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東大:京大=早稲田:慶應=規律:自由

 リクルートの創業者江副浩正が、功成り名遂げて、母校東大を訪れた時の言葉である。
「ああ、大学というところは、変わらないことをいつまでも教えているところだな」と、感慨深げに呟いたといいます。この呟きには、否定的意味と肯定的意味の両方に解釈することが出来ようかと存じます。この場では、敢えて否定的文脈でみてみましょう。

 余談でありますが、戦後焼け野原から高度成長する最中、秀才、エリートの梁山泊東大から出た、二大企業家は、この江副浩正とマクドナルドを日本に持ち込んだ男、藤田田であります。この二人は、東大出身でありながらも、東大から一番遠い気質の企業成功者とも言い得るやもしれません。

 この江副と同じように、平成で成功した、とりわけ、敢えて彼同様、文系出身の東大出の企業家を例にとります。その彼が、十数年ぶりに母校を令和の時代に訪れて、その授業や学生の様子を概観したならば、あのような台詞は、恐らくは吐かないと思われます。これは、昭和の早稲田大学で、6~70年安保闘争の学生が、80年代の、ノンポリ学生(新人類世代)だらけの早稲田を訪れても、同じよう(変わらないなあ!)に感じる心境と同じであります。まだアナログという地層の世代(昭和から平成半ば)の、今の親御さんたちで、将来の日本が、少子化・経済低迷・デジタル化など、地球温暖化同様に、夢にも思ってもいない時代でした。

 バブル崩壊から失われた30年のさなか、就職氷河期や超少子化などを内在し、漠然と年月だけが過ぎてゆく、それでいて、世界のデジタル化が加速してもゆく空気の中、大学という高等教育機関も、改革を余儀なくされ、東大や早稲田は特に、グローバル基準の大学へと変貌していった経緯が、平成の若手ベンチャー企業家を、江副とは真逆の感想を抱かせることは想像に難くはありません。これは、閉鎖的アカデミズムの、世界、社会、会社からの外圧で、そうせざるを得なくなってもきた証左でもありましょう。

 ここで、最近の、それも平成後半からなのですが、早稲田と慶應の学生、その教育システムの対照性、また対称性とも申しますか、その功罪や長短を述べてみたいと思います。
 東大は、官僚養成機関として、文系が、京大は、湯川秀樹以来、理系の超エリート機関として、文系・理系がそれぞれキャラが立つ、国立の二大巨峰であります。前者は、規律的アカデミズム(教授に学生が服従)、後者は、自由的アカデミズム、そういったイメージが付きまとってもきます。東大は、教授と研究者、研究者と学生が、立ての関係で、上に意義申し立てなど論外の学風でもあります。東大医学部の北里柴三郎などは、その規律に反抗し、ある意味、東大から放逐されたようなものです。その後、私学の巨人福沢諭吉の援助を経て、北里大学の祖ともなり、慶應と北里は、兄弟関係の大学になってもいます。一方、益川益英などは、京大の研究者時代、理学界の運上人でもある湯川秀樹にいちゃもんをつけたといいます。こうした学風が、理系の梁山泊京都大学のプレステージをあげてきた最大の要因でもありましょう。
 ここで、でありますが、昨今の東大、もちろん優秀な留学生獲得の手段の一環でもあるのでしょうが、世界の大学ランキング上昇を視野にいれたカリキュラムが目を引きます。授業や講義の充実、そして、満遍なく時間割表を、様々に学生に課してもいます。つまり、大学へ足を運び、その授業をうけ、きちんとレポートなりで評価を受けるシステムであります。ある意味、あれこれと、学生の知育にお節介をやくのです。まさに、規律をコアとして、高等教育を再構築しているのです。
 一方、京大は、世界の大学ランキングなど、学長や関係者から、あまり聞かれません。令和になっても、昭和の頃と、その授業カリキュラムが変わらないのは、学生気質も変わらないのと同様でもありましょう。二次試験の英語が、東大と京大を比較すれば、その変化度の違いがまさに対照的でもあります。後者は、ほとんど変わっていません。入試問題に、学校の理念が反映されている典型的な例でもありましょう。
 実は、この東大と京大との高等教育機関のキャラの縮図が、私大に関していえば、早稲田と慶應に見事に反映されてもいます。理系に関しては、門外漢なので、言及はしませんが、文系を例にとりましょう。

 一応成功したとされる慶應のSFCを真似て、新たに新設した、早稲田の国際教養学部とSFCを比較すると、まさしく、プチ京大、プチ東大というマトリョーシカ的な、学風が見えてもきます。早稲田の国際教養は、出席など重視、留学を必須、実用的な科目を充実させ、英語が出来上がっている学生に、英語でスキルを身に付けさせる方式、一方、SFCの方は、科目や講座、語学など、箍にはめない、1991年以来、あまりカリキュラムに変化がない。学生も京大的と申しましょうか、就職活動へのメンタル面の温度が国際教養の学生よりも比較的低いと言えましょう。そうなのです、国際教養とSFCのみならず、学部名も、慶應は、昭和のままです。一方、早稲田などは、第一部文学部と第二文学部(夜間)を廃止して、文学部から派生した文化構想学部や、昭和の時代の夜間部として、日陰者の社会学部は、難易度で、法や文を凌ぐまでになってきているありさまです。早稲田が、平成後半から、大学のキャラや学生気質が、大変貌を遂げて、入試では、政経では数学ⅠAを必須として、キャンパスでは、使える英語を(TOEICなど)を必須とする、バリバリに学生を縛るシステムになったのです。だから、恐らく、昭和の頃と令和の今の早稲田と慶應の授業出席率は、逆転し、早稲田が東大の授業システムを猛追している現況が浮かび上がってもきます。令和の早稲田生は、そうであるからこそ、早稲田に入りたかったと言います。昭和の“早稲田右翼”とは好対照であります。高校生の延長線上で、大学の授業を考えてもいるわけです。これに関して、是非を言うつもりはありません。当世の学生気質の文脈で申しあげれば、以下のようにもなりましょう。

 早稲田の国際教養の学生は、卒業後、失敗することなく、無難に、外資系で活躍する学生を輩出し、慶應のSFCの学生は、卒業後(在学中も)失敗しながらも企業家になる者が多い、そうした対照的な大学になりつつあるのは、それぞれの価値観の問題で、民間サラリーマンなのか、国家公務委員なのか、それにも比肩する文脈でいえば、東大、京大、早稲田、慶應という中で、一番変化した、昨今の現象ですが、難化した大学といえば、早稲田大学とも言えるのではないでしょうか。


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