コラム
料理・音楽・教育の精髄は同じ!
久々に心に響く番組、私に似た人生ルートを経た料理人を取り上げた、串カツ料理人、長谷川勤の『情熱大陸』(1月25日)の回を観た。これぞ、傍流の極みでもあるキャリアである。
関西尼崎出身の74歳の串カツ職人である。4人兄弟の長男で、中学を卒業するや、日本料理の世界に入る。その後40歳で独立するが、よい物件がなく、3年間串カツ店をやり店じまいした店舗(居抜き物件)を借りる。理由は、お金がなかったからだ。日本料理で天ぷら学んだ技を生かし、3年ほど、串カツをやったのち、金が溜まったら、魚料理の専門店でも開こうかと算段していた。いつのまにか、この道(串カツ)にのめり込み、串カツ料理という、関西のソウルフードの典型でもある串カツという庶民料理に革命を起こすまでなる。B級グルメを芸術の高みにまで極めた男となったのである。
私の率直な感想である。テレビで高級フレンチ(クラッシック音楽)や高級中華料理(ジャズ音楽)を見ても、それと比肩しても、この長谷川が揚げる串カツ(ポップス音楽)ほど食べてみたい(聴いてみたい)という食欲に駆られる魅力は優っているのだ。この思いは、標準的一流のモノやヒトよりも、超二流の方が輝いて見える心的現象と同じものだ。私の食のレンジが狭いのかもしれないが、正直、大衆の味覚の基準でいっても大まか間違ってはいないだろう。これは、若輩者の我ながら、原文でイギリス小説やフランス小説を読むよりも日本語で翻訳で読む方が、本場インドのカレーよりは、日本人が街角で開いているカレーの名店の方が、脳髄や味覚に訴えてくるインパクトが違い、優っているという事例とも似ていようか。
実は、この長谷川の人生は、もし、一人っ子、また、二人兄弟で、高校、あるいは、大学に進んでいたら、今では、無名なサラリーマンとなっていたやに知れぬ。また、二十年以上務めた日本料理の店の店長になっていたら、また、独立して、いい日本料理の別件にありついていたら、また、新店舗を開くだけの資金があったなら、そうした、IFを夢想せずにはいられない人生でもあるのだ。その弟子で、料理長を務める小林剛46歳にして店長でもある彼も、日本料理に挫折し、この長谷川の下にやってきた経緯の持ち主である。
「人生はあざなえる縄の如し」「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったもので、英語の“blessing in disguise”にも適応できる真実である。この人生上の、“裏町街道の成功者”の摂理とは、様々なジャンルにも言える。この真実を、受験生の失敗者は心に留めておいて欲しい。“不如意が僥倖に化ける”ことを肝に銘じることだ。
大方の、名だたる予備校講師も、無意識に“blessing in disguise”を地で行った種族である。サラリーマンに頓挫した者(東進の林修)、研究の世界から放逐された者(駿台の山本義隆)、教師の世界が水に合わなかった者(代ゼミの富田一彦)など、教育の世界では、傍流とされる教育産業で地歩を固めた人々である。
ある英文の引用なのだが、「歴史家は、ジャーナリストを歴史の根拠(史料)に欠けていると批判し、法律家は法律の厳格さに欠けている、そして、文芸批評家は、文章の巧みさに欠けているとそれぞれ批判する。しかし、ジャーナリストは歴史家でもなければ、法律家でもななく、作家でもない。ジャーナリズムという一つのジャンルを開拓した、ある意味、何でも屋の総合人なのだ。」こうした、ジャーナリストを揶揄する意見に反発するものがあるが、筑紫哲也や池上彰をジャーナリスト以外に、何に定義することが可能だというのだろうか。
学際的という言葉があるが、その“際”に位置している教え人、それが、予備校講師という生業の正体である。英米文学の教授が、中高生に一から英語を教えるを苦手とし、中高の英語教師が、大学1,2年生に、英米文学や英語学を教えるを難とするように、実は、予備校講師とは、ある意味、“一流と二流を繋ぐ役割”をするハイブリッド族でもあるのだ。そうした意味でも、この串カツ職人長谷川勤は、日本料理の粋とB級グルメの核心、これを結びつけた食の開拓者でもあるということだ。
「お客の満足度は、丹念な手間に比例する」これは、串カツの長谷川だけの謂いではない。すべての仕事に言い得て妙の心持でもあろう。
最後に、長谷川とのインタヴューのやり取りを記しておこう。
「みんなが笑顔で“行ってよかった また行こな”と思っていただけたらいいですね」
―お店を始めた時から変わってないですか?―
「一緒やな」「そうなるように頑張ってみましたから」「ほんまは魚(料理)専門店やりたかったんやけどな」
このやりとりを聴いて、アーティスト(芸術家)よりもアルチザン(職人)でありたいと公言する、“音の職人”“サウンドの魔術師”山下達郎も自身のライブに関して、同じようなことを語っている。
「僕のライブを観て、聴いて、よっかた、また、足を運んで、観に来ようと思ってくれるように、毎回ライブをやっているんです」
山下達郎のジャンルは、ポップスである。クラッシックが一流、ジャズが二流、ロックやポップスは三流、いわゆる業界では<第一身分、第二身分、第三身分>という格付けやレッテルという視点から観れば、ポップスとは、ある意味、串カツのようなB級グルメに該当する。そのポップスとは、彼は次のように定義してもいる。
「ポップ・ミュージックなんてしょせん、卑賎な肉体に宿る高貴な魂みたいなものでしょ。アカデミズムとは無縁のものだし、特にロックンロールはそう。基本的に大衆文化っていうのは市井の俗人の奥底に秘められた高貴な魂みたいな、ね」弊著『ポップスの規矩』より
「紆余曲折の中で得た一つの教訓は、ポップスってものは、やはり大衆とクオリティとの幸福な共存……っていうか」弊著『ポップスの規矩』より
こうした山下達郎の心の基軸というもは、横浜の場末の、ちいさな英語塾の一英語講師のメンタルの中に、串カツ料理人、ミュージシャン、英語講師と、その経巡る循環的モットーとして鳴り響いてもいる。そして、この精神の根底の分水嶺というものは、次の言葉に集約もされようか。
「鍬も剣なり 剣も鍬なり 土にいて乱を忘れず 乱にいて土を忘れず」『宮本武蔵』(吉川英治著)
関西尼崎出身の74歳の串カツ職人である。4人兄弟の長男で、中学を卒業するや、日本料理の世界に入る。その後40歳で独立するが、よい物件がなく、3年間串カツ店をやり店じまいした店舗(居抜き物件)を借りる。理由は、お金がなかったからだ。日本料理で天ぷら学んだ技を生かし、3年ほど、串カツをやったのち、金が溜まったら、魚料理の専門店でも開こうかと算段していた。いつのまにか、この道(串カツ)にのめり込み、串カツ料理という、関西のソウルフードの典型でもある串カツという庶民料理に革命を起こすまでなる。B級グルメを芸術の高みにまで極めた男となったのである。
私の率直な感想である。テレビで高級フレンチ(クラッシック音楽)や高級中華料理(ジャズ音楽)を見ても、それと比肩しても、この長谷川が揚げる串カツ(ポップス音楽)ほど食べてみたい(聴いてみたい)という食欲に駆られる魅力は優っているのだ。この思いは、標準的一流のモノやヒトよりも、超二流の方が輝いて見える心的現象と同じものだ。私の食のレンジが狭いのかもしれないが、正直、大衆の味覚の基準でいっても大まか間違ってはいないだろう。これは、若輩者の我ながら、原文でイギリス小説やフランス小説を読むよりも日本語で翻訳で読む方が、本場インドのカレーよりは、日本人が街角で開いているカレーの名店の方が、脳髄や味覚に訴えてくるインパクトが違い、優っているという事例とも似ていようか。
実は、この長谷川の人生は、もし、一人っ子、また、二人兄弟で、高校、あるいは、大学に進んでいたら、今では、無名なサラリーマンとなっていたやに知れぬ。また、二十年以上務めた日本料理の店の店長になっていたら、また、独立して、いい日本料理の別件にありついていたら、また、新店舗を開くだけの資金があったなら、そうした、IFを夢想せずにはいられない人生でもあるのだ。その弟子で、料理長を務める小林剛46歳にして店長でもある彼も、日本料理に挫折し、この長谷川の下にやってきた経緯の持ち主である。
「人生はあざなえる縄の如し」「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったもので、英語の“blessing in disguise”にも適応できる真実である。この人生上の、“裏町街道の成功者”の摂理とは、様々なジャンルにも言える。この真実を、受験生の失敗者は心に留めておいて欲しい。“不如意が僥倖に化ける”ことを肝に銘じることだ。
大方の、名だたる予備校講師も、無意識に“blessing in disguise”を地で行った種族である。サラリーマンに頓挫した者(東進の林修)、研究の世界から放逐された者(駿台の山本義隆)、教師の世界が水に合わなかった者(代ゼミの富田一彦)など、教育の世界では、傍流とされる教育産業で地歩を固めた人々である。
ある英文の引用なのだが、「歴史家は、ジャーナリストを歴史の根拠(史料)に欠けていると批判し、法律家は法律の厳格さに欠けている、そして、文芸批評家は、文章の巧みさに欠けているとそれぞれ批判する。しかし、ジャーナリストは歴史家でもなければ、法律家でもななく、作家でもない。ジャーナリズムという一つのジャンルを開拓した、ある意味、何でも屋の総合人なのだ。」こうした、ジャーナリストを揶揄する意見に反発するものがあるが、筑紫哲也や池上彰をジャーナリスト以外に、何に定義することが可能だというのだろうか。
学際的という言葉があるが、その“際”に位置している教え人、それが、予備校講師という生業の正体である。英米文学の教授が、中高生に一から英語を教えるを苦手とし、中高の英語教師が、大学1,2年生に、英米文学や英語学を教えるを難とするように、実は、予備校講師とは、ある意味、“一流と二流を繋ぐ役割”をするハイブリッド族でもあるのだ。そうした意味でも、この串カツ職人長谷川勤は、日本料理の粋とB級グルメの核心、これを結びつけた食の開拓者でもあるということだ。
「お客の満足度は、丹念な手間に比例する」これは、串カツの長谷川だけの謂いではない。すべての仕事に言い得て妙の心持でもあろう。
最後に、長谷川とのインタヴューのやり取りを記しておこう。
「みんなが笑顔で“行ってよかった また行こな”と思っていただけたらいいですね」
―お店を始めた時から変わってないですか?―
「一緒やな」「そうなるように頑張ってみましたから」「ほんまは魚(料理)専門店やりたかったんやけどな」
このやりとりを聴いて、アーティスト(芸術家)よりもアルチザン(職人)でありたいと公言する、“音の職人”“サウンドの魔術師”山下達郎も自身のライブに関して、同じようなことを語っている。
「僕のライブを観て、聴いて、よっかた、また、足を運んで、観に来ようと思ってくれるように、毎回ライブをやっているんです」
山下達郎のジャンルは、ポップスである。クラッシックが一流、ジャズが二流、ロックやポップスは三流、いわゆる業界では<第一身分、第二身分、第三身分>という格付けやレッテルという視点から観れば、ポップスとは、ある意味、串カツのようなB級グルメに該当する。そのポップスとは、彼は次のように定義してもいる。
「ポップ・ミュージックなんてしょせん、卑賎な肉体に宿る高貴な魂みたいなものでしょ。アカデミズムとは無縁のものだし、特にロックンロールはそう。基本的に大衆文化っていうのは市井の俗人の奥底に秘められた高貴な魂みたいな、ね」弊著『ポップスの規矩』より
「紆余曲折の中で得た一つの教訓は、ポップスってものは、やはり大衆とクオリティとの幸福な共存……っていうか」弊著『ポップスの規矩』より
こうした山下達郎の心の基軸というもは、横浜の場末の、ちいさな英語塾の一英語講師のメンタルの中に、串カツ料理人、ミュージシャン、英語講師と、その経巡る循環的モットーとして鳴り響いてもいる。そして、この精神の根底の分水嶺というものは、次の言葉に集約もされようか。
「鍬も剣なり 剣も鍬なり 土にいて乱を忘れず 乱にいて土を忘れず」『宮本武蔵』(吉川英治著)