コラム

ノーベル賞受賞者の京大と東大出身者から見える教育の実相

 今年も、ノーベル賞受賞者が、二人出た。それも京都大学出身者だ。自然科学系の受賞者は、有名なことだが、東大より京大の方が断然多い。それもだ、東大出身の自然科学系受賞者は、その後、アメリカの大学で研究を積み、その発見のヒントを得た者がほとんどで、国内(母校の東大)にいて、その研究実績が、受賞に直に結びついたケースは、小柴昌俊氏くらのもであろう。一方、京大出身の研究者は、母校に在籍していた頃、その発見のひらめきやヒント、また、仮説を抱き、研究施設の充実したアメリカでその仮説のエヴィデンスを確立し、受賞に結びつけた者が多い。

 こうした差は、どこに起因するのだろうか?東大はそもそもエリート官僚養成のために設立された旧帝大の“長男”である。それゆえ、初等・中等教育の段階で、メリトクラシーの路線で、否応なく、出世主義・官僚主義・エリート主義、こういった陋習の観念に理系でも染まってしまう傾向が高い。その典型ではないが、カリスマ外科医、神の手を持つ外科医など、まず、東大理Ⅲ出身者は、皆無なのである。あの天皇の心臓バイパス手術を行った天野篤は、三浪して日大医学部に入った、雑草組・叩き上げ組の彼に、東大医学部の部局の教授らが執刀医として、三顧の礼をももって依頼したくらいである。

 こうした例からも、東大という所は、理系であれ、助手、准教授、教授と、まず、白い巨塔ではないが、権威として出世することが、内心、科学者の行動を規定している嫌いがなくもない、いや、その気が大いにあるということだ。
 それに対して、京大は、帝都の東京から遠い、また、大阪という日本第二の都市にも近い、地政学ならぬ“地知学”の見地からも、そうした、国家を背負う、末は、博士か大臣かという気概も比較的薄い学風というものを生みだしたと考えられる。

 これは、戦後最も偉大な首相とも言い得る吉田茂、その吉田学校の弟子でもある、池田勇人{帝大の次男坊京大出身}と佐藤栄作{帝大の長男坊東大出身}を比べるとそのキャラが鮮明に浮かびあがってもくる。やんちゃ坊主と秀才の赴きである。また、戦後最も有名になった石原兄弟の、慎太郎{一橋出身だが、インテリの雰囲気漂う東大的キャラ}と裕次郎{慶應大学だが、大衆に愛される京大的キャラ}の二人を比べてみても興味深い面が多々浮かび上がってもくる。

 京大は、一般的に、“自由の学風”とも言われる大学だが、東大には、その“自由さ”という匂い、側面はなく、大学受験までの猛勉強、その延長線として高等教育の場があるきらいがある。文系だとエリート官僚か司法界の重鎮ともなることが目標、理系だと、その専門の権威として、できれば母校の教授、そうでなければ、地方の公立大学の教授に納まり、中年以降は、“研究者の公務員”として納まり、定年まで勤めあげれば、それで御の字とする魂胆が透けて見えてもくる。勿論、京大や阪大、名大などもこうした種族は当然いようが、東大の比ではないのだ。
 これから述べる一般論とやらは、少子化ニッポン、GDPで下降線を辿るニッポンでは、該当しなくなる事例でもあることを断ってもおく。

 京都大学が、湯川秀樹以来、自然科学系ノーベル賞受賞者の総本山でもこれまであってきた。これは、十年以上先には、受賞者は全くでなくなるという予測もある。これは、学生数の激減と文科省からの研究費(基礎研究費)の助成金の削減の二つが最大の要因でもあろう。
 京大へ進む者であれ、東大に進む者であれ、高校生までは、特に、6年間、勉強に継ぐ勉強、頭に、人類のこれまでの知識、叡智の結晶を詰め込みに詰め込んだ、一種、知の飽和状態にある選ばれし若者である。その段階で、高校は興味あるもの、関心があるもの、好きなもの、こうしたものを、断食状態で、封印せざるを得ない状況の下、十代後半を過ごす傾向にあるのは有名な事実である。こうした意識(やりたいことが頭にある状態)の対象を、温存、静かに温めて抱懐、あるいは、勉学と同時並行で、密かに実践してきた中等教育を経てきた者は、自身の進む学部や方面と連結しやすい。真のエリート校かのリトマス試験紙が、こうした心根を有して英数国理社に勤しんでいるかいなかにある。灘、筑駒、麻布などは、こうした傾向をもつ学校の典型でもあろう。

 こうした受験エリート組でも、大学という高等教育のキャンパスに身を置かれた時、やっと自分の目指す方向性に船出ができる、やっとやりたいことに手を染める、そう考えた段階から、学びの自由という学風に置かれるのが京大であり、中等教育の、一種延長線として、また、司法試験をめざすように、従来の治験・実例を学び、理系の権威を目指そうとする心を抱く傾向が強いのが東大でもある。東大は、やりたいことと出世を被らせてしまうということなのだ。

 わかりやすくいえば、高校まで学んだ知の脱構築をめざすのが、京大の理系の成功者のメンタルである。これまでの科学的に正しいとされることに疑問を抱き、自らの“道”を拓いていこうとする気概を持つ学生である。一方、18歳まで習得してきた知という屋上に、更に建築階を築こうとして、巨塔を築こうとするのが、“白い巨塔”“象牙の塔”でもある大学、これが東大的研究者の気質の色合いでもある。

 別の見方をすれば、東大は平安時代までの、“知の貴族”のような存在で、京大は鎌倉時代からの“知の武士”のような存在でもあろうか。

 ここで私が言いたい点は、次のような点に尽きるのだ。
 大学時代は、自ら率先して、興味あること、好きなことを深化してゆく場であるという事実が現に存在しても、その前段階では、当然ながら、英数国理社という基礎知識があって初めて、高等教育における“自由な教育”が効果がでる、大学生の資質が花開くのに、中等教育の段階で、そうした基礎知識を蔑ろにして、まず、学びの自由だ!と叫ぶ教育的風潮が問題なのだ。世は、エジソンやモーツァルトの卵がうようよしているという幻想を抱いているということだ。
 逆に、高校時代の勉強の延長線上で、高等教育を考えている準秀才以下の、お勉強族の跋扈、増殖、これも問題なのだ。大学時代に、あれやこれやの資格をとっておこう、就職に有利な学部はどこかがまず意識にあがる、どうしたら就活の勝ち組になれるか、そうした姑息で、抜け目のない、矮小な意識で、大学4年間をアルバイトと同時並行して過ごす学生のなんと多いことか!自身のやりたいことが分からず大学生になった種族、大学生時代にやりたいことが見つからなかった部族、こうした輩は、昭和の時代からも多かった。そうした彼らは、昭和から平成初期まで、社会人になり、会社や世間から覚醒させられた。GDPが世界第2位の、バブルまでの“良き日本”という社会も、ポスト高等教育の役割を果てしてくれてもいた。令和は、こうはいかない。GDPが今や4位、来年にもインドに抜かれ第5位ともなる経済凋落国家の“肖像画”が、現今の大学生の自画像でもあるのだ。
 大学生になっても、<知の成人=学びを学問としてとらえる者>にならず、<知の未成年=学びをお勉強として思い込んでいる者>のまま、自主性が基軸となる、高校の延長線上で、まるで、専門学校のように、手に職をつけるが如く、就職に有利ななにかしろのものに飢えて大学生になる連中の増殖は、推薦で大学生になる高校生の増加と正比例している。
 次回は、本論を、大学の文系学生に敷衍して語ってみようかと思う。
 


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