コラム

学校問題はビジネス・マーケティング力で解決できるか?

 最近、ある大学の学長の発言を耳にすると、その教育機関の長とは、教育者なのか、あるいは、経営者なのか、また、そのどちらであるべきかなのかを、いや両者を兼ね備えているべきなのか、それを考えさせられる。その学長とは、総長とも言われる、早稲田大学の田中愛治総長のことである。
 
 「2050年には東大、京大を抜き、アジアで一番価値の高い大学になりたい」
 
 「日本のデジタル化が先進国の中で大きく遅れてしまった背景には、高校や大学で文系と理系を分けていることがある。弊害が大きいこの教育方法を抜本的に変える教育を、早稲田が率先して提供していく」。田中氏はそう切り出した。 
 早大は昨年実施した一般選抜から、政治経済学部で大学入試共通テストの数学受験を必須にした。また、すでに8割の文系学生が、「情報科学入門」などデータサイエンスの基礎を学ぶようになっているという。
 「文系学生は『エビデンス・ベースド(根拠に基づいた)』な考え方ができるようになる。今後は理系学生が歴史学などを学ぶ機会も増やし、文理が融合、提携した教育を進める」
   朝日新聞 2022年6月29日(水)総長再選の田中愛治・早大総長に聞くより
 
 以上の発言などを鑑みる時、どこかの大企業のオーナー経営者(ユニクロの柳井正社長、日本電産の永守重信社長など)、また、鼻っ柱の強いサラリーマン社長の発言とも聞きまごうほどのニュアンスが伝わってもくる。
 
 この田中総長と同じ気色、気質を有する教育者が、元麹町中学校で『学校の「当たり前」をやめた。』で全国に名を馳せた工藤勇一横浜創英高校の校長でもある。
 この両者に共通するのは、未来志向の経営目線、そして、教育をグローバル視点でとらえる側面、さらに、ビジネス観の色彩を有し、学生・生徒は、学校・大学という括り方の中で捉えてはいけない、誤解を恐れずに言わせてもらえば、教育とは、もはや<サービス業>だと割り切って運営すべきだ論者たちでもある。
 
 近年の、高校生に英語を教える現場にいる者にとって目障りなのは、立教大学の“英検至上主義”である。つまり、準1級を有していれば、だいたいの文系学部はほぼ合格という高校生間に、<英検準1級信仰>現象を生じさせた‘罪’のことである。“準1級何回もチャレンジ受験生”を生んでいる現今の風潮を生みだした責任は重い。高校の英検準1級無数チャレンジお馬鹿さんが、池袋キャンパスにどれほどいるのか、そして、恐らく、半数、いや、数割が運よく合格して池袋キャンパスに足を運んでいる現状を、立教当事者は、ご存じないのだろうか?いや、存じあげてもいるが、それを校是としているようだ。
 
 早稲田大学の政経学部が、共通テストで、せめて、数学Ⅰを受験して、入学して欲しいといった田中総長の目論見は、すんなりと、政治経済専攻の学生に、果たして、使えるデータサイエンティストを生む実績へと結びつくものだろうか?
 
 工藤勇一創英校長が、公立のエリート中学校でもある麹町中学校で成功したとされる成功事例が、非進学校ともされる横浜創英で適応可能なものなのだろうか?
 
 田中愛治総長の夢は、早稲田をハーバードやケンブリッジに比肩するアジア1の大学にすることであろう。工藤勇一校長の使命は、横浜創英を、羽仁夫妻が設立した自由学園のような学校にすることではなく、神奈川でも指折りの進学校に改革するとこが、学園理事長から出された隠れた使命でもあろう。
 立教も、‘英検準1級至上主義’を掲げ、上智大学へ流れるような英語デキル高校生を誘導するのが企み・魂胆でもあろう。前総長郭洋春も語っていたことだが、「巷では、MARCHとして括られている我が校だが、これからはWKJRと呼ばれるグループを目指す{早慶上智の仲間入りだそうだ}」と豪語してもいた、その一番手っ取り早い策は、立教の合格の入試合格の仕組みを英検準1級でなければ合格できないシステムにしてしまえばいい、これは、邪推かもしれないが、英語検定協会と立教大学が、利害で一致したとしか考えられない方針である。準1のために、どれほどのお金を英検につぎ込んでいるお馬鹿高校生がいることか!毎月何回も受験している実態は、現場高校で仕事をしている教師ならご存じのはずである。ある意味、お金持ちで、少々運のある高校生が、立教大学の文系に進んでいる実態は、多くのご父兄はご存じないのかもしれない。
 因みに、今年度も、弊塾でも数名ほど英検準1級に合格した。しかし、その彼ら彼女らは、全国に名がとどろく国立大学志望者である。立教志望の文系女子生徒の友人に羨ましがれたと言う。早稲田とて同様である。東大一橋くずれの高校生が、早稲田の政経に入学し、キャンパスで使えるデータサイエンティストの資質を育み、そのスキルを伸ばしてゆくものである。
 
 立教志望者と英検準1級獲得の関係は、自動車教習所の生徒と自動車免許学科合格の関係に等しいといっていいい。
 
 このように、早稲田の田中総長、横浜創英の工藤校長、そして、立教の郭元総長など、企業は規模を拡大し、収益をあげることを至上目標とするが、大学・学校など教育機関が、グローバル化、世界標準の尺度の下で、高校改革、入試改革などを行う至上命題とは、いかなるものであろうか?大学・学校の人気度、進学実績、授業の充実、研究実績などなどあろうが、それらは、透き通った“偏差値の上昇”とどう違うのだろうか?
 
 『2020年からの新しい学力』『2020年からの教師問題』『2020年の大学入試問題』など、多数の書籍を出し、かえつ有明中学・高校元校長で、暁星国際学園、聖ドミニコ学園、湘南白百合学園などで、学校運営アドヴァイザーとして活躍されている、21世紀の教育スタイルを模索されてもいる、カリィキュラムマネージャー石川一郎氏の手法が、どれほど効果を出しているのか、そのご活躍のほど、その効果をみれば、田中、工藤、郭、それぞれの<大学(学校)改革下克上の夢>は、はかないものとして感じられてもくるのは私だけであろうか?
 
 外発的に、入試に数学ⅠAが必須だから、それを勉強して、早稲田の政経に合格してくる生徒、だが、21世紀における理系の意義を理解していない学生。英国社の3科目だけで早稲田の政経に合格したが、大学当局が、キャンパスで高校数学を再履修させるシステムで4年間を過ごす学生。英検準1級タイトルホルダーを保持する大学1年生と大学に入ってから準1級を合格しないと卒業させないシステムにするカリキュラムを経た立教生。前者と後者では、どちらが、内発的に、他の教科を学ぼうとする学生を生むのだろうか?これのケースは、MARCH未満のレベル(偏差値基準でである)の大学では、前者の方が断然優勢ともなるであろう、しかし、MARCH以上のレベルの大学ともなれば、後者方式の方が、伸びると思うのであるが、それを実行しないのは、大学当局にそうしたシステムなり、カリィキュラムなり、教授・講師の能力なりが欠如している顕れである。
 早稲田の政経に数ⅠAが必要だからといって、数学を学んだ早稲田政経の学生、立教に入るには、英検準1が櫃必要だからといって、何回もチャレンジし、運よく(?)合格して、池袋キャンパスに足を踏み入れる学生。こうした二十歳前後の学生が、高等教育でどれほどの伸びしろがあるのか、早稲田と立教のトップは、ご存じないらしい。でも、改革はしないよりした方がマシだと考えてもいるのであろう。
 
★早稲田の政経の数学必須化、立教に英検準1級保持、これなんぞは、PCR検査の陰性証明書がないと、入店できない飲食店や観光地の旅館・ホテルとダブって見えてきてしまう。

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