コラム

自由を求めて、個性が逃げてゆく

 どうして19世紀前半、弱小国だったプロイセン(ドイツ)で、義務教育が始まったのか?中世における大学という存在が生まれた13世紀から600年以上も後になって、初等教育の方が、高等教育よりもずっとあとになって生まれた事実である。これは、フランス発祥の徴兵制も19世紀と機を同じくする。近代国家、富国強兵で、一歩抜きんでた国家をつくるためである。ドイツは、フリードリヒ大王、フランスは、革命からナポレオン期において端緒とする。

 言語の国家内の統一も、同様である。王侯貴族以外の庶民は、言語もばらばら、風俗習慣もまちまち、知的水準もデコボコ、市民国家として、機能し、発展するうえでは、“個性”の寄せ集めとでもいっていい“国民”を、学校という制度の下にどう束ねるか、まるで工業製品のように、すべてがすべて規格統一された人間を輩出せずして、国家興亡の命運を左右しかねないと上層部が考えたからだ。
 義務教育、徴兵制、言語統一、こうした手法に則り、19世紀の欧州の列強は帝国主義で先頭を走った。もちろん、そうした改革の分母には、産業革命があった。これを明治新政府は、模倣したに過ぎにない。日本史の富国強兵・殖産興業なるスローガンは、大久保利通が、遅れてきた帝国プロイセンのビスマルクの手法をパックったにすぎない。そして、個性の塊の寄せ集めでもある旧士族軍(薩摩軍)を、個性を滅却した平民集団(明治正規軍)が、打ち負かしたのが<西南の役>でもあった。

 教育においても、個性などとは、尊重もされぬ、学校のルール、しきたりが絶対でもあってきた。フーコーが指摘する、学校制度は、軍制度の焼き増しのシステムである所以である。ここに、20世紀の、フランス流とドイツ流の教育・軍制の複合形が第一次、第二次大戦の主役国ともなる。それが、1990年代までおおむねつづくのである。ほぼソ連陣営の敗北による東西冷戦の終焉と時機がダブる。

 戦後、人権、市民権、男女平等が叫ばれ、死刑廃止国が増えるように、徴兵制の国家も激減してゆく。国権より人権が明瞭に上位に台頭してくる。そうした社会の進歩・発展もあずかってか、従来の反動として、初等教育における、個性の尊重が謳われるようになった。1967年のパリ五月革命から、世界中に飛び火した学生運動の波が、高等教育における“個性”の推進、アカデミズムの非権威化への趨勢のきっかけともなった。昭和40年代、50年代、少子化など夢の世界の物語、受験競争ならぬ、受験地獄、公立中学も厳格な校則、男子は丸坊主頭、女子は三つ編みやお下げが主流でもあった。その反動で、80年代初期から校内暴力が問題化する。尾崎豊が、ティーンエイジャーのカリスマともなる時期だ。高等教育から中等教育へ、少年少女の反乱・反抗である。スカートなんぞは、ほとんどがひざ下が全員でもあった。私立の中高一貫校なども、男女を問わず、校則の束縛を、当然ともみなしていた時代である。これが、冷戦の終結、ソ連の崩壊、アメリカ主役のグローバルスタンダードの波と日本社会の、世にいう“失われし30年”と少子化の中、学校の権威は、特に、学びにおける主役の地位から、東進ハイスクール<学びの武士階級>の台頭に象徴されるように、没落貴族の運命とも成り下がってゆく、学校の当たり前が、当たり前ではなくなってゆく。学校の“社会化”である。鎖国的教育機関からの、一種、開国状態へと突き進んでも行く。得に、公立高校の女子生徒の、すっぴんから薄化粧へ、時に、厚化粧へ、そうした電車内の通学光景がはっきり映し出してもいよう。とりわけ、公立の中高の生徒が変貌が著しいい。制服姿で、スタバの紙カップを持ち歩く光景なども象徴的である。中等教育の公立校にとって、制服はあって無しが如きの状態でなっている。スカートの下にジャージをはく女子生徒の姿は、平成初期には、皆無であった。こうした学校教育の風潮に掉を指して成功したのが、麹町中学校における工藤勇一氏の“学校の当たり前をやめた”である。

 こうした大局的、グローバル的、巨視的視点でわかりにくければ、例えば、小学校から女子大まである、白百合学園・湘南白百合学園の生徒たちの生活メンタル、そして、制服、身だしなみ、そして、勉学への意識というものを、昭和、平成、令和をと概観してみると、まさしく、厳しい規律から、ゆるい規律、そして、規律からの脱却へと校風が推移してきたことが、その証左ともなるであろう。また自校の女子大へのリスペクトの念の濃淡の変化である。もう平成9年から弊塾を横浜で主宰している立場上、特に、湘南白百合の女子生徒の気質が、時代の写し鑑でもあろう、社会の価値観の学園内への取り入れでもあろう、少子化と教育のサービス化も加味してもいよう、義務より権利を主張するモンスターペアレントの存在の台頭もあずかってか、この女子校の生徒のキャラが、他の高校の生徒と変わり映えがしない存在になれ果ててきてもいる。是非は言うつもりはない。地上波が、コンプラやSNS(YouTubeやサブスク番組)などで、つまらないコンテンツのものに成り下がった現象と瓜二つである。自由を最優先して、むしろ、個性がなくなってしまっている、その教育的皮肉である。これも、文明栄えて文化滅ぶという、人間社会の“進歩・進化”の必然、いや、宿命でもあろう。男女同権、国家の北欧化が、良妻賢母という概念を死語にしたように!

 今では、医学の進歩も預かって、発達障害、AGHD、アスペルガーなど、従来だったら学校という制度内では、問題児扱いされた子供や少年が、個性の塊、時に、ギフティッドとさえちやほやされる時代ともなっている。『発達障害は最強の武器である』(成毛眞)という、“開き直った”新書まである。これに類する書籍がなんと多い昨今であることか。学習障害が、何か、その人の、“プラスの個性”でもあるかのように、いや、むしろ、その人の、教育的特権でもあるかのように、容認され、寛容度の度合いが増し続けている。そのマイナスをプラスに転化した成功組は、問題はない。世は、その通りに成功する者など少数派だ。パラリンピック、デフリンピックと、近年は、何と障害者を考慮しての世の中になってきたことか、また、発達障害といった範疇でも同様の傾向である。身体的障害、精神的疾患、発達障害、学習障害などなど、これらは先天的な個性として敬われる、尊重される時代にもなってきたということか?

 私が、意義申したてしたいのは、こうした、“個性”という篩の目にとまらず、すり抜けてゆく、約8割以上の子供から少年にかけて、個性、個性と唱道し、何か、その子だけの強み、得意、才を見つけてあげようとする、錯覚的風潮なのだ。

 もう20年以上も前、2002年に出版され、令和7年の現在でも450万部の驚異的部数を記録している『バカの壁』(養老孟司)が、実は、こうした時代の流れを、揶揄する、冷笑する、皮肉る形で、問題提起したに過ぎない。現代のSNSという、一見して壁には見えない、むしろ衝立が、大衆を、悪い意味での、“個性化”=“バカ”にしてゆく世の趨勢を予言してもいた。

 世界の王室を眺めまわしても、日本の皇室ほど、権利と義務を天秤にかけたとき、後者に比重をかけて、それに軸足をおいて社会貢献している王室はないと断言できる。総理大臣の政治的外交力を超然とした、権威としての“ソフトパワー”が、現代日本のイメージにどうれほど貢献していることか。もう、10年近く前に、上皇ご夫妻が、その範を垂れた。今上陛下を経て愛子親王は、その系譜に入るが、悠仁親王は、前者を優先している感を国民は抱いているようだ。ここにも、日本の皇室の行く末の命運がかかってもいようか。

 国民、大衆は、洋の東西を問わず、義務より権利を主張するを当たり前とする時代であるからこそ、自身のキャラにかぶる悠仁親王より、ないものねだりの、自己の理想形ともいえる、権利より義務を最優先する愛子親王に、自己の理想形を投与している証が、愛子様人気の底流に流れている国民感情でもある。


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