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コラム
"夢"は人生の様々なステージにある
夢というものには、努力が必ず伴う。その後ろについても回る。その厄介な影法師がいなくなれば、それは、夢とは言えない。また、大中小の努力というものには、大きな夢、中くらいの夢(中程度で目標)、そして小さい・ささやかな夢(小規模な目的)、そうした対立事象が規定されもする。夢とは、真の意味で、努力と同義であり、目標もまた、表層的な意味での努力といいうる。目的レベルでは、到底、努力とは言えない。
夢と言っても、前々回に言及し米津玄師の言葉ではないが、大方の人間は、その夢など実現しないのが常である。それは、何浪もして入った東京藝大を出た油絵科の学生が、日本画科の学生が、将来、自身の絵画だけで食べてゆく身分にありつけるか、そうした種族(天才)は、ほんのわずかであるという現実と比類してもいる。
では、ここで夢と努力、目標と努力、その関係性を、具体的次元で語ってみよう。
プロの世界、野球やサッカーを例にとるまでもないが、「結果がすべてだ!」とは余りに有名な台詞である。どんなにいいパフォーマンスを、どんな見事なプレーをしたとしても、WBCやワールドカップで、チームが負けてしまえば、それは“良し”とはされない、むしろ“失敗”の範疇に入れらてしまう。厳しい世界である。プロセスよりも結果重視である。オリンピックもこちらの部類に入るであろう。
一方、アマの世界、高校野球や国体、インターハイのアスリートたちである。こうした世界でプレーする人々は、その種目を一生涯にわたり行う人間ではない。せいぜい、20代後半から30代初めまで、“趣味”の世界での勝利を目標とする部族でもある。彼らは、その世界に、自身の栄達・栄誉は意識はするものの、そのパフォーマンスへの報酬や名声といったものは期待してはいない。ここにこそ、クーベルタン伯爵の言葉「オリンピックは勝つことより参加することに意義がある」の真意の一つであり、ここに、国家の代表としての勝利という名誉以前の、国家間の親睦・平和、そして、選手自身の身体以前の精神・人格の飛躍向上の真意が隠されてもいよう。これが、ここ数十年、オリンピックが、もはや“プロ”の戦場と化したことを、様々な競技が雄弁に物語ってもいよう。グルーバル資本主義の蔓延と社会主義の衰退が、スポーツに及ぼした影響の一つかもしれない。
実は、こうしたプロの世界の、メンタル、即ち、夢と努力との因果関係とも言える結果第一主義というものが、受験や就職など、あらゆる側面でも影響を与えてきていることは、周囲の社会環境を概観すれば得心がゆくことであろう。
それは、努力して夢が実現しなかったあかつきを、失敗という烙印を自身に押す精神状況である。
東大合格、司法試験合格、超有名企業へ就職など、学生、若き社会人にとっては、こうした目標は、“青春の夢”でもあったであろう、しかし、実現できぬ凡夫が、世の大成を占める。
最近、深夜のラジオ番組で、つぎのようなやり取りをするCMの一節を耳にした。
「君たち、ベストとベターでは、どちらがいい?」「私はベストです」「僕もベストです」「いやいや君たち、わかっちゃいないね!ベストよりもベターの方がいいんだよ。それは、ベストは一番、テッペンを極めて、それ以上成長はないだろう。一方、ベターはね、更に上へ上へと、向上する、上がある。永遠に発展段階にいる、成長するってことだよ。よって、ベストに到達した奴に、人生の長期戦では、勝つんだよ!」「そうですね、ベストよりベターの方がいいや!」
こうしたやりととりなど、社会人へと踏み出す時、踏み出した後、それを、真の就職と考えるか、世間体のよい就社と考えるか、また、大学というトポスが、学歴を与えてくれる場か、将来への学び歴の重要さ(ヒント)を教えてくれる教育機関であるか、そうした強烈なる自覚の明暗をも示唆してもいよう。ここに、実は、金メダリストには皆無であり、国体から五輪出場ながら予選敗退の無名のアスリートに限り、多数のメダリスト輩出する名コーチ・名監督あり、そうした真実がある。プロ野球の長嶋・王は、超名選手でありスーパースターでもあったが、名監督だったとは、私の見地からすると、とても言えない、しかし、彼らに現役時代のパフォーマンスでは劣っていながらも、引退後、名指導者として、名監督ともなった野村克也の事例も、そうした成功というものが、人生長期戦においてはわからぬものだという典型でもあろう。アスリートの現役時代と指導者時代、いや、人生における様々なステージにおいて、実は成功というものがあるという、“人生の摂理”を雄弁に物語ってもいよう。六大学野球のヒーローとして、甲子園優勝投手として、長嶋や王は、鳴り物入りで巨人に入団した。一方、野村は、二軍のブルペン捕手(通称、“壁”とも言われた!いつ首になるとも限らない、まるで草履とりの秀吉のようなスタートだった)として、テスト生として入団した、このスタート時点の明暗も、高校の受験生、大学の就活生は、大いに学ぶべきことは多々あるだろう。長嶋や王にとって、監督とは、夢といった代物ではなかったはずである。黙っていても、お鉢が回ってもくる“名誉職”でもあったろう、一種、スーパースターとしての、まあ、優勝を義務づけられた、目標を与えられた管理職のようなものだった。一方、野村は、大活躍した、母球団南海から放逐され、新球団西武で、自身の子供と同じ年齢の若者とプレーする羽目となり、その後、テレビ解説者の時代に、野球を中心にすえたスポーツ観・野球観というものを確立した、その矢先、ヤクルトから、一生野球界からお呼びがかからないと忸怩たる思いの浪人時代、監督招聘される。まるで、大阪の陣の際、西軍からお呼びがかかった浪人身分の真田幸村の如しでもあっただろう。そう、野村には、秀吉のようなたたき上げの根性と、幸村のような、知謀・知略があったのである。
この野村に学ぶべきは、ひと様からは、決して夢とは思われない対象物を、それは、一般的には、目標という次元のものかもしれない、それを、自身の夢として措定し、それに、努力を越えた精進という次元で、猪突猛進していった、その栄光の轍が、現在の野村克也の“輝かしい戦歴”でもある。
世間では、市井では、名もなき人々が、目標という次元のもの(中から小レベルの夢)に、生きがいを見出し、それを、自身の“ささやかではあるが濃密なる夢”として人生の生業としたものが、人生の勝者となってもいる。実は、成功というものの多義性の閾にいれてもいい、けなげだが、崇高なる行為なのである。
人生の初段階、大志ともいってい、大きな夢という獲物を、知恵という武器(努力と能力・才能)で追い求め、それに失敗した時、中また小の夢という獲物を捕らえる、そうしたメンタルの変換こそが、智慧でもある。こうした生きる心得は、仏教、特に禅宗などが大きな示唆を与えてもくれている。事実、ビジネスやスポーツなどで、人生後半戦において成功している者などは、こうした<心の革命>を無意識に行っているものです。
「己を捨てて、学問をすれば自ずと己の生き方が見えてくる」『本居宣長』(小林秀雄)
「進歩とは、反省の厳しさに反比例する」(本田宗一郎)
この二つの言葉、青春時代の夢破れし若者が、人生の第二ステージへ踏み入れた時、噛みしめるべきものである。(つづく)
夢と言っても、前々回に言及し米津玄師の言葉ではないが、大方の人間は、その夢など実現しないのが常である。それは、何浪もして入った東京藝大を出た油絵科の学生が、日本画科の学生が、将来、自身の絵画だけで食べてゆく身分にありつけるか、そうした種族(天才)は、ほんのわずかであるという現実と比類してもいる。
では、ここで夢と努力、目標と努力、その関係性を、具体的次元で語ってみよう。
プロの世界、野球やサッカーを例にとるまでもないが、「結果がすべてだ!」とは余りに有名な台詞である。どんなにいいパフォーマンスを、どんな見事なプレーをしたとしても、WBCやワールドカップで、チームが負けてしまえば、それは“良し”とはされない、むしろ“失敗”の範疇に入れらてしまう。厳しい世界である。プロセスよりも結果重視である。オリンピックもこちらの部類に入るであろう。
一方、アマの世界、高校野球や国体、インターハイのアスリートたちである。こうした世界でプレーする人々は、その種目を一生涯にわたり行う人間ではない。せいぜい、20代後半から30代初めまで、“趣味”の世界での勝利を目標とする部族でもある。彼らは、その世界に、自身の栄達・栄誉は意識はするものの、そのパフォーマンスへの報酬や名声といったものは期待してはいない。ここにこそ、クーベルタン伯爵の言葉「オリンピックは勝つことより参加することに意義がある」の真意の一つであり、ここに、国家の代表としての勝利という名誉以前の、国家間の親睦・平和、そして、選手自身の身体以前の精神・人格の飛躍向上の真意が隠されてもいよう。これが、ここ数十年、オリンピックが、もはや“プロ”の戦場と化したことを、様々な競技が雄弁に物語ってもいよう。グルーバル資本主義の蔓延と社会主義の衰退が、スポーツに及ぼした影響の一つかもしれない。
実は、こうしたプロの世界の、メンタル、即ち、夢と努力との因果関係とも言える結果第一主義というものが、受験や就職など、あらゆる側面でも影響を与えてきていることは、周囲の社会環境を概観すれば得心がゆくことであろう。
それは、努力して夢が実現しなかったあかつきを、失敗という烙印を自身に押す精神状況である。
東大合格、司法試験合格、超有名企業へ就職など、学生、若き社会人にとっては、こうした目標は、“青春の夢”でもあったであろう、しかし、実現できぬ凡夫が、世の大成を占める。
最近、深夜のラジオ番組で、つぎのようなやり取りをするCMの一節を耳にした。
「君たち、ベストとベターでは、どちらがいい?」「私はベストです」「僕もベストです」「いやいや君たち、わかっちゃいないね!ベストよりもベターの方がいいんだよ。それは、ベストは一番、テッペンを極めて、それ以上成長はないだろう。一方、ベターはね、更に上へ上へと、向上する、上がある。永遠に発展段階にいる、成長するってことだよ。よって、ベストに到達した奴に、人生の長期戦では、勝つんだよ!」「そうですね、ベストよりベターの方がいいや!」
こうしたやりととりなど、社会人へと踏み出す時、踏み出した後、それを、真の就職と考えるか、世間体のよい就社と考えるか、また、大学というトポスが、学歴を与えてくれる場か、将来への学び歴の重要さ(ヒント)を教えてくれる教育機関であるか、そうした強烈なる自覚の明暗をも示唆してもいよう。ここに、実は、金メダリストには皆無であり、国体から五輪出場ながら予選敗退の無名のアスリートに限り、多数のメダリスト輩出する名コーチ・名監督あり、そうした真実がある。プロ野球の長嶋・王は、超名選手でありスーパースターでもあったが、名監督だったとは、私の見地からすると、とても言えない、しかし、彼らに現役時代のパフォーマンスでは劣っていながらも、引退後、名指導者として、名監督ともなった野村克也の事例も、そうした成功というものが、人生長期戦においてはわからぬものだという典型でもあろう。アスリートの現役時代と指導者時代、いや、人生における様々なステージにおいて、実は成功というものがあるという、“人生の摂理”を雄弁に物語ってもいよう。六大学野球のヒーローとして、甲子園優勝投手として、長嶋や王は、鳴り物入りで巨人に入団した。一方、野村は、二軍のブルペン捕手(通称、“壁”とも言われた!いつ首になるとも限らない、まるで草履とりの秀吉のようなスタートだった)として、テスト生として入団した、このスタート時点の明暗も、高校の受験生、大学の就活生は、大いに学ぶべきことは多々あるだろう。長嶋や王にとって、監督とは、夢といった代物ではなかったはずである。黙っていても、お鉢が回ってもくる“名誉職”でもあったろう、一種、スーパースターとしての、まあ、優勝を義務づけられた、目標を与えられた管理職のようなものだった。一方、野村は、大活躍した、母球団南海から放逐され、新球団西武で、自身の子供と同じ年齢の若者とプレーする羽目となり、その後、テレビ解説者の時代に、野球を中心にすえたスポーツ観・野球観というものを確立した、その矢先、ヤクルトから、一生野球界からお呼びがかからないと忸怩たる思いの浪人時代、監督招聘される。まるで、大阪の陣の際、西軍からお呼びがかかった浪人身分の真田幸村の如しでもあっただろう。そう、野村には、秀吉のようなたたき上げの根性と、幸村のような、知謀・知略があったのである。
この野村に学ぶべきは、ひと様からは、決して夢とは思われない対象物を、それは、一般的には、目標という次元のものかもしれない、それを、自身の夢として措定し、それに、努力を越えた精進という次元で、猪突猛進していった、その栄光の轍が、現在の野村克也の“輝かしい戦歴”でもある。
世間では、市井では、名もなき人々が、目標という次元のもの(中から小レベルの夢)に、生きがいを見出し、それを、自身の“ささやかではあるが濃密なる夢”として人生の生業としたものが、人生の勝者となってもいる。実は、成功というものの多義性の閾にいれてもいい、けなげだが、崇高なる行為なのである。
人生の初段階、大志ともいってい、大きな夢という獲物を、知恵という武器(努力と能力・才能)で追い求め、それに失敗した時、中また小の夢という獲物を捕らえる、そうしたメンタルの変換こそが、智慧でもある。こうした生きる心得は、仏教、特に禅宗などが大きな示唆を与えてもくれている。事実、ビジネスやスポーツなどで、人生後半戦において成功している者などは、こうした<心の革命>を無意識に行っているものです。
「己を捨てて、学問をすれば自ずと己の生き方が見えてくる」『本居宣長』(小林秀雄)
「進歩とは、反省の厳しさに反比例する」(本田宗一郎)
この二つの言葉、青春時代の夢破れし若者が、人生の第二ステージへ踏み入れた時、噛みしめるべきものである。(つづく)
2024年9月30日 16:40