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現代文という教科の正体

 現代文という教科に関して語ってみたい。これは、世の親御さんは勿論、現役高校生に関しても、恐らく、「ああなるほど!」とご納得する私の本音でもある。
 
 教え子に、夏期講習などを受講しても一番効果薄、期待できない、各自効果がまちまちとなる科目、それは現代文だぞ!と語ってもいる。事実、自身専門外ではあるが、現代文を教えた経験と、自身の高校時代、浪人時代を全て総括してのことである。現代文の講義とは、ある病にいける漢方薬の如きものである。その生徒の体質、いわば、言語体験・読書体験の背景が大きく左右するともいえる。中学から始まる英語や数学は、若干西洋医学の抗生物質に近いといったところだろうか。どちらかと言えば、論理性・法則性が大きく左右する。この点を我田引水的に国語教師が、国語にも論理というものがあるなどと、某現代文講師は、<論理エンジン>なるキーワードを用いて、教祖ともなったが、その手法は、日東駒専レベルの生徒をMARCHレベルに引き上げる、標準的な、ある意味良問をファーマットとしたものである。やはり、MARCH以上の少々難問から国公立二次の現代文ともなれば、この<論理エンジン>など到底使えず、無力である。子供時代の読書量などによるセンスがやはりものをいう世界である。ここが、現代文という科目のブラックゾーンなのである。
 
 これは私の主観によるものだが、現代文の問題集・参考書の類は、“競馬の出目本”の類に非常に近いのである。自身の都合のいい、問題を羅列し、自身の手法をあてはめ、ほらね!見てみなさい、この手法は有効でしょう?とその場で“魔法”にかける。生徒は、講義でそのやり方をマスターし、模試や本番の入試に臨む。しかし、特に2月の第一志望の大学では、カチカチ山の泥舟の如くに沈んでゆくのが大半なのである。
 これは、極端な例だが、昭和から平成にかけて、代ゼミに有坂誠人という現代文講師がいた。超人気講師で、古文のヤンキーこと吉野敬介先生の恩師でもある。実際に、浪人時代横浜校で、彼の“例の方法”なるものの講義を聞いたが、実際は、その後実感したが、日東駒専レベル向けの<あんちょこの手法>であり、MARCHレベル以上を志望する浪人生の、“出目本”のごときものであった。彼については、別の機会に詳しく語るが、実に賢い人物である。その賢さが、予備校界で生きてゆく狡猾さに私には見えたのである。“日東駒専レベルの教祖様”の存在でもあった。
 
 現代文という科目を料理する手法は、まず信じるか信じないか、その門をくぐることから始まる。何かご利益がありそうだなと、受験生は嗅ぎ分け、藁にも縋る思いで受講する、また、その人の参考書に縋りつく。そして、親方の予備校、出版社は、その“お札”の効果があった者の声だけを喧伝する、よって、その手法が、幻想的人気の的となり、一世を風靡し、その後バブルが弾ける。
 
 前回のコラムで現代文講師にも“帰国子女型”と“準ジャパ”とがあると、申し上げたが、私は、両親の離婚を機に、高校中退を余儀なくされ、中学浪人を経て、文学少年に17才で変貌した“準ジャパ”の部族である。であるからして、文学が好き、小説の世界にはまるのが奥手組でもあったため、遅読が唯一のコンプレクスでもあり、読解の最中、自身で“類推の魔”というものが介在し、誤読、曲解、思い込み、こうした悪癖でどれほど、現代文のテストの点数が足を引っ張られたことであろうか、苦悩したことであろうか。私の10代後半は、現代文の論理云々以前の問題でもあった。それを何とか長い浪人生活(20歳前後)の中で克服してきた口でもある。
 
 世に有名なロック・ポップスのミュージシャンから演歌歌手に至るまで、義務教育時代の音楽の成績が、1か2であった者はざらにいることは有名な話である。印象派の巨匠たちがサロンで何度も落選したエピソード。セザンヌのデッサン力なら今の芸大は不合格であるそうだ。遠藤周作や小林秀雄が、入試問題で出された自身の作品にまったく歯が立たなかったというエピソードや山下達郎が自身の歌をカラオケで歌ったところ、「もっと作り手の気持ちを汲んで歌いましょう」~俺が作り手なのにと苦笑したそうである!~とアドヴァイスが出て、35点しか点数が表示されなかったそうである。実は、現代文という教科のグレーゾーンを、これらのエピソードが皮肉にも彷彿とさせてもくれる。
 
 こうした私自身の現代文体験・読書体験から、世に跋扈している高校生向けの現代文の参考書やカリスマ講師のハウツー本なんぞは、はたから信じる気にはなれない。現代文講師の、それ独自の手法や参考書などは、よく深夜番組で流れている健康サプリのCMで「これを飲んで10キロ痩せました」「これを飲んで今でもこんなに若々しい」「これを使って髪が生えてきました」などなどの美味しい文言をその使用者に語らせてはいるものの、画面右上にテロップで「これは個人の感想です」と言い訳がましく表示されているのが、実はその使用者の数割(2~3割)程度しか効果がない証拠である。また、その逃げ口上を明示してもいるのです。これと全く同類のことが当てはまる科目、それが現代文というものであることを誰も指摘しようとはしない。

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