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大学受験は大学だけでなく人格をも形成する

<大学受験生に贈る弁>

 今月は受験勉強マックスの時期だ。この通過儀礼を経た者、経ない者と昨今は二極分化している。この雌伏鍛錬こそが、その後の人生を左右するのは、進学大学だけでなく、自己の人格形成の面でも重要にして重大なのだ。

 私の経歴に言及すれば、“横浜で一番危険で、猥雑な街福富町と日本三大ドヤ街の一つ、横浜で社会の最底辺が見える街寿町”の近くで、新聞奨学生として浪人生活を送ったことが、自己のキャラを形成した要因の一つにもなっている。

 僭越ながら、ビートたけし(北野武)が明治大学を中退し、浅草のストリップ劇場で芸人として修業していた経験が、北野武(ビートたけし)という人間のコアを築いたことは容易に想像がつく。明るいニヒリズムという怪物である。

 こうした詳細は、弊著『ポップスの規矩』に私小説風に書きなぐってもいる。

 “blessing in disguise”、直訳は「変装した天啓」である。意味は「不幸だと思ったことが、本当はありがたいものだった」というものだ。便利、快適、効率、こういったデジタルイデオロギーに染まった空気に飼い馴らされた令和の高校生には、その真意は理解できないであろう。いや、就活の大学生も同類だ、また、若手の社会人にも当てはまる。この心的態度を有しているかが、10代末の高校生、20代初めの大学生、そして、いっぱしの大人にも言い得て妙なのが、人生の真実というものである。
 
 ドラフト4位で、オリックスに入団した、イチローや山本由伸は言うまでもない。東北大学工学部電子工学科{※物理系から化学系のノーベル化学賞を受賞した偉業が凄い!}から、第一志望のソニーに行けなくて、島津製作所に入社したノーベル化学賞受賞の田中耕一氏、また、神戸大学医学部から臨床整形外科医となり、手先の不器用さで挫折し、再度研究者の道に歩み出て、ノーベル生理医学賞を受賞した山中伸弥氏など、“blessing in disguise”を人生上証明してくれる人物は枚挙に暇がないほどだ。こうした、ある意味“ギフティッドの種族”だけではない。これは、料理人の世界も同様である。

 昨日{2026年1月25日}、TBS情熱大陸で取りあげられていた、“なにわのソールフード串カツを洗練の極みにまで押し上げた”料理人長谷川勤などは、日本料理の世界から、ある意味、関西ではB級グルメとも言っていい串カツを最高級の、食の芸術の域に押しあげた人物である。また、彼の後継者小林店長も日本料理に挫折して、もう、20年彼の元で精進し、店を継承するまでの料理人になっている。次回、この長谷川勤を語ってもみたい。
 
 こうした大衆の、庶民の、市井の成功者は、一流とは言い得なくても、超二流の人物なのだ。一流か二流かは、自分が判断することではなく、他人がすることでもある。あの名将野村克也は、彼自身、長嶋・王と比肩して、自らを超二流と公言してはいるが、世の誰もが彼を一流だと思わぬ人はいない。ここに、私の信条とも言い得る「主観が主観を突き抜けると、それはもう客観になってしまう」というものが、精神の根底に流れてもいる。これは、山下達郎が、ビートルの音楽や黒澤明の映画を捩って述べた名言だが、「通俗が通俗を突き抜けてしまうまでになると、それはもう芸術になってしまう」を、我田引水流に応用したものでもある。

 多くの名予備校講師などは、研究者の仕事を諦めた人々でもあり、中等教育の教師に挫折した人々かも知れない。しかし、彼らは、学問や教育という次元では、一流ではなく、“超二流”の人でもある。これ、先日、野球界の殿堂入りをした栗山英樹元監督にも当てはまる真実なのだ。


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