コラム

二刀流から林修まで

 今や、二刀流という用語が、すっかり世に定着した感がある。昭和から平成にかけて、世間に二刀流といえば、剣豪宮本武蔵を連想する方が、日本では、9割以上であったに違いない。令和ではどうだろか?若者を含め、9割前後は、大谷翔平を思い起こすに違いない。この二刀流は、アカデミックの世界でも、寺田寅彦から、多田富雄、養老孟司、福岡伸一にいたるまで、理系を軸足にした、文筆家、エッセイストといった方々も、その二刀流の本領発揮、その範疇に入ると思われる。

 この括りを、俳優で歌手(福山雅治)、芸人で映画監督(北野武)、作家で政治家(石原慎太郎)などなど、こうした部族にまで二刀流の適用範囲を広げると、世にいう会社員で、趣味を副業とする一般人も二刀流とあいなってしまうであろう。よって、ここでは、せめて、勉強、学問、科学といった、狭義の文脈で二刀流というものを語ってみたい。

 AKBや乃木坂などのグループに所属する少女たちは、ほとんどが‘二刀流(=二足の草鞋)’であるからだ。昭和のアイドル(山口百恵は例外)とは違い、平成になって、特に、SMAPあたりから、ジャニーズ喜多川の戦略でもあろう、ジャニーズ事務所の少年たちは、ほとんどが、‘二刀流’である。そうである、‘二刀流’でなければ、生き残れない、食ってはいけない芸能人が当たり前なのだ。‘二刀流’であることは時流の必然なのである。真の二刀流とは、世の反対、向かい風、稀少価値など、そうした要件を、ものともせずクリアーしなければ、その呼称にはふさわしくない。

 英語と中国語、英語と独語といったバイリンガルなどは、もちろん、日本語と英語をそこそこに話せる準ジャパとは峻別し、言語の二刀流と呼べるであろうか?香港で育った華僑やドイツ人の父を持つアメリカ人なんぞを、二刀流などと呼べば、東欧諸国の人々は、数学者のピーター・フランクルを持ち出すまでもなく、三刀流、四刀流とあいなってしまう始末である。
 ここで、軽い二刀流の定義である。生来の、また、環境から伸びる能力、そして、そこそこの努力でなしえる技能を二つ有するくらいでは、到底、二刀流なんぞの呼称にはふさわしくない。せいぜい、司法書士と行政書士の二刀流、公認会計士と弁護士、医師で弁護士の二刀流、これなどは、一般的に、資格というジャンルの観点から二刀流とは読んでいい人々かもしれない。

 では、私が関与している、教育の分野において、二刀流とは?を考えてみたい。

 まず、小学校の先生、そして、中学受験の塾講師、そして、難関中学受験専門のカリスマ家庭教師、こうした面々は、国語算数理科社会と4科目を教えられる方が、多数いる。事実、それが一般ともいっていい。だから、国公立の、特に東大などの学生がアルバイトで重宝される所以である。次に、公立高校{都立・県立}や早稲田や慶應の附属校を目指す中学生向きの塾講師はどうであろうか?それも、だいたいは、数学と理科、国語と社会、英語と社会など、複数科目を担当している方が、半分以上はいるであろうか?

 では、これが、高校生相手に、英数国理社という中等教育後半の科目を教えるという段ともなると、そうは問屋がおろせなくなる。中堅以上大手の予備校で、「俺は、物理と化学を教えられます」「私は、日本史と世界史の両方が得意です」と主張しても、大谷翔平が、花巻東高校から、将来「僕は、メジャーでピッチャーで打者としても大成したい」と語っていても、まず相手にされないのが落ちであったように、木で鼻をくくられる運命とあいなる。事実、日本の野球界を概観すれば、小学校から高校まで、4番でエースの野球小僧はざらにいた。しかし、それが、ドラフトでプロに入るや、そうした姿は皆目見当たらない。これは、様々な道における、専門性という“玄人の兵(つわもの)ども”がいる厳しい世界が、成人社会の中では、効率性・成功性・成長性などを優先され、一刀流を、現実的に余儀なくされることは、丁度、小学生の、ピアノ、水泳、サッカー、プログラミングなど、習い事を色々やっても、一つもモノにならない現実から、日本人の大人たちの思い込みが、先入観としてブレーキをかけてもいるのであろう。事実、その二刀流放棄の外圧は、大方正しいものである。しかし、そうした、世の‘そんなに現実は甘くはない!’といった社会通念をどうはねつけるか、それは、その人本人の信念と埋蔵された才能との、一致にある。多くのメジャーリーグの日本人開拓者は、これをものの見事に成功させている。

 近鉄時代に、名投手だった鈴木啓示にトルネードを辞めろと指導を受け、それを突っぱねて、自己流トルネ―ドを貫きメジャーで開花した野茂英雄、オリックス時代に、V9の功労者で、名二塁手でもあった土井正三に、振り子打法を否定されたイチロー、そして、あの名伯楽野村克也氏にも、ピッチャーか打者のどちらかにした方がいいと{※その後、二刀流無理論を撤回した}、苦言をメディアでされていても大成功した大谷翔平、そうした、名選手は世の風評が、自身の青写真とは全く違うことを確信してもいたのであろう。また、それは、結果論からいえば、「コロンブスの卵」に類する成功例とも言えなくもない。余談ながら、自己の流儀を貫き通したこの3人は、血液型がB型なのである。野村氏曰く「プロ野球の名選手にB型が多い」、それが証明されてもいる。こうした、3人に共通するのは、野球の<一般論=常識論>と野球の<特殊論=非常識論>のせめぎ合い、葛藤から、止揚した、<スタンダード>と<オッリジナリティ>との、見えない二刀流と、私は呼びたいのである。自己の独特な流儀を有し、ある道に精進し、その道で大成した人も、ある意味、私にとっては、二刀流なのである。これを、飛躍ととるか否かは、読者の判断に委ねる。

 大手予備校から中堅予備校の営業職、また、経営幹部とやらの思いは全くあずかり知らぬが、何百、何千人といった予備校講師の応募で、二刀流を申し出た人間がいなくもないような気がする。実際、林修は、東進に初年度は数学講師として採用されたが、その後、現代文講師に鞍替えしている。しかし、そのカリスマ現代文講師の林氏でも、古文や漢文も教えられるであろうか、彼は、そのエネルギー、努力を、テレビという世界の芸人としての資質を磨く道を選んだもようである。これからの予備校世界の縮小を見越してのことかもしれない。予備校業界初の、二刀流ともいえるかもしれない。私の知るなかで、昭和の時代、英語を教えて、メディアにも重宝された、金ぴか先生こと、佐藤忠志は、二刀流くずれに終わった。平成前半、古文を教えていた、暴走族あがりの、ヤンキー先生こと、吉野敬介も、教室では、個性は光るが、テレビなどのメディアでは、特に、光らない。だから、重宝されずに終わった。彼の個性は、ネット等でお見掛けするが、テレビ向きではない。駿台の数学講師、秋山仁などは、個性も光り、弁舌も巧み、自身が‘落ちこぼれ’から這い上がった数学者だけあって、キャラも親しみをもって迎えられた平成前半までが懐かしい。しかし、彼も、タレントとはならなかった。林修が文系であった気質との大きな分水嶺でもあろうか?また、秋山が、すでに大学の教授という肩書があることと、林が、そうではないこと(ノンタイトル者)と、芸能界での生きる、その覚悟の違いかもしれない。また、真のミーハーであるか否かの違いかもしれない。佐藤にしろ、吉野にしろ、秋山にしろ、この御三方は、高校時代は、みな、勉学の挫折者でもあった。大学受験の敗者を経験してもいた。一方、林修は、それとは真逆の、対極の中等教育を経てきた。その、受験という頭脳を有する段階から、もう、卒業したい、次の段階へ進みたい、本来自身はミーハーでもあるとの自覚から、今や、東進を踏み台にして、ワタナベエンターテインメント所属の芸人にステップアップした。本願を叶えたのでもあろう。テレビに映る彼の表情は生き生きしている。
 では次回は、この二刀流という語を、違った角度から敷衍していきたい。
                              つづく

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