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私の二刀流➁~国語と歴史~

 弊塾では、私自身が、オプションとして英語の他に仏語も教えていることは前回に言及した。今回は、更に、歴史と国語に関して述べてみたいと思う。
 
 恐らく、日本中に英精塾同様に、個人が、こじんまりと、地域に根差して、その塾長みずからが複数、それも、英数国理社と、教えているところは、恐らく、高校受験から中学受験の塾、いわば、中学生から小学生を対象としているところでもあろうか?いや、大学受験に関して、高校生に数理や英国社を教えている塾も、わずかであろうが、存在すると思われる。その貴種(?)にして、奇種(!)でもあるのが、本塾でもある。
 
 では、この塾長が、陰ながら、どうして、英語以外の科目を教えているのか、教えられる(?)力量(?)があるのか、そして、オプションとして、継続しているのかにふれてみたい。
 まず国語である。自身の国語という科目の経歴をざっくばらんに話すと以下のようなことになる。
 高校時代に、文学、特に日本文学に目覚めた私は、大学進学は、漠然と国文学の世界に進むような予感で、日々、新潮文庫などと首っ引きの青春時代を過ごしていた。高校3年くらいだっただろうか、作家丸谷才一が、「日本文学をやるなら、まず、大学時代は、外国文学だ、外国語を徹底的に学び、そして、大学院で国文学を研究するのが本道だ」というような発言をしている文を、どこかしらで目にした。そうか、日本文学を究めるなら、まず、外国文学、外国語、それも英語かなんかだな!と、国文学を回避する方向性を抱き始めた。好きな人といったん離れてみる、長距離恋愛をして初めて恋人への愛情が深まる、それと似た真理を丸谷の指摘に嗅ぎ取ったわけでもある。
 であるからして、日本の近代文学、漱石鴎外から三島まで、文庫本では、名作という作品は大方読んでいて、更に、高校の古典の時間は、超面白くなく、文法もあまり上手とは言えない授業とは真逆に、自身では、ドナルドキーン経由で、日本の古典の世界レベルの魅力は、漫然とではるが、“日本の古典は世界一”{※これは、数学者藤原正彦氏も同様の指摘をしている}とも認識しかけてもいた。古典への興味も深まっていった。
 このように、文学青年として、十代後半を過ごしたわりには、国語、特に、模試での現代文の成績(点数)は芳しくなかった。その原因に関しては、弊著『反デジタル考』の中の≪中等教育における英数国理社の重要度≫などの章で詳しく語ってもいるので、この場では割愛する。
 この現代文を教えられる秘訣は、この矛盾{高校からの読書量には現代文の、特に模試の成績には反映されないということ}からきている。遅まきの読書は、国語、特に現代文の得点では、正比例しないという真実に近い事実である。この矛盾というか、酷なる現実というものは、浪人時代、駿台予備校の藤田修一(記号的読解法)や代ゼミの堀木博礼(正統的読解法)といった昭和末期のカリスマ現代文講師の参考書や授業を受けても、いっこうに改善しなかった。現代文という科目は、漢方、東洋医学にも似ている、その人それぞれの生活習慣や家庭事情、遺伝などが複雑に絡み合って、効果が出る、出ないが、数学や英語といった西洋医学とは、全く対照的な科目であるという真実に気づいて、それを前提として、その真実を自覚させて、現代文の授業を行ってもいる。「現代文の授業は、大手の予備校講師の夏期講習なんぞを受けても、十人中せいぜい数人くらいしか効果はない、それを覚悟で先生の授業をうけてください!」とことわりを入れて受講させてもいる。
 
 次に、古文に関してだが、これは、やはり、駿台時代のカリスマ講師桑原岩男とか関谷浩といった参考書を執筆されてもいた講師ではなく、白鳥師、秋本師、中島師、宮城師{※駿台では講師を~師と呼んでいた}といった、世には名が知られてはいないが、いぶし銀のような古文を観る眼、読み込む本質的古典文法という‘いろは’を、駿台英語に劣らぬくらいに叩き込まれた。これに、小西甚一の『古文研究法』がアレンジされて、今の、英精塾古文の私版テキストの母体ともなっている。
 
 因みに、古文は、英語が本当にできる生徒は、良き教師に習えば、いや、習わなくても、結構伸びるものである。しかし、英語ができても、現代文は、その点は保証できない。ここは、古文という科目は、現代日本語よりも英語といった外国語に似ている根拠でもある。
 
 昔から、令和の今でもそうだが、<理系の浪人は駿台、文系の浪人は河合>といった風評だか、ジンクスだか、定番のウワサが根強いが、駿台は、国学院派の古文の講師が優れている点を、世の高校生はご存じないらしい。あのヤンキー古文カリスマ講師吉野敬介氏も国学院出である。
 
 小論文指導のノウハウは、この場では割愛する。
 
 では、歴史に関してである。
 
 これも、駿台時代の歴史の講師の恩恵が大なのである。
 昭和の時代、日本史の安藤達朗と世界史の大岡俊明が駿台の二大巨頭として君臨していた。当然、この両者に、お茶の水校舎で授業をうけたわけだが、このカリスマ両講師からは、意外と、学ぶもの、吸収する、今の歴史を生徒に教える上でのノウハウなど、継承しなかった。これも、彼ら以外の、地味な日本史講師や世界史講師、そして様々な参考書などが、自身の歴史のエキスとして、現在授業の肥やしとなって役にも立っている。
 
 歴史とは、人物を中心に、その出来事や時代の因果を面白おかしく、語ることに尽きる、そして、様々なエピソードを交えて、記憶の接着剤とする。
 世界史は、各国別に古代から近世まで、それぞれ教える。その際、年号は必須である。ゴロで覚えさせる。そして、横のつながりを強烈に意識させる。その時、『世界史年代記憶法』(山村良橘)を使用している。名著で、今、メルカリなどでは、1万円近くする参考書である。 
 日本史は、年号は最小限度でいい、各時代の権力者、天皇、貴族、武士、首相と、覚えさせて、その人物の時に何があったか、整理させる。これは、明治以降の歴代総理の時代で事象をくくる重要性は、大方認識してはいても、また、江戸もそうであるが、室町や鎌倉、平安になると、その徹底性は、薄らいでゆく参考書が多い。私は、その人間が時代を動かしているという真理、そうした日本史・世界史に関しての視点を重視してもいるからである。
 
 NHKの歴史系教養番組の源流、『歴史への招待』(鈴木健二)と東京12チャンネル時代の『人に歴史あり』(八木治郎)が、中学時代の歴史の発火点にもなっているような気がする。何も、中学まで、本来歴史少年もなかったが、高校生から、歴史的関心が芽が出始めたわけでもある。
 
 歴史という科目は、人物を中心に、人間を起点に、演繹法的に教えるに限る。大方の、歴史参考書や、それぞれの学校の、教え子のプリントを概観して感じ入る点は、まず、帰納法的に、政治経済文化から、その時代や人物を規定するものが多いというのが率直なる感想である。また、平成から、巷では、英語も当然そうではあるが、歴史系の参考書や教養書、新書など名著が多い。非常に納得する、理解しやすいのである。頭の中に入りやすい、歴史の因果のツボを外していない。しかし、現場高校生は、そうした名著に出会うチャンスや余裕、時間もない。従って、私個人が、様々な、受験に直結する知識を編集、編纂し、独自の教材を作って講義してもいる。もともと、歴史には大変興味があるので、そうした時間は、趣味の延長線でもあり、仕事などとは、あまり実感しないひと時でもある。
 
 現代文、古文、日本史、世界史、それぞれの科目は、自身が「ああ、いい!ああ、なるほど!」と講師なりに教授された内容・方法を自身の生きた経験とし、その後の自身の自助努力(※様々な本を読み漁る)で、平成中期、平成後期、そして令和という時代の高校生に、どう、換骨奪胎して、その魅力を伝えるか、それに尽きるのである、その指導の要諦は、クラッシックの名曲をどう指揮するか、そのマエストロの苦心、また、過去の名曲をどの歌手に、どうアレンジして歌わせるか、その音楽プロデューサーの仕事に似ている。



 

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