コラム
秀才大学受験生と甲子園球児
昨年のワールドシリーズは、球史に残るベストともいっていい7戦であった。MVPは大谷ならぬ、3勝をあげた山本由伸である。この山本、オリックスにドラフト4位での入団だ。奇縁なるかな、イチローもオリックスに4位入団である。西武の松坂大輔や巨人の松井秀喜とは大違いな経歴である。松坂や松井は、甲子園の主役・スター球児、超話題の目玉選手で、鳴り物入りでプロ野球に足を踏み入れた。この4人を比較すると、秀才大学受験生の経路というものが、丁度、京大へ進む理系学生と東大へ進むそれとの心の持ち様ともかぶってくるような気がしないでもない。
まず、ここで前置きしておくと、高校時代が甲子園球児、大学進学後が日本プロ野球、そして、研究者として環境がメジャーリーグとも喩えておこう。
では、メジャーで大成功した3大選手を挙げれば、まずパイオニアの野茂英雄とスモールベースボールの真髄をアメリカ人に覚醒させたイチロー、そして、誰もが不可能と思っていた二刀流で、投打で超一流となった大谷翔平を挙げねばなるまい。この3者の共通項とは、周りとの闘い(常識や通説)に勝利した点でもある。因に、この3選手、みな血液型がB型である。日本プロ野球を見渡しても、B型は、長嶋、野村、稲尾、金田とみなキャラがたつ名選手が多い。B型は、よく言われる、“空気が読めないという気質”の芽が大輪の花・巨木となったケースでもある。
野茂は、近鉄入団当時、鈴木啓示監督やコーチ陣から、あの“トルネード投法”をやめろと再三忠告されても、それを無視して、そのスタイルを貫き、日米通算201勝の偉業をなしとげただけでなく、日本人選手がメジャーで通用する証ともいえる先達となった意義でパイオニアとされる。彼がいなければ、超一流メジャーリーガーのイチローも大谷もひょっとしたら出なかったやにしれない。それほど意義ある存在なのだ。
次にイチローである。彼も入団後数年、あの独特の“振り子打法”を、やめろと土井正三監督など首脳部から批判されていたにもかかわらず、その流儀を貫き通し、日本時代7年連続首位打者という肩書を有して、マリナーズに移籍する、その後、高速ピッチャーの多いメジャーで、それを自ら軌道修正して、改めていった。周りからのアドヴァイスではなく、内発的な打法の改良である。
最後に、言わずと知れた、真の意味での“野球二刀流”の祖、大谷翔平である。高校時代の延長線で、プロでもその流儀を貫く覚悟で日ハムに入団した。これも、監督の栗山英樹でなければ、完全否定されてもいたであろう。数年間の日本での二刀流成功のキャリアを引っ提げ、メジャーのエンジェルスに入団する。ここで、大輪の花を咲かせた。あの理論派の名将野村克也でさえ疑問視し、大谷の二刀流を無理だと否定していたくらいであるから、この日本プロはもちろんメジャーでさえも、この達成は、奇跡的偉業(天賦の才と傑出した努力の、化学的反応的なる賜物)でもあった。
この3者に共通する意識とは、入りたい日本の球団は、二の次であるという点なのだ。勿論、松坂や松井も、日本のドラフト制の下、そうした意識を持ってもいただろう。この3人は、プロ野球の世界に入って以後、どれだけ自己の野球の理想に近づけるように精進・鍛錬・研究を積み、どれだけの高みに登り詰めるかという自覚を有していたかということに尽きる。昭和から平成半ばにかけて、日本プロ野球は、高校生にしろ、社会人にしろ、半数以上の野球選手たる者、国民的球団ジャイアンツに入りたかった。典型的なケースでは、江川卓(江川事件で巨人のイメージは失墜した)、元木大介(野球浪人までして巨人へ)、長野一義(本田技研から巨人による指名がされるまで社会人選手にとどまった)など、挙げればきりがないほどだ。彼らのメンタルは、丁度、何が何でも、日本中の秀才(天才もか?)が、受験勉強(=甲子園)の末に、東大(=球界の盟主巨人)に入りたいという欲望に似て非ではないように思われる。入れば、理想の学問的環境、研究設備、素晴らしい教授たちに恵まれ、何か将来の目標なり目的なりを見出せるといった淡い研究者の希望的将来像を抱いている者が大勢を占めるはずだ。彼らには、一般的に、研究の夢、やりたいこと、こういったモチベ―ションはない、薄い、漠然とした者が殆どである{※こうでない者は天才肌である。この文脈では秀才以下の気質をいう}。いや、教授から、将来の、自身の研究課題を与えてもらえるような錯覚を抱く、つまり、一般的と断ってもおこう、こうした東大生は、人生の目標が外発的に大学で出会う、出会えるような妄想を抱いてもいる感が否めない。野茂は分からないが、イチローや大谷の、高校時代の、将来への野球への心象光景といったものは、日本プロ野球からメジャーへの、ある種、雄飛する自己の青写真なり、アスリートの設計図なりが描かれていたことは確かであろう。一方、松井秀喜などは、掛布雅之に憧れ阪神タイガースが第一志望の球団であった。それが、巨人の長嶋監督が、ドラフトで一位指名を得て、その後、まるで荒川博打撃コーチと王貞治の師弟関係に比肩できるマンツーマン指導の下に、大打者に成長してゆく。もし、阪神に入っていたら、これほどの名選手になっていたか疑わしい。それほど、松井は入団後に、長嶋という僥倖に出会えたことが幸いしたと想像するのは私の空想であろうか?伝説の甲子園投手から西武に入団した松坂大輔も同様である。初年度から、名投手東尾修の下で、同じ投手として、放任的自由で成長した選手である。松井とは、ある意味、対局であろうか。松坂は、放牧が功を奏した例である。
話は元に戻るが、あの山本由伸は、高校時代に、甲子園には出場していない。野茂英雄(新人時代から4年連続最多勝:超凄い!)と同じである。野茂は、社会人野球選手ながらドラフトで8球団から1位指名である。オリックスにドラフト4位で入団し、その後、日本プロ野球で輝かしいキャリア(3年連続“投手4冠”と3年連続沢村賞・MVP:超超凄い!)を積み、ドジャースに移籍して、昨年のワールドシリーズのMVPである。将来、日本人初のサイヤング賞も可能性は非常に高い。彼の野球流儀も、やはり、野茂、イチロー、大谷と同様に独自のもの、同系列のものがある。それは、“やり投げトレーニング”でも証明済みである。これも、肩を壊すだの、フォームが崩れるだの、周りの忠告、批判などモノともせず、自己のトレーニング流儀を貫いている姿など、野茂から大谷のスーパースターの系譜に属する証とも言える。
では、次回、この秀才大学受験生と甲子園球児という関係性を、もう少し広い角度から語ってみたいと思う。
まず、ここで前置きしておくと、高校時代が甲子園球児、大学進学後が日本プロ野球、そして、研究者として環境がメジャーリーグとも喩えておこう。
では、メジャーで大成功した3大選手を挙げれば、まずパイオニアの野茂英雄とスモールベースボールの真髄をアメリカ人に覚醒させたイチロー、そして、誰もが不可能と思っていた二刀流で、投打で超一流となった大谷翔平を挙げねばなるまい。この3者の共通項とは、周りとの闘い(常識や通説)に勝利した点でもある。因に、この3選手、みな血液型がB型である。日本プロ野球を見渡しても、B型は、長嶋、野村、稲尾、金田とみなキャラがたつ名選手が多い。B型は、よく言われる、“空気が読めないという気質”の芽が大輪の花・巨木となったケースでもある。
野茂は、近鉄入団当時、鈴木啓示監督やコーチ陣から、あの“トルネード投法”をやめろと再三忠告されても、それを無視して、そのスタイルを貫き、日米通算201勝の偉業をなしとげただけでなく、日本人選手がメジャーで通用する証ともいえる先達となった意義でパイオニアとされる。彼がいなければ、超一流メジャーリーガーのイチローも大谷もひょっとしたら出なかったやにしれない。それほど意義ある存在なのだ。
次にイチローである。彼も入団後数年、あの独特の“振り子打法”を、やめろと土井正三監督など首脳部から批判されていたにもかかわらず、その流儀を貫き通し、日本時代7年連続首位打者という肩書を有して、マリナーズに移籍する、その後、高速ピッチャーの多いメジャーで、それを自ら軌道修正して、改めていった。周りからのアドヴァイスではなく、内発的な打法の改良である。
最後に、言わずと知れた、真の意味での“野球二刀流”の祖、大谷翔平である。高校時代の延長線で、プロでもその流儀を貫く覚悟で日ハムに入団した。これも、監督の栗山英樹でなければ、完全否定されてもいたであろう。数年間の日本での二刀流成功のキャリアを引っ提げ、メジャーのエンジェルスに入団する。ここで、大輪の花を咲かせた。あの理論派の名将野村克也でさえ疑問視し、大谷の二刀流を無理だと否定していたくらいであるから、この日本プロはもちろんメジャーでさえも、この達成は、奇跡的偉業(天賦の才と傑出した努力の、化学的反応的なる賜物)でもあった。
この3者に共通する意識とは、入りたい日本の球団は、二の次であるという点なのだ。勿論、松坂や松井も、日本のドラフト制の下、そうした意識を持ってもいただろう。この3人は、プロ野球の世界に入って以後、どれだけ自己の野球の理想に近づけるように精進・鍛錬・研究を積み、どれだけの高みに登り詰めるかという自覚を有していたかということに尽きる。昭和から平成半ばにかけて、日本プロ野球は、高校生にしろ、社会人にしろ、半数以上の野球選手たる者、国民的球団ジャイアンツに入りたかった。典型的なケースでは、江川卓(江川事件で巨人のイメージは失墜した)、元木大介(野球浪人までして巨人へ)、長野一義(本田技研から巨人による指名がされるまで社会人選手にとどまった)など、挙げればきりがないほどだ。彼らのメンタルは、丁度、何が何でも、日本中の秀才(天才もか?)が、受験勉強(=甲子園)の末に、東大(=球界の盟主巨人)に入りたいという欲望に似て非ではないように思われる。入れば、理想の学問的環境、研究設備、素晴らしい教授たちに恵まれ、何か将来の目標なり目的なりを見出せるといった淡い研究者の希望的将来像を抱いている者が大勢を占めるはずだ。彼らには、一般的に、研究の夢、やりたいこと、こういったモチベ―ションはない、薄い、漠然とした者が殆どである{※こうでない者は天才肌である。この文脈では秀才以下の気質をいう}。いや、教授から、将来の、自身の研究課題を与えてもらえるような錯覚を抱く、つまり、一般的と断ってもおこう、こうした東大生は、人生の目標が外発的に大学で出会う、出会えるような妄想を抱いてもいる感が否めない。野茂は分からないが、イチローや大谷の、高校時代の、将来への野球への心象光景といったものは、日本プロ野球からメジャーへの、ある種、雄飛する自己の青写真なり、アスリートの設計図なりが描かれていたことは確かであろう。一方、松井秀喜などは、掛布雅之に憧れ阪神タイガースが第一志望の球団であった。それが、巨人の長嶋監督が、ドラフトで一位指名を得て、その後、まるで荒川博打撃コーチと王貞治の師弟関係に比肩できるマンツーマン指導の下に、大打者に成長してゆく。もし、阪神に入っていたら、これほどの名選手になっていたか疑わしい。それほど、松井は入団後に、長嶋という僥倖に出会えたことが幸いしたと想像するのは私の空想であろうか?伝説の甲子園投手から西武に入団した松坂大輔も同様である。初年度から、名投手東尾修の下で、同じ投手として、放任的自由で成長した選手である。松井とは、ある意味、対局であろうか。松坂は、放牧が功を奏した例である。
話は元に戻るが、あの山本由伸は、高校時代に、甲子園には出場していない。野茂英雄(新人時代から4年連続最多勝:超凄い!)と同じである。野茂は、社会人野球選手ながらドラフトで8球団から1位指名である。オリックスにドラフト4位で入団し、その後、日本プロ野球で輝かしいキャリア(3年連続“投手4冠”と3年連続沢村賞・MVP:超超凄い!)を積み、ドジャースに移籍して、昨年のワールドシリーズのMVPである。将来、日本人初のサイヤング賞も可能性は非常に高い。彼の野球流儀も、やはり、野茂、イチロー、大谷と同様に独自のもの、同系列のものがある。それは、“やり投げトレーニング”でも証明済みである。これも、肩を壊すだの、フォームが崩れるだの、周りの忠告、批判などモノともせず、自己のトレーニング流儀を貫いている姿など、野茂から大谷のスーパースターの系譜に属する証とも言える。
では、次回、この秀才大学受験生と甲子園球児という関係性を、もう少し広い角度から語ってみたいと思う。