コラム

"塾の当たりハズレ"の淵源

 現今の様々な塾が、“学校の成績をあげる”だの、“英検を合格させる”だの、“志望大学に合格させる”だのといった、三大うたい文句で、生徒の集客に血眼になっている。こうしたキャッチコピー、いわゆる喧伝なるものは、表層的マーケティングに過ぎない。その教科の本質に目覚めさせ、その教科が面白い、そして得意科目となる経験を味わわせてあげることが、深層的マーケティング、つまりは、ブランディングとさえ言えるものである。塾の使命とは、それに尽きる。以上の三つの要件は、結果に過ぎにない。

「売り上げはあげなくてもいい、利益をあげろ」

「ライバルは見るな、お客様を観よ」

「業績は体質の結果である」


 これらは、Mrコンビニ、コンビの父とも称される鈴木敏文のものである。私は、大学卒業後、二年近く、この鈴木から、“謦咳に接する”に近い経験をした。

 平成後半から、予備校文化が衰退した。やはり、超少子化とデジタル化という時代の波に抗えない、そうした黒船が、教育産業を襲ったわけである。それに対して、教育産業は、以上の三点を売りにして営業に妄執し、雑魚踊りに明け暮れた、今でもそうである。

 私的ではあるが、自身は80~90年代の、ダイエー、ヨーカ堂、西友、ジャスコといった流通大戦争の激戦を体験している。また、ほぼ同時期、駿台、河合、代ゼミ、東進といった予備校戦国時代をも経験している。この二つの経歴から、まさしく英精塾が生まれたのである。

 予備校英語の神、伊藤和夫のエッセンスを、流通業界の神、鈴木敏文のパラダイムで料理し、お客さまという生徒に、これまで出してきた。

 少々飛躍もあろうが、哲人政治家、元首相の大平正芳の“楕円の哲学”にも比類している手法で塾を運営してもきた。この思想、中心軸を二つに置く考え方である。

 辛辣なことを言わせていただくと、令和の大手は当然なのだが、中小にいたってもほとんどが、営業と教務が分離している塾である。こうした塾は、私の流儀を理想としていない、いや、出来ないのである。実は、塾の当たりハズレは、ここに存する。

 塾長自身が入塾の面談をし、その塾長本人が授業を行う。しかもだ、個別と称する多くの塾は、一時間半であれば、一時間以上は実質自習の時間であり、二時間半であれば、二時間近くはこれも自習の時間である。弊塾は違う、一時間半の授業であれば、一時間以上は、塾長本人による生の対面授業であり、二時間半の授業であれば、二時間以上は、この露木によるライブ授業である。これが、弊塾の理念「大手の予備校で教える以上の高度の内容を個別形式で教授する私塾」という真意があり、実際にそれが実現可能なのである。
 




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