武蔵像など、歴史学者や、モノ好きな歴史小説家がやればいい仕事である。大衆は、吉川武蔵、バカボンド武蔵に熱をあげていればいい。ある意味、宗教がないとされる日本人の宗教が、こうした“歴史”であり、“道徳”でもあってもきた。
 
 では、真の歴史、それは、史書『三国志』、また、入門的程度で学ぶ高校生の史実という歴史はどうであろうか?ここが、今問われてもいる領域である。
 
 そもそも、“歴史探偵”ではあるまいが、真の(?)信長・秀吉・家康像などは、知識の蘊蓄、表面的博識の域を出るものではない。ある意味、どうでもいいものである。学者の役割にとどまっていればいい。資料不足である。データサイエンス、エビデンス真っ盛りの令和の日本、実証主義は、歴史総合という科目の理念は、ことば倒れにおわる。よって、その教科は、近現代に限定される。
 
 だが、これが、近代(明治以降)ともなると、そうは問屋がおろせないフィールドに入ってもくる。厄介でもある。立志伝中の明治の元勲から、歴代内閣、軍人に至るまで、小説から学習するだけでは、支障をきたすのである。よく功名なる学者が、司馬遼太郎や城山三郎の描く、近代の人物は、綺麗すぎると評する。オーラルヒストリーなる手法も、平成に入るや、登場してもきた。その最大の要因は、列強の台頭と社会主義の勃興である。また民主主義や人権といった観点も介入してくる歴史のフェーズにある。これが、近現代史において複雑極まりない配電盤として明治以降の日本を規定してもくるからである。今般の歴史総合なる教科は、この領域に足を踏み込んだわけである。この新科目を、私は、イデオロギー的アクティブラーニングとも命名したい。それを教える教師の信条の、どこに解釈や因果の軸足を定めるか、それが難しいからである。また、思想的‘右左’がその正しい<正解>(?)方向性を決定するからである。戦後平和憲法への向き合い方が、戦前の日本という国家の在り様、その捉え方、解釈の仕方とも通底しているからである。これは、極論やもしれぬが、司馬遼太郎に昭和の軍人の人間模様、群像劇の心を打つ小説を書いてくれと注文するに等しい難しさが浮上してもくる。
 
 しかし、温かなる想像力(人間は過つ存在であるという“親鸞”的諦観)、ひややかな判断力(過去の欠陥や過ちを微調整する分別)、社会への冷たい理性、ある意味、覚めた良識(人間は進歩などしない生き物だという達観)、そして人間へ包括的、寛容的な眼差しを有する必要がある。こうした、歴史への心持を有しないと、極論ながら、幕末を、江戸時代を、中世にまで、社会主義的・啓蒙主義的観点で裁断してしまう陥穽にはまってしまう。
 
   歴史総合という教科は、歴史とはどういうものか、それを弁えていさえすれば、難科目とはならないものである。そうはいっても、こうした矛盾した国家や国民、つまり、人間という生き物を概観する、健全なる良識を持った現場教師は、少ないものである。恐らく、歴史総合の参考書などは、また、現場の典型な教え方などは、従来の国公立の二次試験の記述模範解答を羅列したような、「ああ、そういうことね!」といった程度の記述になるであろうことは容易に想像もつく。当然である。道徳の授業の意見や回答には、点数はつけ難い、よって、ただ当たり障りのない無難なものが生徒のくちから出される、それだから、歴史総合という新科目は、イデオロギー的アクティブラーニングとも私が指摘した所以である。私が想像する以上に、歴史総合という科目は、難しいものではないかもしれない。なぜなら、そこまで、歴史を、国家を、真剣に考える高校生は、皆無でもあるからである。


  

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