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大学の創作学科と小論文の参考書

 私が仏文科の大学院生だった頃、スタンダリアンで文芸評論家でもあるF教授が、早稲田の文学部に文芸学科、いわゆる、小説などの創作をメインとした学科があることに言及された。「小説なんかは、大学なんかで学んで書けるようになるもんじゃないよ」と、ライバル校への、『三田文学』編集長も務めた立場上の皮肉かもしれないが、チクリとゼミの際に口にしたことが今でも印象深く記憶に残っている。
 
 因みに、三島由紀夫は、東大法学部出身である。また太宰治は、東京帝国大学仏文科くずれである。小説の創作など、我流、個人で培ってきた文豪たちでもある。
 
 2007年に文学部と二文が合併し、文化構想学部ができた。その学部の中に、小説や評論の書き方を講義する文芸創作コースが今でもある。早稲田出身の荒川洋治、三田誠広、重松清、小川洋子などベテラン芥川・直木賞作家などが講師となり、将来の作家の卵を育てるか、発掘するか、余念がない。そこ出身の代表格が、「桐島、部活止めるってよ」で有名な、朝井リョウである。
 2000年から2019年までの芥川・直木賞受賞者は早稲田大学が20人、慶應大学が5人と圧倒的に早稲田が強い。しかし、その受賞者が、この文芸学部出身者、文化構想学部出身者かとなるとはなはだ疑問である。小川洋子や角田光代は文学部の文芸専修コースではあるものの、彼女ら以外は、別に小説を伝授される学科とは無関係である。だた、早稲田というところは、やはり、文学の才ある者を引き付ける何かしらの磁場がある大学である。今や映画演劇学科出身の村上春樹がその代表格、その象徴ともなっている。ノーベル賞受賞者の京都大学、芥川・直木賞受賞者の早稲田大学、それの面目躍如としてあっぱれと讃辞を送りたい。早稲田初のノーベル賞受賞者が、この文学部から出ることを今か今かと早稲田当局者は待ち望んでもいる。
 
 プロの作家とその大学との関連性を述べてみたが、それと同類のことが、大学受験における小論文にも当てはまるような気がするのである。早稲田の文学部における文芸専修コースで中堅作家となった者(小川・角田)、文化構想学部の文芸創作コースで売れっ子作家(朝井)となった者、一方、それ以外の学部で文筆を生業としている者、その割合は、小論文の参考書で受験に必要なレベルの文章が書けるようになった者、それ以外のルートで合格の域に至る小論文が書けるに至った者、それらが相似関係をなしているように思われて仕方がない。
 小論文の参考書を読んで、受験小論文の才、いや、技術といおう、それが0から10は勿論、6~7の域に到達した高校生は、憶測ながら、皆無であろう。多分、5前後の受験生が、その参考書で、6~7に至った者であろう。つまり、その本にヒントをもらったに過ぎない。それは、出版社の敏腕文芸担当編集者が、作家の卵に、自身の資質を悟らせたり、自身の得意ジャンルを自覚させたり、水先案内人となる関係にも通じるものがある。
 小論文という科目は、小説の鍛錬と比較するとその難度は数段、格段に落ちる。そうした文章修練の期間は、いうなれば、自身の欠点がバレない、少々の個性が光りさえすればいい領域でもある。私は、教え子によく言うセリフだが、「大学受験の小論文なんかは、文章を通した面接である」ということからして、小論文なんぞは、その高校の国語の先生が、個別に指導すれば用足りる科目なのである。断ってもおくが、文章を書く1~3の才、つまり、それくらいの技能しか持ち合わせていない、しかも、文章を書くのが億劫という生徒は、小論文のある大学は避けた方が無難でもある。
 
 余談ながら、私の見聞の範囲内での情報だが、早稲田大学の文化構想学部に進学する高校生は、皮肉か、不思議か、何故だか知らないが、慶應大学の文学部に行きたかった生徒が多いという。では、何故、早稲田を受験して文化構想へと進学したのか、それは、慶應には小論文があるからあきらめたと口にする生徒が意外と多いのである。因に、昭和の時代、早稲田の文学部は、英語、国語、小論文の3科目であった。もちろん、慶應は、英語、歴史、小論文と全く、昭和と令和と不変である。こういう所に早稲田の“ブレ”・“時代迎合”を感じるのである。
 
 

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