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朝日新聞の文化度の凋落ぶり

 一般紙には、毎週毎月数多く出版される書籍をコメントする、批評する、時に、軽く紹介する程度の書評欄というものがあります。週刊文春や週刊新潮の毎週木曜日の広告欄のように、私などもその新刊の書籍の情報源に利用している教養・文化欄に該当するページのことです。
 この新聞の書評欄に関して、教養的磁場と申しますか、文化的磁力と言いますか、一言前回同様に、日本経済新聞に言及しておきたいと思います。
 
 私の記憶では、数年以上、いや10年前後くらい前であったでしょうか、その新刊の書評欄は、毎週日曜日であったのです。しかし、最初に日経新聞だけが、その文化欄が、土曜日に移行となったのです。読売、朝日、毎日、東京、神奈川といった後者地方紙2紙を含めて日曜日の期間がしばらく続いたと思います。それから近年、まず朝日が、それに続くように、そして毎日、東京と書評欄が土曜日に移行したのです。読売と地元紙神奈川新聞のみが、依然として日曜日が書評欄としてそのままです。
 
 アパレルやデパート・スーパーが没落産業であるのと同様に、出版界のみならず新聞業界も斜陽産業であることを考えると、そうした経済的・経営的な理由があるかもしれませんが、この書評欄が土曜日に移行したことに何らかの根拠があるとすれば、やはり日経新聞が、機に敏であるといわざるを得ません。
 
 では、個人的な意見ではありますが、新聞の書評欄での評価といいますか、文化度の高さから申し述べさせていただくと、毎日新聞の書評が骨太で、アカデミックと申しますか、教養という側面では評価できる、また一般読者にとっては敷居が高い、少々学際的な書籍が多い傾向がありますが、やはり、書評としての点数だとAに該当します。次が、日経新聞と読売の書評欄は、評価はBです。そして、朝日はCです。東京と神奈川は庶民目線で大衆的な角度で新書を取り上げてもいます。これもCとしておきます。
 
  話は変わりますが、ここで、新聞一面の名物コラムに関しての評価をすると、朝日新聞の超有名な《天声人語》などは、昔の名コラムニスト、深代惇郎や辰濃和男の威を借りて続いています。それを、今でも朝日の名物コラムとお思いの方がいらっしゃるとすれば、その方は目が節穴か、知性がない、いや、文章の感性がないと申し上げておきたい。昭和の名車ハコスカやケンメリ(スカイラインGTR)の名を借りて、今でも日産がスカイラインGTRと銘打って販売したり、6代目尾上菊五郎や11代目市川団十郎と今の菊五郎や市川海老蔵(近々団十郎を襲名する方)とを同レベルの芸であるかのように見せようとする松竹の営業方針と似たものを感じます。《天声人語》は、誰も言わないから私が敢えてこの場で申し上げれば、“知の居ぬき物件的コラム欄”と申せましょう。昭和演歌風に申せば「昔の名前で出ています」程度のコラムになり果てています。今もって《天声人語》が一番の名コラムだと思っている方がいらっしゃれば、今も大学受験で一番の英単語集が『試験に出る英単語』だとお考えの昭和のおじさん連中と同じレトロな御仁と申し上げておきましょう。
 それに対して、毎日新聞の一面のコラム《余録》が、名は知れわたってはいませんが、4大全国紙の中で一番知性が光る、書き手の教養が滲みでてもいる。エッセイ的要素が求められる、その一般紙の顔とも言える一面コラムにしては、読み手を知的上位者に設定している向きも感じられなくもないが、やはり、クオリティーペーパーの顔ともなれば、これくらいの教養の匂いが感じ取れるものでなくてはならないというのが私の趣向でもあります。
 では大手新聞の一面名物コラム欄の点数を‘独断と偏見’で、但し、思想的な偏りは一切なく、文章そのものと、その切り口、そして知的レベル、教養度といった観点から点数をつけさせていただくと、以下の通りです。
 
 毎日新聞『余録』A
 日経新聞『春秋』読売新聞『編集手帳』B
 東京新聞『筆洗』B‘
 神奈川新聞『照明灯』C
 朝日新聞『天声人語』C‘
 
 以上の通りです。
 新聞の書評欄と一面の名物コラムを合算すると、文化度・教養度の観点から毎日新聞が優位に立ってもいます。そして、日経新聞が追随しています。
 
 話をもとに戻すとしましょう。
 日経新聞が書評欄を日曜日から土曜日に、毎日新聞も同様に土曜日に、そして朝日新聞も土曜日に、それぞれ移行しましたが、日経新聞は、エリートサラリーマンのライフスタイルなどに照準をあてた《Nikkei The STYLE》という数ページを割くコーナーで日曜版の文化面さらに充実させています。また、毎日新聞も書評欄が土曜日に移ったその箇所に《文化の森》という2ページにわたるコアな文化欄を設けてもいます。書評を毎週日曜日楽しみにしている知的読者層の欲求を別の側面から満たしてもくれているのです。この2紙の文化への心配りがうかがえる側面であります。
 それに対して、朝日新聞はどうでありましょうか?日曜日の書評欄が土曜日に移行しても、それに見合う、それとは違った紙面の充実といった、文化面の配慮が一切ありません。日本の『Le Monde』(フランスの高級紙)と言われたのはすでに過去の栄光であります。私は、朝日新聞の左寄りのイデオロギーや慰安婦問題の元凶としての資質を問い質しているのではないのです。この新聞が、反権力・世論の代弁者の旗を掲げる以前に、もはや、文化度・教養度からして、知的新聞足りえていない存在に成り下がっている点を強調しているのです。
 特に、新聞の部どまり、部数の激減で、「新聞を読む子は勉強ができる!」「天声人語や朝日新聞の社説は大学入試でとてもよく出題される!」などなど、池上彰氏、斎藤孝氏、林修氏などを起用して、大々的に宣伝し、定期購読者獲得に躍起になっているようですが、知的ご父兄は「(そんなの)すべてお見通しだ!」(仲間由紀恵主演の映画『トリック』の名セリフ)と呟いているに違いありません。
 何も新聞を読んだから勉強ができるようになったわけでなく、元々勉強ができる生徒がたまたま新聞を読んでいる例を逆論理ですり替えて広告コピーにしているにすぎないのです。「東大生は、子供の頃、水泳やピアノをやっていた人が多い、だから、うちの子も幼稚園から水泳やピアノを習わせよう」といった単細胞思考と同類です。また、試験会場で初見で読んでも《天声人語》レベルの現代文なら、100%その場で完答できなければ、偏差値50以下の高校生と言わざるをえません。《天声人語》が入試で出るからと姑息な根性で朝日新聞を定期購読する生徒、そしてその親御さんに警告しておきます。この《天声人語》の文章を大学入試に用いている大学があるとすれば、それは超2流、つまり3流大学である証拠です。コラムを引用する大学があれば、入試担当者が相当手抜きの部局、無能の責任者の方であること間違いなしと申し上げておきましょう。
 

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