コラム

半導体は産業のコメ、電気はAIの"エサ"

 半導体は、産業のコメとも言われる。今や、この半導体なくして、全ての電気で動く文明の利器は、スーパーコンピュータからスマホに至るまで、稼働しない。そうしたデジタルのツールの心臓部分、いや、頭脳部分は、日々進化しつづけるAIなるものが指令を出す社会ともなっている。そのAⅠの“食糧”とは、言わずもがな、電気である。一方、人間の食は、穀物、肉、魚、そして野菜果物である。人間が、AIの、食い物に意識、負担を、そして、面倒見なくてはならない未来が眼前に迫りつつある。

 21世紀は、何から何まで、電気で動く時代となったことは、EV自動車の台頭を見れば象徴的である。これは、CO₂の排出規制により、環境保護の観点、地球温暖化を食い止める産業界から市民への意識の高まりによるものである。自動車からスマホ、そして、エアコンを含め、様々な家電製品は、省エネなど、高機能・効率性を追求し、様々なコンセプトの下で進化し続けてもいるが、皮肉なことに、20世紀に比べ、化石燃料からの発電は京都議定書、パリ協定と、削減されてはいるものの、再生可能エネルギーなど、依然として、微々たる発電力しかない。日本を含め、厳しい現況ではある。

 もちろん、19世紀から20世紀にかけての、石炭から石油へ、さらに、自動車や飛行機など、地球温暖化への直接的引きがねともなる要因が、ここ10年以上の地球上の異常気象を招いていることは明々白々である。誰も反論の余地はない。

 国家レベルでは、量子コンピュータ、企業レベルでは、スーパーコンピュータ、そして、個人レベルでは、スマホといって、電力の使用量は、昭和、平成にくらべ莫大な量になっている現実は、よく知られてもいよう。家庭内で、エアコン、冷蔵庫、洗濯機など、節約家電化、すなわち、省エネ化の高品質、ハイスペック製品になってはいるものの、従来には存在しなかったデジタル機具が会社から学校、そして、家庭内を席捲している現実は、その電力量をどう大量に生みだしてゆくべきか、賄うべきかといった命題に、どうも人類は直面している。非化石燃料による発電が、どれほどのものか?原発へ回帰する趨勢も理解できぬでもない。2011年の悲劇を忘れ、原発再稼働など、そうした方向へ靡く日本なのだ。背に腹は代えられない、資源輸入国の、悲しい現実がある。

 半導体なくして、様々なデジタル製品が作れぬように、今度は、電力なくして、そうしたハイテク機具が稼働しない現実は、ちょうど、20世紀において、石油というものがなければ、あらゆる産業、あらゆる製品、そうしたものの下座支えするエネルギー源ともなった事実からパワーシフトしもいよう。アメリカという国が、地政学的に、中東重視の政策をとってきたように、台湾が、半導体の世界で最重需要国、最重要拠点として、隠れた、台湾安保の国家的“防衛武器”ともなっている。いざ台湾有事の際に、アメリカや日本が、中国と軍事的に対峙せざるをえない状況にあるのは、この台湾が、世界最大の半導体企業があるおかげなのだ。

 近年、EV自動車を2028年までに、EUの中で100%にする、目標も頓挫し、トヨタのハイブリッド車が、テスラやDYDなのEV車に駆逐されかけている状況を、押し返す風向きに変わりつつある状勢である。理想と現実というものに、欧州も気づいてきた模様か?

 牛肉1キロつくるのに、餌としての穀物が11キロ必要とされる。つまり、牛一頭育てるには、その穀物が約5~6トン必要になるという事実から、よく引き合いに出される、地球上の皆が、菜食主義者になれば、地球上の食糧危機など、夢のまた夢で、杞憂ともなるエピソード持ち出すまでもなく、この21世紀において、アナログが放逐され、生活の隅から隅まで電気で動かされる社会、電気なしでは稼働しない社会、そういった存在は、いくら化石燃料の禁止、CO₂輩出規制、そういった政策を目指しても、デジタルの“食糧”ともなる電気というものを、いかに生み出すか、<便利さ・快適さ>と<電力>との“ゼロサムゲーム”ならぬ、“ゼロサム社会”という命題が、人類の喫緊のテーマとして突きつけられている状況なのだ。

 産業革命が、それによる社会主義というものを自然発生させたが、その社会主義というものをマルクスは、共産主義というモンスターへと作り変えてしまった。20世紀は、この共産主義の親玉ソ連と、資本主義のドンアメリカの対立で、舞台が繰り広げられ、前者が、“共産主義”で敗北したことになった。この現実を、狡猾に傍観していた中国が、共産主義という独裁と資本主義というハイブリッドで、今や自由主義の総本山アメリカの世界的リダーを脅かすまでに台頭してきた。国家資本主義(赤い資本主義)とも言える中国の共産主義は、独裁国の方便なのだ。内実、マルクシズムは、放棄し、そのイズムだけを、独裁の武器に使用している。北朝鮮と同じである。しかし、マルクスの唱道した、労働者、人間に疎外というものをもたらした歴史の観点は、中国は、考慮の対象外である。

 マルクスが言い放った、資本主義の行き過ぎによる<人間の疎外>というものの実相が、今や、マルクスが予想しない形で、AI時代の到来で、人間のもっと深い意味で、疎外へ至らしむ未来を予言をする、斉藤幸平氏のような者は、少数派である。博多に、ひかりよりのぞみの方が、のぞみより飛行機の方が便利で快適であるという味を占めた人間の業が、大衆を洗脳してもいる。それが文明の王道でもある、仕方がない。

 AIに与える“エサ”、電力をせっせと作り、人類の環境悪化という事態を招来しているような気がしてならない。軽井沢や那須高原など、避暑地の用をなさない。単なるステイタス住宅街ともなった。ヒートアイランド現象の東京や大阪で、わんさか電力を使用し、室内にこもって、酷暑の夏を凌ぐ2025年である。だから人類は、地球以外の、火星、月へと住処を変える未来像まで思い描くようになったか!
 


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