コラム

知性は仕事で、感性はプライベートで磨くもの!

 「知性は仕事で、会社で、磨くことができるが、感性は、むしろそうした社会や仕事では摩耗され、衰えてゆくものである。一方、その感性とは、各自がプライベートで磨いていゆく、その若さを非仕事の環境の中で維持してゆくしかないのである。」これは、私の信条であり、人生上の定理としているものである。では、どうすれば、感性をひなびさせないですむのか、枯れさせないでいられるのか?
 
 これは、だいぶ昔から言い古されてきたフレーズであるが、「年を取ると、音楽を聴かなくなる、ましてやCDを買わなくなる。カラオケで歌うのは演歌になりがちになる。」これこそ、その私の信条を証明してくれてもいる通説である。
 
 あくまでも一般論として断ってもおくが、大中小を問わず企業、会社という組織にいると、否が応でもその世代で、ある意味出世、または昇進し、何らかの役職につき“成長”してゆくものである。いわば、年下の部下を持つことになる。家庭でも、息子や娘を持ち、親としての自覚も意識的・無意識的にかかわらず、自身の気持ちを“ワンランクアップ”させる。ここに、公私における自身の人間としての“進化”というものが生じる。人間として、熟成した良い側面は当然あるのは確かである。役職が人を作るとか、親の自覚からの社会的責任感が芽生えるなどなどである。
 
 消費文化というものは、ある意味で、十代から二十代までの若者中心でうごめいている、サブカルを牽引している、経済の着火点にもなっているというのが国や時代を超えた実相でもある。生き馬の目を抜くような変化の時代が、世の、特に、お父さん連中に、一種“時代遅れになるのでは?”といった危機感を芽生えさせてもいるのは事実でもあろう。だから、最近『娘のトリセツ』<黒川伊保子著>(小学館新書)という本が密かに激売れしているようだが、世のお父さん連中(4~50代)が家族に内緒で購入して読んでいる姿が思い浮かんでもくる。平成から令和にかけて学校の教師が一番恐れていることは、“生徒に嫌われること”だという、それと同時にお父さん連中も子供、特に娘に嫌われることが、一番のひそやかな悩みであることも容易に想像できる。サラリーマン川柳の「亭主元気で留守がいい」「家の中温かいのは便座だけ」がその悲哀さを証明もしている。
 中年男性がこうした部族にはなりたくない、“もはやそうでは?”といった気持ちを抱かれている連中は、私流に言わせてもらえば、<感性がひなびてもいる人々>であるということだ。つまり、彼らの吐く「今の若い者ときたら、ったく!」という言説が説得力をもたない、空虚に響く所以でもある。
 
 もちろん持って生まれた外見や気質・性格もあるであろうが、一般の芸能人という方々は、見た目以上に若々しく見える。その理由は、私見でもあるが、まず、好きなことをしている人種であるということ。もう一つは、常に、十代から二十代の若者{モデルのニコルからみちょぱ、そしてジャニーズからAKBにいたるまで}を相手にテレビ番組などを製作している点。最後にもう一点、他者からどう見られているかを常に意識している点。これらの3点が、芸能人を年齢以上に若々しく維持させている秘訣とにらんでいる。因に、自営業で幸せに自身の生業を成長・繁盛させてもいる料理人やパティシエなどは意外や意外生き生きと見え、考え方も“なるほど!”と思わせるものをお持ちの方が多いものである。自身の好きなことと仕事が一致している部族でもあるからであろう。サラリーマンは仕事人生3~40年の間に自身の好きな部署・仕事などで働ける期間は10年もないであろう。勤め人とは、自身の人生の時間を切り売りし、郊外に一戸建てのマイホームを持つためのお金をもらうためだけに生きている人々と揶揄した評論家もいるくらいである。サラリーマンの趣味{※特にゴルフである!}なんぞは、私に言わせれば、半数以上は、仕事のストレス解消、プチ運動、生き抜きくらいのもので、自身の感性を磨く“手段”となっている人など限れてもくる{財界人の情報交換、親睦程度:ニトリの社長など}。私はいつも観ているテレビ番組の『プロフェッショナル』(NHK)や『情熱大陸』(TBS)などでよく取り上げられる職種は、やはり、料理人、パティシエ、そして職人といった人々である。彼らに共通するのは、“趣味”がないという点である。休日などは、有機野菜の評判の農家を訪ね歩いたり、評判の洋菓子店を下見したり、素材や材料の産地を足繁く訪ねたり、四六時中自身の仕事と関連のあることで頭をいっぱいにしている方々でもある。プロ野球の大成者にしても同様である。プライベートで遊び好きの阪神の藤浪晋太郎と日ハムからメジャーデビューした大谷翔平と、同期でありながらも天と地の開きが出てしまった良い例である。
 
 今や新橋や有楽町で、サラリーマンが仕事後の酒は、同僚か同年代の者とつるんで飲むのが一般的である。“上司と、ましてやアフター5も会社の連中と一緒は御免である”といった気質も現代の若者には根を張っているのも確かである。生理的に嫌なのであろう。上司から仕事の延長上、人生上の教訓やちっとしたスキルを学ぼうなどとは、はなから考えてもいない。いやむしろ、40代、いや30代の上司ですら、この令和の新入社員には得るものがないと見透かされている嫌いがなくもない。短刀直入に申し上げれば、時代に響く感性がないという点に尽きる。どんな企業の社員や社長にしても、還暦を過ぎた秋元康氏の話には目の色を変えて耳を傾けることであろう。ずばり、すべてのジャンルに応用可能な<本物の感性>を彼らは彼に感じ取ってもいるからである。この<本物の感性>を維持してもいるのが『料理の鉄人』という伝説番組を手掛け、くまモンの生みの親でもある小山薫堂や星野リゾート社長星野佳路などが代表格でもあろう。
 
 少々飛躍もするが、ビジネスでマーケティングは誰もが重要視する戦略でもある。これは、ビジネススクールで学べる代物、いや、その企業の内部でも取得でき、またスキルアップもできうる能力である。しかし、このマーケティングは組織で応用する戦術でもあり、1を3、3を12にする成長ツールなのである。このマーケティングというものは、ある意味<知性>の範疇に属するものである。
 それに対して、ブランディングという戦略というものもある。これは、大学や会社という他者から学ぶ流儀ではない。自身がプライベートで積み上げてきた<集積知>から派生した“センス”といっていい知恵である。これこそが感性という武器と言ってもいい。この感性がなければ、大企業から独立しようが、ベンチャー企業を大学生で立ち上げようが、大方失敗するのがおちである。なぜならば、このしなやか、みずみずしい感性こそが、0を1にする、また、0を1にし、すぐに3にもする魔法の杖なのである。このブランディングの権化とも言える偉人がスティーブ・ジョブスでもあった。
 
 こうした私の、日ごろの考えをものの見事に理論家してくれてもいる人が近年注目を浴びて、静かに、地味ではあるが、売れ行きを伸ばしている『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『劣化するオッサン社会の処方箋』(両書とも光文社新書)の筆者の山口周氏である。
 野口悠紀雄氏も語っているが、「時代は大学を出ても、生涯学び続けなければ生き残ってはいけない時代である」これは、特にプライベートで学べと主張してもいるのであるが、この助言を聞いて誰でも、「リカレント教育だ!」「社会人大学だ!」「資格の勉強だ!」と表層的な危機感を抱き、“お勉強”に励むご時世ではある。自身の知の花壇・畑に苗や球根を植えたり、種をまくのである。でも、その後、いやその前に、どういう土壌で、どういう気候の土地柄で、日照時間や降水量はどうなのかを徹底的に気配りできる人は少ないものである。こうした意識・配慮が無意識のうちに芽生えてくるか否かこそ、日ごろの自身の感性の鍛錬がものをいってもくる。
 
 長きにわたり繁盛するラーメン店は、麺やスープの原料・素材に素人では考えられないこだわりを持っているものである。お笑い芸人とて同じである。食事、移動時間、布団の中にいる時間でさえもネタのことで頭がいっぱいであるはずだ。
 では、自身の感性をしなやかに、みずみずしく保つ秘策とはどういうものなのか、次回それを語ってみたい。 

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