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コロナウイルスはファシズムの細菌!?

 先日『NHKスペシャル』を観た。主眼は、パンデミックで露見した技術立国日本の世界での立ち位置の危うさというものであった。国立大学の独立行政法人化が、この2020年日本には凶とでた実態を鹿児島大学や大阪大学の研究者にスポットをあてて改めて考えさせられたというより、日ごろ‘教育安保’の重要性を認識している私としては、「やばいぞ日本!」という実感をもった。
 
 話は変わるが、第二次世界大戦というものを、日独伊の枢軸国と英仏米の連合国の戦いではなく、<ファシズムというビールス>に罹った独伊日と<健康体質の>英仏米の戦いに擬えてみたい。
 
 本当であれば、<独裁や軍国主義といったビールス>を自助努力で、内発的に退治し、完治しなくてはならい立場でありながらも、自国で治すことができなかった。そして、その<ファシズムというビールス>をヨーロッパやアジアに巻き散らかす。「ともにファシズムという病に罹りましょう。みんなで罹れば怖くない」といった触れ込みで、1940年代初期、<ファシズムというパンデミック>が世界中に拡散し始めた。それに対して、欧州では、ノルマンディー上陸作戦という特効薬で、一方、ミッドウェー海戦というワクチンで、<独日の悪性ビールス>が拡散を止めたと言ってもいい。<アメリカの巨大製薬会社とイギリスの最先端の製薬会社>がタッグを組んで<ファシズム・軍国主義のビールス>を根絶せしめた形である。
 
 これは、私個人の感想であるが、今般のコロナへのワクチン開発でもアメリカとイギリスがどうも最先端を走っている模様である。中国の共産党ワクチンやロシアのプーチンワクチンなるものも怪しげながら、世界にフライング的に配布されてもいるようであるが、これなんぞも、第二次世界大戦の日本を間接的に敗北へと導いた蒋介石国民政府やヒトラーの野望を東部方面で打ち砕いたスターリンソ連とダブって見えてきてしまう。
 
 米英の国力と‘民主主義’が、ファシズムに勝利した様相は、技術力と経済力に勝る米英がコロナワクチンの開発の一番手に、今般名乗りをあげた状況と似て非ではない。
 
 欧米人は、口を隠すことを嫌うという。彼らは口元で感情や考えを読み取るヒントを得ているという心理的見解を耳にしたことがある。一方、日本人は、目を隠すとその人の心が分からないとも言われている。だから、相手に気持ちを覚られないためにも、マジシャンや白バイの警官はサングラスをかけるのであるそうだ。またサングラスは少々‘ブラック’なイメージが付きまとう。
 
 欧米では、マスク装着が、一般化していない。むしろそれを嫌う傾向にある。日本人は、ほぼ街中を見回しても、電車内を見回しても、100%に近い人がマスクをかけている。これが、欧米に対して、コロナ罹患率の低さの遠因ともなっている。また、2020年の流行語大賞ともなった3密という言葉も、日本発で、欧米では、「closed space;crowded places;close contact settings」、即ち“3C”に翻訳されてコロナ対策の心得として、広まったようである。日本人の庶民の知恵が、国際化したようである。国の手柄ではない。
 
 こうした庶民発のマスク着用や3密回避といった習慣は国民の心から、内発的に生じた行動でもある。これが、コロナ罹患率の低さの遠因でもあろう。「親(国家)がだらしなくても子(国民)は育つ」という格言を思い起こしてしまう。
 
 一方、欧米では、そうした国民一人一人のマスク着用、3密回避、手洗いなどといった習慣が根付かないのか、コロナパンデミックが重度を極めている。だから、国民は他力ではないが、“早くコロナワクチンの開発を!”と願う、また、政府や製薬会社はその期待に副うべくワクチン開発に一致団結して研究に猪突猛進する。その結果、アメリカやイギリスで2020年12月にもワクチンの投与が始まった。いわば、欧米人は、ワクチン対策として国家に依存する国民気質がどうもあるようである。それに、医療の分野では、英米仏は最先端を走ってもいるからそれが可能でもある。
 
 しかし、日本はどうであろうか?NHK特集『パンデミック 激動の世界 “科学立国”再生への道』(2020年12月20日)でもテーマとしていたが、医薬品開発、また、科学論文の数は、20年以上前は、アメリカに次ぐ世界第二位の先進国であったものが、今や、そのジャンルの論文(コロナ特効薬の開発など)は世界16位のありさまである。ある科学ジャーナリストが述べていたが、あのアップルのi-phoneの中身の多くが日本製であるにもかかわらず、どうしてソニーなどの日本の大企業から生み出されなかったのか?ワクチンとて同じである。国民は、自国の医薬品開発に頼れない状況下にある。アメリカやイギリスの製薬会社からワクチンのおすそ分けをお願いする有様である。
 
 日本国民は、第二次大戦から、国力の不足分を精神で補おうとしたことは、B29に竹槍で向かってゆくドンキホーテ的滑稽さとして有名である。バカ親の元でじっと我慢する健気な子どもでもあった。この製薬会社の開発力の差を、どうも日本国民は自助努力で、まるで台風が過ぎてゆくのをじっと待っている孤島の住民のように、マスク着用と3密回避、手洗いといった自己の習慣で凌ごうとしているかのようでもある。国民全体から、“早くワクチンの開発を!”と絶叫する声など聞き覚えがない。そうである。日本国民は、第二次大戦でうすうす負けると気づきながらも、国民一人一人が、じっと「欲しがりません勝つまでは」の如くに耐え忍んでいれば何とかなるだろうといった精神でいたのとまさしく同じ状況にあるように思えて仕方がないのである。
 
 やはり、菅内閣が標榜した、竹中平蔵氏の唱道する小泉内閣の亡霊‘新自由主義’が、「自助・共助・公助」という文言に典型的に、このコロナ対策の姿勢に、表れてもいる。竹中氏の大好きな言葉‘ガバナンス’というものもが実現されていない。つまり、法的拘束力のない緊急事態宣言=名ばかりロックダウンという、いわば飲食店ばかりが、夜の風俗店と同様にスケープゴートとして標的にされている。親がなくても子は育つ的文脈で、ほとんどの国民は、いじらしくも、けなげにも、<公助=ワクチン開発>など期待せず、<共助=一部のエリート層のリモートワーク>もできず、<自助=エッセンシャルワーカー>でのみ、まるで、東日本大震災の罹災者のように、じっと避難場所、仮設住宅で、漠たる将来を、天気模様のように、運に任せるかの如きに、このコロナ禍が過ぎ去ってゆくのを待っているように思えて仕方がない。
 この20年間の日本の科学技術開発の進捗状況は、まさしく、進化はしているが進歩はしていいないといったありさまである。司馬遼太郎の言葉であるが、「日本陸軍は、日露戦争以降まったく進歩していない。武器・兵器そのものは進化したが、軍人の精神は、むしろ退化した。幕末を体験した明治の軍人の合理主義やリアリズムをなくしてしまった」これが、平成から令和という時代の日本の科学技術にも同様の事態が蝕んでいないことを願うばかりである。
 歴史が語ってもいる。日露戦争で勝利した海軍の軍艦は、第二次世界大戦では、各段に飛躍的に進化・進歩した。しかし、軍人の精神は劣化して、むしろ退化した。おごりである。先日亡くなられた半藤一利氏なら次のように語っていたかもしれない。
 
明治の海軍はソニーであり、パナソニックでもあった。しかし、昭和の海軍は、GAFAに押されっぱなしの令和の日本のエレクトロ二クス産業であると。
 

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