コラム

親はなくても子は育つ。学校なくても生徒は伸びる?

 「親はなくても子は育つ」とよく言われますが、では、「学校はなくても生徒は(学力)は伸びる」と、果てして言えましょうか?まず、この問いをしてみたいと思うのです。

 カドカワが始めたN高校などは、引きこもりや不登校の十代の若者を受け入れた、ネット上で高卒の資格が取れる新しい試みとして注目されてもいます。また、世界選手権で一躍女子スケーターのヒロインとなった紀平梨花選手なども一般高校ではなくこのネットの高校に進んで、練習時間を自在に取りいれて注目され始めてきています。私が、言いたいのは、こうした中等教育の事例ではなくもっと一般的次元のことです。ホリエモンこと堀江貴文氏など、自著のなかで、「もう大学など不要だ、ネットで学べる時代に、わざわざ旧態以前の高等教育機関にまで足しげく通う必要がない」とまで断言していますが、これに関しても、該当しません。もっと初歩的な次元なのです。

 灘や開成の生徒は、学校の授業以上に、お互いに刺激しあい、切磋琢磨して、学力を伸ばしていくとも言われています{『教えて!校長先生「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(中公ラクレ)や『真のエリートを育てる灘・開成の教育(朝日学生新聞社)』を参照}。もし、そうした秀才の彼らも、超進学校に合格しながら、つまりそうした地頭を有しながらも、ネット学園や、通信制高校に通ったとしましょう。恐らく、伸びるものも伸びなかったとさえ言えると思います。今、注目の若手評論家(著述家)古谷経衡氏の書物の題名ではないですが、「インターネットは永遠にリアル社会を超えられない」とさえ言えます。特に、教育に関しては、アナログにデジタルは永遠に勝てないと言い換えてもいいと思います。余談ですが、ハーバード大学に、普通の秀才が何故目指すのか、それは、勿論優秀な授業もありますが、それ以前に、そこで世界の超秀才、天才、大実業家や超セレブ{政治家や学者や一流大企業などが両親でもある部族}のご子息と友人、また将来の親友になる学生に出会える、そして、それはその後の社会的人脈にもなる、これこそが、一流学校(開成・灘)・大学(ハーバード・イェール)へ進学する一番の理由なのです。

 少々、話題が逸れてしまいましたので、本題に戻りますが、どんな良い塾の授業を受けても、どんなに優秀な予備校講師に習っても、日常の学習ルーティンでもある、週5~6時間の学校での授業は蔑ろにはできないということなのです。私が、よく弊塾の生徒達に言うことですが、どんなにくだらない授業でも、どんなに退屈な授業でも、居眠りは勿論のこと、関係のない科目をやるなどは当然いけないということです。例えば、英語に関して言いましょう。英単語を内職したり、授業とは関係のない文法問題集をやったりしてはいけないと通達しているのです。英文読解や過去問対策にしても、「ああ、英精塾だったら、このITは何かと必ず聞いてくるのに!」とか、「あれ、このTHATは、先生は品詞に言及せず、素通りしたぞ、恐らく他の生徒達は、分からないだろうな!」とか、その先生を、ある意味批評しながら、上から目線的に授業を受けるようにアドヴァイスをしているのです。どんなに無駄だと自身に思われる授業でも、その50分を内職に費やすことほど非効率的なことはないのです。ですから、よい塾や優れた講師に習った英文読解のその文法知識や構文テクニックといったものを、技量に欠けるのか、手抜きなのか、また、その50分という短い授業内で終わらせなければならないノルマ的状況に立たされているのかわかりませんが、その生徒にとって不満な授業を、半分自身の知識を反芻する、復習する場に換えてしまいなさいと進言してもいるのです。

 ここで、或る死角的問題点が浮かび上がってもきます。それは、その塾や予備校で使用している英文やテキストの難しさと、その学校の教科書のレベルの格差といった問題です。その塾・予備校の英文の高水準と、学校のそれの低水準に隔絶の感があり、どう見ても、その学校の英語の授業がまったく血となり、肉となっていないケースであります。帰国子女における公立中学校の英語の授業の如き現象のことです。これは、えてして公立高校に当てはまる事例でもあります。それに対して、塾や予備校で習っていても、通われている学校で、その使用しているテキストなり副教材といった類の本(桐原書店にしろ増進会にしろです)が、その学校の生徒の身に長けに合わない、つまり、レベルが高すぎるものを使用しているケースです。予備校のテキストの英文に、その学校の副教材なり補助プリントが、勝るとも劣らないものを掲載しているケースです。その生徒は、通っている予備校で学ぶ英文読解の技術や文法知識を総動員しても、やはり、授業では、不明な点が当然生じてくるわけです。しかし、その学校の英語教師は、その一番難しい箇所、生徒が聞きただしたい箇所、また、寄り道してまで深堀してほしい箇所、そうした点こそ素通りしてしまい、その授業は、生徒達にとってモヤモヤ感を残し、中途半端なままで50分が終了してしまうのです。これは、私立の中高一貫校に非常によく見られる傾向です。

 私が言いたいのは、塾・予備校と、学校との、テキスト並びに授業のレベル的齟齬といったものが、実は、その生徒の学習上の見えない学力上のガラスの天井にもなっていて、思ったように、成績が伸びない。つまり、塾と学校の授業のシナジー効果(相乗効果)のあるなしといった点こそ、AさんとBさんの命運を分けた原因とも断言できるのです。詳しくは述べませんが、私は、この齟齬が生じた事例として、Bさんがまさしく該当したケースなのです、このBさんは、公立の高校に通われていた、しかし、Aさんは、標準的私立の進学校に通われていた。前者は、学校が、塾の復習の場になっていなかった、昼間の週5時間が無駄になっていたのかもしれません。学校のテキストが、英精塾で使用しているものより数段易しかった。いや、同じくらい難しくても、きめ細かく解説なり説明がなされていなかったのでしょう。後者は、学校の授業のレベルか、テキストの高低か、それが、自身でも、微調整できる範囲内でもあり、学校の授業が無駄にはなっていなかったケースでもある。そう、私は結論づけたのです。

 少々遠回りになりますが、一番典型的な事例をお話しすますと、それは、国語の授業に関してであります。古文、漢文は、ある意味外国語に近いという点で、古典文法は必須の学習事項であり、漢文という“中国語”も句法の暗記という、一種英語学習に近いものがあります。しかし、現代文に限っていえば、高校3年の2学期後半になっても依然として、文科省検定教科書のある評論文の10ページ弱を、数週かけて、ああでもないこうでもないと、だらだら授業をする高校、一方で、高校3年になればすぐ、センター試験やMARCHレベルの現代文を、受験対策と称して、実践形式で授業する高校、この二派に大別できると思います。私なんぞは、昭和世代で高校を卒業したので、それも公立高校であったせいか、大学入試の現代文の読解手法を習った記憶など一切ない。また、英語の授業ですら、高校3年の終わりまで開拓社の検定教科書を使用していたものです。大学入試の実践戦略・戦術などは、独力・独学、そして浪人して予備校なりで学ぶしかなかった世代でもあります。今でも、生徒達に確認するのですが、大学入試に一番直結していない授業を強いて挙げるとすれば、この現代文の授業であるそうです。私の頃と、全く変わらない授業光景にして、授業スタイルでもあります。このだらだら現代文形式、それも文科省検定教科書をのほほんと消化しているだけの授業と変わらないような英語の授業を行っていたのが、Bさんの公立高校でもあったのではないかと思われるのです。

 実は、このケースを具体的事例で証明してみます。“仮説と検証”とやらです。近年、横浜雙葉と横浜共立の大学合格実績の逆転現象です。それもMARCHと早慶上智の文系に関してが際立っています。

 横浜雙葉は、高校3年生になるまで、ほぼプログレスオンリーで突き進みます。それに対して、横浜共立は、だいぶ前から中学の段階で、プログレスから、トレジャーに鞍替えしました。そして、このトレジャーをBook5までとことん使用します{※この5まで使用する高校はあまりありません}。さらに、横浜共立は、高校生になると、増進会やら桐原書店やら、最近台頭してきている、いいづな書店のものやら、中高一貫校指定のテキスト、いわゆる副教材を数冊、二枚腰、三枚腰と、塾・予備校など不要だと宣言せんばかりに、受験モードにシフトしていきます。更に、高校生になると、女子校ということもあり、数学嫌いの数が顕著にもなるのでしょうが、私の知る限りで、神奈川県の女子校{横浜雙葉・湘南白百合・鎌倉女子学院など}の中で、最初に、高校1年の段階で数学は終了、いわば、高校2年から私立文系志望の生徒は、数学を選択しなくてもいいシステムを採用したことが、他の女子校と私立文系のMARCH以上の合格実績に水をあけた(※ある意味勝利した)原因でもあると断言できます。それは、国公立の合格実績では、全く、10年以上前から現在まで、他の女子校と開きがないからです。横浜共立は、私立文系の早稲田慶應上智にどれくらい合格者を出すか、その“企業戦略”にも似た戦法に近年出たものと思われます。こうした手法は、神奈川県の公立高校では、取れません。最低でも、高校2年の終わりまで、数学が苦手、数学が必要ないと自覚している生徒も、嫌々に、数学の授業に付き合わざるをえないという現実があります。更に、公立と私立の高校の決定的差、それは、副教材の多い少ないというハンディーも介在してきます。

 英語の授業のコマ数といい、使用しているテキストの数とレベルの高低、これが、ますます私立と公立の大学進学実績に水をあけている大きな理由でもあるのです。

 ですから、塾・予備校でどんなに、質の良い授業を受けても、その生徒の在籍している高校の授業の質と量といった観点を、親御さんは自覚していないと、Bさんのような運命になるのです。いわば、学費の安い公立コース{神奈川の県立高校}に我が子を進ませて、その浮いたお金を、我が子の塾・予備校代に充てようとお考えの親御さんは、実は、このBさんのような運命をよく自覚しておいて欲しいものです。このBさんは、実は、英精塾の外に、他の某有名予備校の授業にも通っておられたのです。その親御さんは、高校3年の段階で、私立の高校3年間に該当する授業料(学費)を自身のお子さんの費やしてもいたのです。結論を言いますが、やはり、その学校の授業というものの実態を考慮して、我が子を公立か私立かを判別しなくてはならないものです。「たかが学校の授業、されど学校の授業」。「親(学校)がなくても子(生徒)は育つ(伸びる)?」、それは、半々に真実でもあるのです。


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