コラム

中学受験と大学受験の入試問題の決定的な違い

 楽器がないところからアカペラが生まれた。武器がないから柔術が生まれた。女歌歌舞伎や若衆歌舞伎が否定され野郎歌舞伎が浮上した。歌舞伎へのアンチとして東宝の女だけの宝塚が誕生した。多彩なる絵具のないところから水墨画が進化もしてきた。
 
 なんでもそうである、制約の中に革新と進歩があり、文化というものが生まれてきたのである。子供の教育とて、同じである。何でも幼少期から与えるとろくな大人にならないという謂いは、人間という生き物が文化と同義である証明でもある。
 
 では、教育というものを文化に軸足をおくシステムとしよう。さらにその教育の一部でもある入試問題というものに絞り、それを俎上に挙げてみよう。
 
 まず、中学受験の算数と国語である。前者は、50年前、30年前、そして近年と、進化してきたが、大本は変わっていない。暗黙の前提として「XとYを使ってはいけない」という不文律が算数にはある。一応使用してもしなくてもどちらでもいいとする学校もあるとされるが、決りとしては「XとYは使用しない」のがよしとされる。これは、大学入試の物理に数学の微積を使うか否かの次元の話ではない。因に、良き算数の問題はなまじっかXYなど使用しても解けない性質のものが多いとされる。江戸の和算の系譜を継いでいる良問ともされる。
 いわば、小学校で学ぶ、足し算、引き算、掛け算、割り算、そして少数と分数の組み合わせを前提として、図形問題と文章問題に立ち向かってゆく地頭を試す問題は、一貫して変わりがない。この制約のなかで半世紀以上もの間、いや戦前から旧制中学の入試問題は作られてもきたはずである。
 この中学入試の算数の難しいとされる良問は、がり勉で東大生になった人と余裕で東大生になった人を選別するリトマス試験紙とされる。自分の子どもの家庭教師が東大生だからといって安心して依頼する前に、その学生に灘か開成の算数の難問をやれせるとその馬脚を現すということもまんざらでもない。
 では、国語に関してであるが、この12歳の少年少女が向き合う文章も当然制約というものが付きまとう。哲学や現代思想、また政治経済に関する専門用語を交えた文がご法度である。つまり、抽象的概念というものを使用した論説文とやらである。だからほとんどの中学入試の国語は小説とあいなるのである。なまじか、新聞などの論説文などを用いた学校の国語問題は、2流、3流の、手抜きの問題と断言してもいい。よく、朝日新聞等で、某学校で出ました!とキャッチコピーで新聞の購読の勧誘で聞き覚えがあるそうした学校はお里が知れている。ご父兄は心しなくてはならない。
 ジャーナリスト池上彰、明治大学教授斎藤孝、カリスマ予備校講師林修などを使い、「新聞を読む子は勉強ができる」などとうたい文句で新聞部数を伸ばそうとする、いわば、我が子の教育をだしにした営業をしている新聞社なんぞがあるが、慶應大学の中室牧子教授流に言わせてもらえば、「勉強ができる子がたまたま新聞をよく読んでいる」ということでもある。それを牽強付会的にコピーで使用しているにすぎない。
 難しい概念や政治経済の専門用語なども制約がある、よって、良質の小説や詩、時に随筆というジャンルに落ち着く。やはり、とりわけ小説が多いのはうなずける。特に有名なのは、麻布学園の国語である。小説一題である。下手な大人が向き合っても、唸る!いいところを突いてくる。やはり、思春期前の少年の、読解力、表現力、語彙力、感性などをあらゆる角度から判別するセンサーのようなものが張り巡らされてもいる良問である。だから、「麻布出身の大学生は、開成とは一味ちがって、ユニークな人間になる傾向になるのか!」と個人的に感じてもいる。斎藤十一、山下洋輔、倉本聰、小沢昭一、フランキー堺、松丸亮吾など個性的な有名人にはこと欠かない。
 そうである。国語もシンプルに良問一題、これで、十数年生きてきた、その少年の日本語歴を試しているわけである。
 
 では、数学は門外漢でもあるので、英語に関して言わせてもらう。
 国民的行事ともなった、共通一次試験、センター試験、そして、大学入学共通テストと“進化”としてきたとされるが、進化はしてはいるが、選別の手法としての質は、ある意味、退化である。その原因は、制約のなさとグローバル化、そして実学主義である。
 共通一次の10年強、そしてセンター試験の30年、この間マークシート形式の制約のなかで、基本学力を判別する良問が工夫されてもきた。50万人もの受験生を判別する上で最善手を求めてきた努力の結晶でもあった。ほとんどの予備校関係者は、マークシートという制約の中で、よくできた問題だったと評価も高かった。文科省か下村博文元文科大臣かは知らないが、その背後には、当然財界のお偉方もいよう、その彼らが<入試を変えれば教育が変わる>というテーゼで、そこそこ可愛いい顔立ちの十代の少女(共通一次⇒センター試験)に、魅力的な40代ミセスの顔(センター試験⇒入学共通テスト)に、無理やり美容整形を施し、不自然なかわいらしさ、異様な美人顔にしてしまう愚策を政府は行ってもきた。これは、大学受験が、一種、制約がなくなってもきた入試の顕れでもある。中学受験とまさしく、対照的である。ここに、西部邁の「適応を専らにするは進歩なき進化である」の言葉が、政治のみならず、教育においても輝きを増してくる。文明とは変化であり、変化への対応、これは社会・国家の原則でもある。しかし、文化でもある教育は、変化への適応のアクセルを踏み込めば踏み込むほど、その力は脆弱、削がれていくという文化の摂理をわきまえぬ自民党文教族は、戦前の軍部同様に国を舵取りを誤らせる。
 
これは、センター試験開始の1990年代の慶應大学SFCの英語問題を概観すればその中等教育の域を超越しているレベルにエスカレードしていった経緯が物語ってもくれよう。
昨年(2020年度)もめにもめた英語民間試験の導入に関しても、その当時よく言われた言葉「理念はいいがやり方がまずい」、それに中村高康東京大学大学院教授も疑問符を投げかけている。
教育改革など不要である。教育など、文化の次元でいえば、進歩などしない。次世代、次々世代になって、「ああ、そういえば少しお爺さんの頃に比べ、入試問題は変わったかな?」と孫に呟く程度でちょうどいいのである。
教育こそ、保守であるべき領域なのである。それなのに、東京の景観の如きに、スクラップアンドビルドを繰りかえしてゆけば、誰も住まない都市になることに文科省は気づかないのだろうか。予言しよう。どんどん国公立離れが進んでいくであろうと。今や国公立の授業料に関していえば、私大と比べ、半分強で、昭和の時代の国公立のブランド・ステイタスとでは雲泥の開きがある。大方の高校生は、まあ国公立という名前と地元の大学とう認識程度で、民間サラリーマンより国家公務員のほうが“上級国民”くらいに思い込んでいる田舎根性と大差がないのが現況でもあろう。
 
今や、中学入試では、附属校が人気である。また、大学入試も、MARCHは、センター試験枠を拡大し、文科省の牙城に下らんとする勢いであり、在野の精神がモットーとされた早稲田大学も同様である。その一方、一切公的試験(センター試験)にかかわらない独自路線を貫く慶應大学が、ひと昔前に比べ、早稲田と人気を逆転した大学受験状況が、その大きな要因であることを誰も指摘しない。慶應が魅力を増したのではなく、早稲田が個性を失ったがためである。
慶應大学文学部の問題が、英語において辞書持ち込み可としたことを除き、40年以上もその出題形式が変わっていないことは、令和の“大学受験の猫の眼改革”と比較しようともしない。また、その点の意義に、受験業界の連中は触れようともしない。
私の知る限り、文学部1年から2年に進級の際、英文科、国文科、社会学部、心理学部などと、一年の日吉キャンパス期間で進路が決められる慶應文学部方式をとっている大学が皆無なのが異常でもある。早稲田の文化構想学部もこの方式をとってはいるが、本質的に学生の<進路への心柱>がそもそも違う。東大は、文Ⅰから文Ⅲに入学しても、大学3年の時点で、勉強の成績次第で変更が可能なシステムをとっている。これが、高等教育のカリキュラムとしてまっとうだと思うのだが、果たしてどうであろうか。
 
「新しいってことは、いつまでたっても変わらないことなのよ。変わらないってことが新しいのよ」
 
名匠小津安二郎は、映画『宗像姉妹』の中で、その登場人物の口を通じて、自身のポリシー、信条を語らせてもいる。

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