コラム

「デジタル教科書を問う」~読売新聞の特集記事~より

 昨年(2020年)末、12月1日から4日にかけて読売新聞一面で、『デジタル教科書を問う』という特集を組んでいた。教育分野におけるデジタル化に警鐘を鳴らしたものだ。そして、23日の一面で読売新聞アンケート調査のよると、<デジタル教科書「不安」9割>と結果がでた。そのあらましをこれから述べるとする。
 
 12月1日(水)付けの結論~1回~
 
 韓国政府によると、19年8月時点でデジタル教科書のネットワークに一度でも接続した小中学校は約9割に上る。ただ、授業で使いこなせる教員や学校内の教材は足りず、広がりを欠いているという。
 日本でも、学力向上の効果や端末、通信設備の維持コストなど、本格導入を前にクリアすべき課題が山積している。19年度の普及率は、学校に配備された端末や財源の不足を理由に公立小中高校の7・9%にとどまる。実際に授業で使う教員からは「子供は端末を操作すると勉強したつもりになるが、実際は知識や思考が定着していないこともある」との声も聞かれる。 
 日本に先駆けて導入した海外では、学習効果が疑問視されるとして紙に戻した学校や、巨額の費用負担に耐えられず事業が頓挫したケースなど、運用を見直した例も少なくない。
 
※これなども、韓国は小学校1年から英語をやっている、フィンランドの勉強法はこうだ!やたらと外国の流儀が“青く見える”文科省の連中の浅慮が露呈している。
 
 
 12月2日(木)付けの結論~2回~
 
 紙とデジタルの教科書を巡っては、経済協力開発機構(OECD)が18年、79か国・地域を対象に行った国際学習到達度調査(PISA)が注目されている。
 本を「紙で読む方が多い」と答えた日本の生徒は読解力の平均点が563点、「デジタルで読む方が多い」は476点と60点差があった。数字でも、授業でデジタル機器を使う割合が61%の豪州がわずか8%の日本に比べて平均点が高いわけではない。
 台湾で「デジタル教育の先駆者」と呼ばれる中央大(桃園市)ネット学習科技研究所の陳徳懐教授は、端末を使った学びは「疑問を解決し、友達と共に勉強しやすいなどの強みがある一方、文章を読み飛ばしやすく、深い理解や感情移入がしにくい」と指摘する。
 紙と電子媒体の違いを研究する群馬大の柴田博仁教授(認知科学)は「情報の全体像をつかみ、考えを深めるにはデジタルより紙が優れている。子供の思考力を育むにはデジタル教科書は不向きだ」と強調した。
 
 ※デジタルとアナログの優劣を判別できない役人とは始末に負えない。ハイテクの結晶でもあるスペースシャトルが大きな惨事を引き起こし、今やオシャカとなって使われていない。一方、ソ連時代のソユーズロケットは事故も起こさず、今もって宇宙ステーションに宇宙飛行士を送り続けている事例が、このデジタル教科書と紙の教科書の違いとも言える。
 
 12月3日(金)付けの結論~3回~
 
 全国の学校の通信環境を整備するコストもかかる。
 デジタル教科書は、主に教科書会社などのサーバーに接続して教科書のデータを閲覧する方式がとられる。通信環境のない場所では、教科書を見られない。
 通信が不安定になれば、端末が動かなくなり、授業に支障も出かねない。
 GIGA構想では、1367億円を投じて校内のネット観光を整備する。だが、学校と外部サーバー間の整備などにかかる費用は、試算もないのが現状だ。
 法政大の小黒一正教授(公共経済学)は「教育のICT(情報通信技術)化は重要だが、多額の税金が必要なだけに、費用と効果を見極めるのが先だ。財源確保の議論も避けてはならない」と指摘している。
 
※ウインドウズの全盛期、新しいソフトが出るや、ヨドバシカメラなどに長蛇の列をなして購入しるオタク連中、また、スマホの新機種が発売されるや、ソフトバンクの店頭に朝早くから並ぶデジタル族、こうした連中のように、文化に軸足をおく教育という範疇のツールである学校の教育器具を考えてはいけない。
 
 12月3日(金)付けの結論~4回~
 
 スマートフォンの普及などを背景に、子供の視力は悪化し続けている。19年度は裸眼視力1未満の割合小学生35%、中学生57%といずれも過去最悪だった。
 デジタル教科書で視力や生活環境に悪影響が及ばないか、不安を抱く医師や保護者は少なくない。
 就寝前に端末を見ると、画面から放たれるブルーライトで体内時計が狂い、寝不足になるともされる。眼科医の不二門(ふじかど)(たかし)・大阪大特任教授は「デジタル化の影響は、視力以外にも幅広く考慮すべきだ」と指摘する。
 ネット依存も心配だ。国立病院機構・久里浜医療センターの樋口進院長は「ネットに接続する端末を子供に渡せば、閲覧を制限しても抜け道を見つけて長時間、遊びに使うこともあるだろう」と危惧する。
 端末を自宅で使う場合、管理は保護者任せとある。日本PTA全国協議会の大島修常務理事(47)は「子供の健康が悪化しては意味がない。保護者の不安にも配慮しながら、慎重に議論してほしい」と訴える。
 
 12月23日(水)
以下は、国立情報学研究所教授 新井紀子氏の意見である。
 
 デジタル教科書を使用することで学力が上がるという十分な根拠がない中、国が導入を推進していることは大きな問題だ。
 小学生はまず、思考力や判断力の基礎となる学力に加えて、ノートの取り方、予習復習の仕方、資料の探し方などを学ぶ方法を身に付けることが必要だ。長年築き上げてきた紙の学習スタイルがデジタルにかわれるのか、公平な目線で判断することが重要になる。
 (省略)
 今、中学生の半数以上が教科書を読んでも理解できない状態で卒業している。21世紀に必要な能力は教科書を正確に読み、正しいイメージをつかむ力だ。
 学校教育で求められるのは、教科書を精読しゆっくり考え、自らノートにまとめ、わからなかった時に自分で調べ、どこでつまずいているのかを説明できる能力を育成することだ。
 読解力や思考力、問題解決能力は訓練しないと養えない。デジタル教科書によって学習スキルが低下し、学力格差がますます広がる懸念がある。
 
私の所見
 
 外山滋比古と田中真紀子との対談集『デジタル教科書はいらない』や田原総一郎の『デジタル教科書が国を滅ぼす』など、世の賢者は、何年も前からデジタル教科書というものを批判していた、いや不要と主張してもいた。もちろん、『国家の品格』や『国家と教養』で名高い藤原正彦氏など、当然デジタル教科書なんぞには大反対である。
 
 教育、とりわけ人間が一番成長し、飲酒や喫煙などもってのほかと分かっている年齢で、どうしてデジタルなどという危ない‘文明の利器’を与えようとするのか?強烈なる農薬で野菜や果物を栽培するようなものである。世のバカ親は、幼児のスマホ育児なども行っているらしい。便利で楽だからである。これは見えない育児放棄でもある。アマゾンやグーグル、アップルなどの研究拠点のあるシリコンバレーのエリートたちは、敢えて我が子をデジタルの電子器具の全くない、昭和時代と見まごうアナログ主義を徹底している、ある小学校に通わせてもいるという。ジョブスにしろ、ゲイツにしろ、我が子には中学生の後半までスマホを与えていなかったともいう。あの宮崎駿は、将来アニメーターの目指す子供たちに、敢えて「アニメを見るな!読書をしなさい!」と諭してもいる。
 教育にも不易流行という、譲れない領域というものがある。社会とて同様である。文化を忘れ、文明の究極にまで猪突猛進している習近平中国の死角はここにある。
 
 これは、福田恆存の言説でもあるのだが、論理や倫理が変調をきたすところで芸術はそれを正すという。真が狂うところで美は正気を維持するともいう。芸術、文学、いわば文化の必要性でもある。
 
 中国には、特に、中国共産党になって、ノーベル平和賞{※劉暁波}はもちろん、ノーベル文学賞{※莫言}などあまり喜ばない、うれしくもない社会風潮になっているのは明白である。中国が近代になって、清朝以降没落の経路をたどったのは、文学軽視に由来する。明以前の中国文学のなんと豊饒なることよ!一方日本は、清朝と時代をほぼ同期にする江戸時代、文明よりも文化に軸足を置いた社会であった。その差が、アヘン戦争と明治維新の差に出たのである。
世界最高のAI社会(※これを狂った‘真’とは誰も指摘しない!)を目指そうとしている中国では、人間の本性を忘れた12億の人民は、ノーベル物理学賞・化学賞に血眼になっている。それ以前の、人間という生き物の本性を<デジタルファシズム>で、まるで新疆ウイグル自治区でジェノサイドを行っているように、抹殺しているのである。<デジタルの文化大革命>に誰も気づいていない。自分の尻尾を食べ始めた蛇の如くである。中国人民の真の人間の創造性の本源を、雑草のように摘み取ろうとしている愚挙は、我が日本国民も笑えないのである。
 
   

 

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