コラム

WBC随想➁=総括=

 東京五輪の優勝監督稲葉篤紀の際は、このような感慨は浮かんではこなかったのだが、今回のWBCの優勝監督、栗山英樹に関して、次のような思いが湧いても来た。

 サッカーにおける、オリンピックとワールドカップ、野球におけるオリンピックとWBCの、球技というジャンル、それもすべてプロという意味での、そういった重みにおいても理由がつく。

 東京ドームからフロリダの決勝までの戦い方、そして、戦術、さらにチームのムードやキャラといったものから、巨人の黄金時代、V9の巨人軍の姿かぶってもくる。名将川上哲治率いる中、チームの模範たる長嶋と王が支柱でもあったことから、侍ジャパンのダルビッシュ有と大谷翔平がイメージとしてダブってもきた。勿論、川上の冷徹さ{『悪の管理学』や『遺言』といった書籍}ではなく、また、知将広岡達朗に継承されてもいった管理野球とも違う、短期決戦で、あらゆるチームのスターを束ねる彼ら(川上や広岡)とは全く違った、仙台育英高校の優勝監督須江航に類する選手さばきである。当然、試合の采配は、恐らく、川上や広岡もしたであろうという名指揮でもあった。ここが、いいたいのである。

 緻密な計算の下、最善手で、選手起用を行ったことは、いうまでもない。ダルビッシュ(ダルがメジャーに行った年、栗山は監督に就任)と大谷の両選手に日ハム時代にかかわったという経歴が功を奏してか、自身、選手時代は3流選手であっても、超一流アスリートでもある村上、岡本、山本、佐々木など、ある意味、スター選手たちが、地味な監督を見下したり、畏れ多いといったなど、極端な感情を醸し出すこともなかったのであろう。当然である、日ハム時代、日本シリーズで優勝し、正力松太郎賞を受賞している名監督でもある。

 栗山監督の<名選手ならずとも名監督>といったイメージが、当然、『致知』という人徳や人間性を磨く月刊誌の愛読者でもあること、また大谷に『論語と算盤』を贈ったことが、あの仙台育英の須江監督同様の、令和の時代の指導者として、最大効果を発揮せしめていたのであろうか。
 特に、トーナメント形式、負けたら終わりという、ペナントレースや日本シリーズとも異なった緊張感が漂う球場で、侍ジャパンの選手は、大方、甲子園経験者また、それに準じる経験をしてきた球児という原体験を背負ってもいる。ここが強味でもあった。アメリカやメキシコの選手との土壇場での、神がかり的能力、いわば、火事場の底力が出たとみるのは間違いではないだろう。

 現場の高校球児やプロ野球選手の気質もここ20年で、少年少女がZ世代とも称されるように、全く違う人種に変貌してきた。別に悪口ではない。王ジャパンと原ジャパンは優勝した、しかし、山本浩二ジャパンと小久保裕紀ジャパンでは4位に終わる。この、20代から30代にかけての若者のメンタルの変遷時期も凶と出た。

 王と原の時代は、イチローという精神的支柱が、超メジャーリーガーとして扇の要ともなっていた。王監督も、そのカリスマ性が、選手の中で威力を発揮してもいた。原監督も、紛いなりにも斜陽でもあった名門巨人軍の生え抜きのスター選手で、ペナント優勝監督でもあった。一方、選手の心理が、学生の気質が変化するように変化しかけてもきた時期である。平成半ばである、それも、超名選手(名球会入り)であっても、際立ったカリスマ性はない山本浩二や小久保裕紀である。第3回と第4回は、チームの編成、そして雰囲気、能力も超メジャーリーガーもいず、中途範に終わった。結果も中途半端であった。

 第3回と第4回は、「WBCの日本代表に選んでもらった、出られる」、更に、“短期決戦で何とかなるさ”的空気も漂っていた、それに、アメリカや中南米のチームが、第1回や第2回とは異なり、眼の色を変えて、超メジャーリーガーで編成したチームであったことも災いした。山本ジャパンは、準決勝でドミニカに敗退した。小久保ジャパンも、準決勝でアメリカに敗北を喫した。因に、日本を打ち負かした、ドミニカやアメリカはその年優勝国である。その点も鑑みると、山本ジャパンも小久保ジャパンも三位決定戦をしていれば、三位になれた可能性が大であったということであろう。よくやったとも言える。
 しかし、今回は、全く違っていた。必要条件と十分条件が完璧にそろってもいた。
 ヌートバーという、栗山監督の地味なメジャーリーガーの掘り出し物である。地味な掘り出し物が、ふたを開ければ、“派手な豪華品”でもあった。彼が、ムードメーカーともなり、チームのパフォーマンスを最大限に引き上げた。これが、チームを、今までのオールジャパン4チーム以上に明るくした。次は、蔭のピッチングコーチであり蔭のキャプンでもあった、超メジャーリーガーのダルビッシュの存在である。そして、チームの精神的支柱でもある、超超メジャーリーガー大谷翔平である。「俺たちには、世界最高、いや、野球開闢以来最高の野球選手がいるんだぞ」といった矜持、「数百億軍団、何するものぞ!」といった自負、そういった相手に位負け、格負けしない気概を植え付けた点では、イチロー以上の効果があったであろうことは察しが付く。これが、必要条件であった。

 そして、栗山監督が、他国チームに比べ、名ピッチャーを多くラインナップして、しかも、出場国の中でも、各選手が最高のパフォーマンスしてくれた点、それに尽きる。そして、予選の東京ドームでは不振だった村上を、栗山監督が信じ切って起用し、準決勝、決勝で爆発した点を十分条件として挙げたい。
 やはり、最大の要因は、3人のメジャーリーガーの下、プロ野球の監督ではなく、高校野球の仙台育英の須江航監督の如く、栗山監督が選手に接した態度でもあろう。
 栗山監督の“監督として、試合の采配の系譜”で言えば、それも、選手の起用、試合の展開という観点から限定させていただくと、謦咳に接してきた野村克也というより、遠き昔、野球少年だった頃、仰ぎ見るON(王・長嶋)ににらみを利かせていた川上哲治の大局観に近いように思われる。いや、彼自身、吐露してもいたが、実は、栗山英樹は、西鉄黄金時代の三原脩を手本としていたのかもしれない。その証拠に、あのパワーヒッターの大谷翔平に、イタリア戦でバントをさせた戦術が、三原マジックを彷彿させるからでもある。また、それは、大谷を勝利最優先とする、高校野球の野球小僧に一瞬変貌させた瞬間でもあった。決勝戦、トラウトを三振に仕留め、ゲームセットした瞬間、グラブを放り投げ、帽子をかなぐり捨てた姿は、まさしく、野球小僧そのものであった。因に、あの大谷の優勝キャップは、野球殿堂博物館に寄贈され、展示とあいなったそうである。メジャーリーガー最高の打者を、メジャーリーガー最高(?!)の投手が三振にした象徴性も加味してのことだろう。
 大谷だけではない、今回の侍ジャパンは、野球というスポーツに憧れて夢中になった野球小僧そのものでもあり、超メジャーリーガーのエスタブリッシュメントの連中を、寸でのところで打ち負かした実例でもあった。これが、実力を120%出すというアスリートの見本ともいっていい例である。
大谷翔平の熱投は、草薙球場で、ベーブルースやルーゲーリックといったメジャーのスーパースター軍団を相手に、力投した沢村栄治の雄姿では、もはやなかった。

 好調の大谷にイタリア戦でバントさせ、不調の村上にメキシコ戦で「思い切り打ってこい!」と送り出した、その采配に、栗山野球が凝縮されてもいよう。勝負における“術・略”そして“信・愛”の大切さである。

 最後に付け加えると、今回の侍ジャパンは、他者を慮(おもんばか)る精神が横溢していた点も見逃せない。このスポーツマンシップも、“野球の神”が侍ジャパンに微笑んだ理由の一つかもしれない。故障で、出場できなかった鈴木誠也や栗葉良吏のユニホームをベンチに持ち込んだり、佐々木朗希が、チェコの選手にデッドボールを与えた試合の後、ビニール袋一杯の日本の(ロッテの)お菓子をその選手に贈ったり、準決勝のためアメリカ入り(空港で)の際、大谷がチェコのキャップを被っていた姿など、話題に事欠かなかった。
ここにおいても野村克也の名言「人間的な成長なくして、技術の進歩なし」が侍ジャパンのチームの姿を象徴してもいると実感した。



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