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教科書というもの

 よく新聞・テレビ等でみかける光景なのですが、左系の社会科教科書を採用したかどで、右系の保守派団体から、批判や圧力がかかる。また、左系の内容が目につく教科書を、文科省が検定からその箇所を削除を命じられた理由で、左系の団体やメディアからやり玉に挙げられる。こうした事例は、昭和の軍国時代をひも解くと見えてくる、平成版“日本と中国並びに韓国に関する歴史問題・歴史認識”と同じ構図でもあります。まあ、教科書という存在が、一種、国のお墨付きという御印を押されている都合上、権威、また、教育上の葵の印籠となって、それがメンツの問題と化し、ああでもないこうでもない、といった現場の教師や生徒には、まるで夫婦館喧嘩でもあるかのように映ります。涼しい顔で、「また、いつもの諍いをやってらぁ!」と呟いている心象風景が、塾や予備校の講師には想像できるはずです。特に、超進学校でもある、灘中や麻布中といった学校で、2017年度も、ある教科書を採用しているとして、右系の団体や集団から、批判され、学校当事者がほとほと困惑・辟易しているといった記事が、あるテレビ{テレビ朝日の朝の番組}や新聞{東京新聞}で取り上げられていたのが、こうしたいつもの“症例”の発病ともいってよく、ああ、またか、と感じいったものです。
 文部省から、文科省へ、そうした部局の検定教科書というものの、信憑性と言いましょうか、信頼性とでも申しましょうか、まあ、絶対的教育上のコーランのような存在とでも言っていいのでしょうが、私の個人的経験則では、はなはだそんな思いや実感など抱いてはこなかったのです。昭和50年代のことですが、公立の小学校や中学校で使用した検定教科書といったものが、どれだけ、算数・国語から数学・国語・英語にかけても、自身の血肉化した学習上のバイブル的存在であったかは甚だ疑問と言わざるをえません。小学校時代は、場末の個人塾で算数の能力が開花しましたし、英語は下町の日本(⇒世界)最古の個人塾(※ギネス記録)ともいわれる島本時習塾で、英語の文法の大切さを教わったものです。江戸川区立の小学校の教科書、墨田区立の中学校の教科書、これなんぞは、少年漫画誌以上成人向け週刊誌以下みたいな本であった。そうした教科書以外の、その塾の講師のオリジナルプリントや補助教材こそが、ある程度役に立っていたかな、それくらいの思いで、塾における板書ノートや塾対象の問題集などが大いに役に立ったということだけは断言できます。
 昭和の時代です。小学生くらいまで、家族一同、茶の間で話題となった方々も多いことでしょう。年末、レコード大賞やら歌謡大賞やら、賞取りレースなるものが世間を賑わわせていた‘良き時代’です。いわば、ちびまる子ちゃん世代の音楽状況です。幼き時分、確かに、服部良一や古賀政男といったポップスや演歌の重鎮が存在していた頃、そうした賞も権威がありました。だから、レコード大賞を取った歌が、人気と売れ行きに比例して「やっぱりすごい歌なんだなぁ!」また、「いい歌だなぁ!」と感じ入ったものです。
 さらに、私が中学生になる頃、ザ・ベスト・テンなるチャートでランク付けする歌番組が一世を風靡しました。1位を何週間も連続してゲットした歌謡曲が、アイドルポップスから演歌に至るまで首位が何の歌になるか、誰がトップにくるかなど、学校や家庭で話題になった時代でもありました。
 私なんぞは、高校生くらいになると、レコード大賞なんかの賞取りレースにかかわらなくても、また、ベスト・テンなんぞの歌番組に出なくても、真にいい曲・いい歌があるんだ、いや、そうした歌謡界の祭典に一切かかわらなくても、いいメロディー、いい歌詞、素晴らしい歌があり、心をいやしたり、楽しませてくれたものだと今では思い出されてくるのです。そうなのです。今でも、真の名曲は、そんな大賞やランキング何週連続1位の冠なんぞなくても、40代、50代のお父さん、お母さんの記憶に“自身のベストテン”として残り続けているはずです。
 そこでです。文科省の検定教科書とは、大賞を取った、チャートで1位を何週も取った、そうした“名曲”とも私流に言えば、そう譬えらえることができるのすあんな曲が、巷で流れていたな!それが、まさしく、ああ、そんな教科書を、学校で使用していたな!そんな程度に比況できるのです。しかし、あの当時、まだ、“ブラックキャラ”でもあったタモリから、その当時女々しいと批判されていた小田和正やさだまさし、不良のイコンと烙印を押された矢沢永吉、ベスト・テンには一切出なかった中島みゆき、今でも、テレビに一切出演しない山下達郎、こうしたミュージシャンが、当時の賞取りレースやヒットチャートのお祭り騒ぎとどれだけ無縁であったことでしょうか。彼らは、今でもチケットは入手困難なアーティストでもあります。その当時大賞とった演歌歌手やアイドルのチケット、ベスト・テンの常連であった歌手、彼らのチケットなんぞは、今ではすぐに手に入る。沢田研二や郷ひろみなどです。ドラフト4位で、それも当時日陰者のパリーグのオリックスに入団したイチローの如き存在が、小田や中島、そして達郎でもあるのです。
 今や、ガラパゴス化したとも言える総合スーパーの衣料部門こそ、学校の教科書とも譬えることができます何でもあるが、欲しいものがない。何でも表記されているが、めりはりがない、たいしてためにならない{※ある意味、受験の武器になるか否かの次元でであって、一般常識的意味ではありません}。勿論、これに異議を唱える教師や親御さんがいることを前提に話しているまでです。特に、中学生の文科省検定の教科書なんぞは、こんなんで、週4~5時間英語をやっても、使える英語{=文科省の理想とする}なんか身につくはずもない、ましてや、その日本語表記の中途半端な教科書を前にして、“授業を英語で行うべし”とのお上からのお達しが出されて、現場ではいい迷惑とも聞いています。だったら、オックスフォード出版とやらのアメリカンスクールなどで用いているテキストを使用したら?とまで皮肉を言いたくなる始末です。まったく一貫性のない無責任的理想論のお達しでもあります。ゆとり教育における、理想(文科省)と現実(学校)の齟齬からの失敗した政策と同じ関係が見えてきます。
 林修氏もあるテレビ番組でコメントしていましたが、教科書とは、あくまでも学習のきっかけをつくるもの、あくまでも、スタートラインの本、その程度にすぎません。もっともです。これは、個人的経験でありますが、東大合格者の中には、「山川出版社の日本史、世界史の教科書さえやっていれば十分だ」そう合格体験記で語る秀才?の高校生は多いものですが、事実、私なんぞは、それを鵜呑みにして、東京大学の二次の日本史や世界史の論述が全く歯が立たなかった記憶があります。「お前は、凡才だからだ!」と非難されても仕方がない高校生であったと思います。勿論、自身の能力のなさもあったでしょう。今でも、そうです。センター試験ならいざ知らず、東大二次なら、勿論、早稲田や慶應の一部の日本史や世界史の問題においても、文科省検定教科書を凡才の高校生が独学で読んで暗記しても、到底太刀打ちできない代物です。論述問題などは何を、どう書いたらいいのか途方に暮れたというのが正直な実感でもありました。また、高校数学の数Aから数ⅡBにかけて旺文社の検定教科書を学んだ{※「お前は、基礎の本質を学んでいなかったんだ!」というお叱りを覚悟の上で言います}くらいでは、『青チャート』(旺文社)の問題や、さらに、『大学への数学』といった東京出版の雑誌系問題集など全く歯が立たず、解説を読んでも理解できず挫折した思い出があります。恐らくは、歴史にしても数学にしても、「この教科書だけやれば十分合格ラインに到達できる」とか、「この問題集を徹底してやれば真の実力がつく」などとは、超進学校の授業もしくは、一部の優れた歴史・数学教師・講師のバックグランドがあったればこそのコメントなのです。実は、テキスト・生徒の能力・学校の授業の質・その先生のスキルなど複合化して、その科目が‘できる・できないの部族’を生み出しているのが実態です。教科書とは、エベレストの中腹まで登山用品や食料を運んでくれるシェルパのような存在にすぎません。『青チャート』や『大学への数学』は、エベレストの中腹からほぼ頂上までの“ヴェテラン登山家”“優秀なアルピニスト”が使用するテキストであり、自身との格闘がものを言う世界・領域なのです。従って、教科書程度では、高校受験から大学受験なんぞは到底無理な話、また、『青チャート』や『大学への数学』などを使用したとしても、学校での優れたその科目の教師もしくは授業というシェルパが五合目まで指導でもしてくれなければ、ほぼ効果薄、いや無意味にして“登頂不可能”に近いものです。一合目から、文科省の教科書のみで、独力でエベレスト登頂ができるのは、天才か上レベルの秀才だけです。初等教育(小学校)から中等教育(中学校)への受験、中等教育(高校)から高等教育(大学)への受験、こうした次の段階へのハードルが、日本国内の3000メートル級の登山{※いわば学校を卒業すればいいて程度の学力のことです}以上です。学校の定期試験以上を目指すのであれば、「教科書プラスα{進学校合格の学力=キリマンジャロ級登頂}、更に、ハイレベル問題集プラスβ{超進学校合格の学力=ヒマラヤ山脈級登頂}が必要となる」を用いざるをえない、この<教育的暗黙の公式>を無視しては、学習・受験としての教育は成立しないものです。特に、語学というものは、「お金と時間をかけなければだめ」『外国語上達法』岩波新書(千野栄一)ということでもありまする。
 文科省の検定教科書などは、その対応学年の二年前倒しくらいで学習しておかなければ、その科目は、真の意味で得意とは胸を張って言えないのではないでしょうか。超秀才の例外ではありますが、林修氏は、愛知県の私立進学校(東海中学・高校)で、中学3年の終わりまで、大学受験で必要なレベルの数学と英語は完成していた{※恐らく共通一次試験の問題であればほぼ満点というレベルでしょう}とも言います。また、精神科医でもあり鉄緑会を主宰していた和田秀樹と4人の我が子を東大医学部に入れた佐藤亮子氏は、ある対談の中で、幼稚園のうちに、小学校3年レベルの学力は身に着けておくべしとまで語っているのは、極端な例でしょうか?東大志望の親御さんならニコッと笑い、首を縦に振るに違いありません。これは、受験エリートの部類に入りますが、凡庸なる普通の人々も傾聴に値する言説ではあります。文科省や検定教科書を、その学年に応じて学習させる‘悪しき平等主義的公立主義’というもののアンチテーゼとなると申せましょうか。
それでは、英語の教科書、特に『ニューホライズン』(東京書籍)や『クラウン』(三省堂)といった有名な老舗出版社の教科書批判というものをしてみたいと思います。
 中学校の英語の教科書を、緊張感ある中、一番音読と復習をしている人が、まぎれもない英語教師なのです。その英語教師が、英語ができないという烙印を押されている現状をどう見るか?一日に数回は、同じ箇所を生徒の面前で教える、本来ならば、その中学3年分の英語を暗唱している域に達しているはずです。この文脈でいえば、英語の達人こと名通訳者国弘正雄氏の弁ではありませんが、「戦前、中学時代の教科書を音読して暗唱していたことが、その後の私の土台を作りあげていた」という自己体験と矛盾するではないでしょうか?それは、一つには、文科省の教科書のレベルの低下・劣化が大きい理由と言えましょう。もう一つは、中学英語教師のさらなる高見への動機・テンションの問題であります。国弘氏同様に焼野原の神戸で米軍相手に実践トレーニングを積んではいないこと、更に、国弘氏ほど高邁なる英語上達へのロマンがないこと、これらが、中学英語教師の能力停滞の淵源であると思われてなりません。昨今、中学や高校の教師が、「生徒に夢を持て!」と言い聞かせている割には、生徒から、「先生の夢は何ですか?」と聞き返され、口ごもるか、「先生の夢は、君たちがいい大学に合格することだ」とか、「君たちが立派な大人になることだ」また、「君たちが日本を背負って立つ人間になることだ」とか、自身の夢を脇に置き、生徒の何たるかにばかり、教育者ぶって語るその姿がダサくまた、地味で魅力ないものに映ってしまっているジレンマに陥てしまっている難しい状況が厳然と存在するのが、今の教師の置かれている“教育環境という悲しい現実”でもあるのです。「だっせえ~!先生の夢ってそんなの?」と見下されるか、サラリーマン気質を見透かされて、先生の指導に魅力を感じられなくなってしまっている、平成世代の生徒達を包み込んでいる、このネット社会の悪弊が、教育界にも波及してきているのです。
 論語を学び、数石から数十石の俸禄をもらい、日々、剣を道場で修練すれば、どうにか平安に日々が暮らせていけた幕末の武士のメンタル、これこそ、凡庸なる中学教師ともいえますが、不幸なるかな、ブラック職場なるかな、百姓の仕事をも背負わされてきているのが、身体的・精神的負荷ともなり、英語教育スキルそのものを向上させる時間も場所もないのです。漢籍や武道の鍛錬する場すら奪われてきているのが、現代の下級武士、即ち、公立の教師の置かれている現状なのです。

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