コラム

ポケトーク開発(カンブリア宮殿)を観て思ったこと①

 新年早々、なかなかインスパイアされる番組を見ました。テレビ東京のカンブリア宮殿(毎週木曜)です。取り挙げていた特集は『次世代ビジネスの挑戦者たち①』というものです。今や、明石家さんまのCMで有名になったポケトークの開発者でした。それは、自動翻訳機シェアで世界一になり、グーグル翻訳機能に比べれば格段に優っている商品です。
 
 1970年代後期、ソニーのウォークマンが世界を席捲しました。それ以前(1960年代)は、トランジスタラジオで、ソニーのネームヴァリューが飛躍的に高まりました。この両者に共通するコンセプトは、日本独自の住環境からもたらさせたとする説が有力であります。
 それは、ご存じの方も多いかも知れませんが、日本では一戸建て住宅の殆どが狭小住宅で、猫の額ほどの土地に3階立てのペンシル状のものが多い、また、建築家安藤忠雄のデビュー作“住吉の長屋”などは欧米人には、思いもつきません。また、隈研吾の木造を主体とした建築物、更に、坂茂の紙を建築資材に用いる発想の建築物なども同様です。こうした、世界に冠たる日本人建築家に共通する点は、一見して日本の欠点・ハンディとされてきた要素を逆転発想して成功した事例です。それは、海外留学経験などなくても、一番コルビジュエの遺伝子を日本風に受け継いでいるとも言える丹下健三がその<(さきがけ)>とも言ってもいいかと思います。
 アメリカの広い邸宅に、真空管のラジオをどんと置くスペースは当然ありましょう。その大型ラジオを、小型化する必要性・必然性など、アメリカのメーカーにしろ、消費者にしろ一切なかったのです。しかし、日本は、狭い4畳半、6畳の部屋に、タンスや食器棚などを置かざるをえません。ラジオの小型化は潜在的に需要があったのです。よって、ソニーは、半導体をラジオに取り込み、世界最小にして、最良のポケットラジオの開発に成功しました。そして、この持ち運び便利なラジオを、屋外で、競馬場やら、個人商店の狭い店先やら、レジャーやらで大活躍させたのです。その目の付け所を、副社長盛田昭夫は、欧米に大々的にセールスし、ソニーの世界的ブランドとしての礎を作ったのです。
 ウォークマンも然りです。社長井深大が、機内で好きなクラッシク音楽が聴けるテープレコーダーが欲しいと社員に呟やいたことがきっかけで、開発が進みました。そして、その製品を名セールスマン盛田昭夫が、あのカラヤンに提供し、彼は、それを聴いてその音質の素晴らしさに絶賛を惜しまなかったというエピソードは有名です。この世界的カリスマをもうならせた世界最小・最軽量の音楽再生機器、ウォークマンの名前が世界にとどろいてゆきます。世界の、ソニーブランドが確立した瞬間です。その画期性・独創性にあのスティーブ・ジョブスも、憧れ、影響されたと語っているほどです。
 トランジスタラジオにしろ、ウォークマンにしろ、その発想の原点は、日本の文化的・文明的なハンディが萌芽となっていることです。この視点は、ヨーロッパにしろ、アメリカにしろ、ビジネス上の盲点・死角となっているところです。
 
 では、このポケトークの画期性、生まれる所以も、以上のソニーの2製品と共通するものがあるということです。それは、言語の壁・言語の不自由さの文化的風土であります。
 そもそも、アメリカ人は、自国中心主義、英語“中華”思想の持主です。アメリカ大統領が、他の言語(フランス語やドイツ語など)を話している場面を一切見たことがありません。あの知的とされたオバマ大統領のフランス語はもちろん、インテリ弁護士でもあったヒラリー女史のドイツ語も聞いた、いや、話している場面などテレビやネットでみたことすらありません。私が、教え子にジョーク混じりに自信をつけさせてあげる意味で、「君たちの話す英語のレベルは、ブッシュ大統領の話すフランス語より数段上だぞ!」と語ることがあります。あの中国ですら、国のエリート層、知的層は、英語を学び、流暢に話します。ビジネスや研究の世界では、母国語を敢えて捨て、<アメリカン英語スタンダード>に合わせているのです。人口でアメリカの6倍以上もある国家の上層部が、です。韓国も当然、中国に準じます。
 日本も、こうした中国や韓国に後追いする英語教育政策をしようとしています。グローバル化とは、いわば、アメリカンスタンダードの謂いです。この、アメリカンスタンダードと敢えて口にせず、グローバル化という言葉で、「世界に取り残されるな!」と日本の英語教育に“警鐘”を鳴らし続けている人々が、実は、アメリカ留学組の知識人や経済人です。
 新自由主義“居士”の経済学者竹中平蔵、楽天社長の三木谷浩史、早稲田大学の新総長田中愛治、英語民間資格試験導入の急先鋒安西祐一郎{文科省の諮問機関である中央教育審議会会長}しかりであります。また、TEAPの実質的生みの親であり上智大学教授吉田研作{英語教育の在り方に関する有識者委員会の中心メンバー}、その“お弟子さん”でもある東進ハイスクールの安河内哲也{上記の有識者委員会のメンバー}など、列挙に暇がないほどです。
 
 新春(1月号)の文芸春秋の特集、「英語教育が国家を滅ぼす」の寄稿者で数学者藤原正彦氏は、アメリカ留学も、イギリス留学{※イギリスの貴族などとも親交あり:それに対して竹中・三木谷らは、アメリカ単独留学組の最大の欠点とも言いうる<“学的うぬぼれ>=<アメリカ絶対主義者>”です}もあり、その両国で研究を深めてきた方です。そして、上記の連中(竹中や三木谷など)に比べて、理系の学者でありながら、科学史の碩学村上陽一郎ほどの教養がある人物です。英語教育の本質とは、本来どうあるべきか、また、彼の指摘する、現今の日本の教育方針は如何に間違っているかが、『国家と教養』(新潮新書)で雄弁に語られています。
 
 では、本題に戻るとしましょう。このポケトーク開発の必然性・蓋然性・必要性の萌芽は、アメリカ人はもちろん、ヨーロッパ人にはその土壌的精神風土というものが、皆無であったという点なのであります。外国語の勉強は、正道として、<自身がその言語に投棄しなければならないという手法>{※イマージョン教育や‘英語の授業は英語のみで行う’といったもの}が今やメインです。<その言語を、自身に引き込み・換骨奪胎し、母国語にしてしまう手法>{※文法や構文を中心に英文和訳をするスタイル}は、邪道・亜流、時に時代遅れという意見が近年台頭してきています。
 
 学者竹中平蔵や、実業家三木谷浩史には、このポケトークの開発という発想はゼロと言ってもいいかと思います。日本人が、アメリカンスタンダードに合わせるという原則が、彼らの頭の中にあるからです。この両者はハーバード留学経験者です。知的ブルジョワは、知的庶民に、<鹿鳴館>を強要します。マリーアントワネットの「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」的発想で、平民を知的に睥睨(へいげい)しようとします。これは、元慶応学長安西祐一郎や現在の早稲田大学総長田中愛治にしても同類にして、同様のことが言えます。
 
 日本における、外国語という難題(ジレンマ)、このコンプレックスを解消しょうとするのが、吉田研作や安河内哲也の英語教育方針です。しかし、このポケトークの開発者、ソースネクスト社長松田憲幸氏は、日常会話{病院・サービス業(店・レストラン)}程度なら、ほぼ完ぺきに、翻訳する機能にまでAIで、自社製品ポケトークを高めてきました。ちょうど、スティーブ・ジョブスが、マニュアルなどなくても、老人でも、簡単に操作できるスマホを開発したように、74言語に対応し、日常生活に支障がない程度にまで翻訳できる機能を有する製品を開発した、その目の付けどこは、ソニーのトランジスタラジオやウォークマンに準じるもの、いや、匹敵するものがあるとさえ言えます。アルファベットの言語圏から一番遠い、極東の、ある意味、言語的不自由さの極北ともいえる不便な地理的・文化的環境にある日本人だからこそ開発できた、世界に冠たる‘カラオケ的大発明品’でさえあります。
 スマホの出現で、デスクトップ型はもちろん、ノート型パソコンの売り上げまでも激減している光景は、ECの台頭、また、SPAの代表格ユニクロ(ファーストファッション)の出現で、デパート、スーパー、ブティックが駆逐されてゆく街並みの光景と似て非ではありません。10年以上前、街中でよく見かけたパソコンスクールなど絶滅危惧種となりました。
 そうです、このポケトークがAIのディープラーニングにより、更に高性能・高機能と進化した時代(数年後)には、今、中等教育で主流の<使える英語><実用英語>{※安河内哲也が唱道している英語}など、デスクトップ型のパソコンやパソコンスクールの運命となるのは目に見えています。
 
 そこでです。私が弊塾で、指導している、<知的英語><教養英語>、これの出番です。AIによる自動翻訳機の限界点、そこからこそが、<真の使える英語>、ビジネスの究極の場面で相手をぎゃふんと言わせる<本物の英語>の出番であります。
 私の好きな言葉です。
 
「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」(小泉信三)
 
「高校時代は、小さな完成品よりも大きな未完成品を作る時代だ」(阿川弘之)
 
 「先生、今授業で学んでいる英語表現さ、このポケトークで全部できちゃうんだけど」こうした批判を受けることがもう近未来推測、想像できるのに、英語教育の愚策を現在の安倍政権は行おうとしているのです。これは、AIに脅威を感じ、2022年度の高校の国語の教科書を、『論理国語』と『文学国語』と分ける愚策と同じものです。
 
 あっ!そういえば、安倍晋三(附属の成蹊大学)のお坊ちゃん時代{※加計学園の理事長に出会った}もアメリカ留学でしたし、麻生太郎{※附属の学習大学}のボンボン時代もアメリカ留学{※祖父の吉田茂が、孫のヤンキー英語習得にショックを受け、急遽イギリス留学に変更させたとか}でした。小泉進次郎もコロンビア大学でした{※日本での中等教育(生温い附属校関東学院)の英語での限界点か、その後のコロンビア大学留学での経験}。そうした留学も、<教養英語>として孵化していない実態は、“セクシー発言”で馬脚を現しました。それは一部の英語の使い手たちが指摘するところです。
 
 弊著『英語教師は<英語>ができなくてもよい!』(静人舎)で、指摘している、主旨の一つ、「ユニクロ英語栄えて、オンワード英語滅ぶ」これが、教え子の学校での<授業スタイル><授業内容><テキスト・教材>を鑑みた時、また、その<学校の先生方の方針・考え>が、いかに、そのフレーズに表れているか、一読すれば、ご納得されるはずです。

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