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コラム
英語教育の不易流行
「明晰ならざるものはフランス語にあらず」(リヴァロール)
我流ではありますが、“明晰ならざるものは文法”にあらず、こうした哲学で、英文法を、まるで“数学の授業”と見まがう、錯覚するかのような授業展開をするのが、英精塾でもある。
よく使える英語だの、生きた英語だの、ましてや、中高生の段階で、世界に飛躍する英語だのと喧伝している多くの塾がある。お門違いも甚だしい。将来の夢、目標がある生徒なら、その自覚から、そうした実用英語を視野に入れた勉強もできる、また必要やもしれない。まだ、将来の職業や、行きたい大学、学部が漠然としている段階で、どうして、使える英語だの、生きた英語だの学ぶ動機が本人に芽生えましょうか?
以上の三つの謳い文句は、大学生ともなり、本人が、内発的に、自覚して、腰をあげて学ぶ姿勢がなければ、実現など中途半端、富士山の二合目、三合目で、表面的なコミュニケーション英語が出来あがるに過ぎないのに、自分はできるという、誤った幻想を抱かせるに過ぎないのです。現在の英検ブーム、英検学校義務化などは、こうした幻想をさらに増長させている悪しき風潮であります。この点で、弊著『英語教師は≪英語≫ができなくてもいい!』でさんざんそのことを指摘しているので、これ以上は言及しません。
では、中高の段階では、英語とどう向き合っていけばいいかという命題にぶち当たります。ここで浮上してくるのが、英語教育における不易流行というものです。
語法は母国語においても一生修練すべきもので、教え始めても習い始めてもキリがない。それに対して、「文法」は力量のある人が教えれば、短期間に確実に力がつく。
「文法」の問題と「語法」の問題をごっちゃにしているので英語教育が混乱し、これだけ英語が盛んなのに、ちゃんとした英語が書け、内容の豊かな英文を正確に読める青年の数が減少し続けているのだ(これは、長く予備校で教えている教師の観察と一致する)。
『青春の読書』(渡部昇一)より
中等教育の段階では、将来、特に大学時代でありますが、その英語の基盤、基礎を構築してあげることに尽きるのです。生徒自身が将来、経済、政治、文学と進むジャンルにおいて、そうした学問で、社会で活躍する、海外に雄飛する、それは社会人であるとか研究者であるとかは問いません、ステップアップする段階で、自身が強烈に英語が必要だと実感した段階、内発的な学びでしか、“使える英語”は成就しない真実を、令和の親子がどうも忘れて過ぎている。この間違った風潮に目覚めねばなりません。
よくカリスマユーチューバーの英語講師が、ネイティブを相手に、「この表現はアメリカ人はしない」「こうした文法は、古くてダサい」といった発言で、学校英語、受験英語を揶揄、批判している光景を目にします。そうした声は、ある意味、正しい。しかし、英語発展途上の人間にそうした言葉は、むしろ、学びの邪念、揺らぎをもたらします。非理系的明晰さを、曖昧模糊としていて、学習者のやる気を削いでしまいます。そうした、不自然な英語など、大学時代に、微調整して、現今の口語英語、いわゆる、英米人の話す英語に近寄せていけばいいだけの話です。むしろ、この古来、いや、従来の学校英語こそ、フォーマルな意味で、論文やビジネスでこそ、その意義や輝きが増してもくる。ちょうど、“ウザかった”親の恩が、大学生で一人暮らしをして、初めて実感する感謝の念と似たものがあります。そう感じない大学生や社会人は、厳しい躾け=学校英語=不変の英文法を身に付けてこなかった連中でもあります。ここの点でも、本当に、渡部昇一氏の言わんとする主旨がわかっていない英語教育者や父兄、そして中高生が多すぎるのです。
この英語における不易流行とは、語学の中庸とも申せましょう。変わるべきものと変えてはいけない、いや、変わっていないもの、その峻別ができていな愚者が多すぎるのです。
令和という、世界においてもデジタルファシズムの時代、未成年の脳内、つまり、精神におけるデジタルとアナログの棲み分けです。地球環境が破壊され、地球温暖化には警鐘が鳴らされますが、人間、特に、中高生までの未成年の脳内のデジタル独占状態、これも、不毛なる“使える英語”・“生きた英語”教育に加担してもいます。
2026年3月23日 16:53












