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アナログ教育が如何に大切か!

 政府、文科省、そして学校と生徒の関係は、これまで述べてきたので、今回は、生徒と教育産業との関わりを語ってみたいと思います。
 ここ数十年、学校家(自宅)、そして塾・予備校というトライアングル(正三角形)の関係が、以下のようになっている点にご父兄の方はお気づきの方が多いかと思います。
 学校は、卒業という肩書をゲットするため、また、部活や友人関係を深める場。家(自宅)は、身体を休めリラックスする場、また、テレビやパソコンなど誘惑の機器が多数あり、勉学に集中できないことを逆用し‘勉学の息抜き’の場化している点。そして、塾や予備校が真に、学力を上げる真剣な場と化しているという点。これは、父母の世代に比べ、学校が勉学の場ではなくなり、教師よりも父兄の方が教育の情報が多く、教師と父兄の現実的な教育観の認識の逆転現象が起きている、また、教師の資質の低下、学校という職場環境の悪化、40人学級などの制度疲労のせいで、12歳から18歳までの一種‘託児所’的存在になれ落ちてしまっている嫌いがなくもない現実があるのです。
 そこで、大手の予備校や全国展開している学習塾などは、自習室完備を売りにもしている実態にお気づきの方も多いやもしれません。増田塾{※今では大手の教育企業Z会に買収されてしまった}という難関私立文系をターゲットにした大手の塾は、自習室での自習を義務付けているほどです。また、武田塾などは、一種、教えない塾、即ち、市販の問題集や参考書を指定アドバイスして、自己計画・目標を立てさせ、自力で学習させる方式のフランチャイズ形式の塾まで栄えている始末です。日経MJ(2017年、9月1日)で読みましたが、自称‘ライザップ方式・授業のない武田塾’を売りに全国展開しているようです。自習のみの塾です。数年前にビリギャルで有名になった坪田塾もこの武田塾に準じる方式やもしれません。こうした事例からも、現代の生徒は、自宅では、勉強しない光景が垣間見えてきます。意志の弱さと自宅内の様々な誘惑的ものという要因がそうさせてもいるのでしょう。この自習形式の大きな欠点とは、たとえその参考書や問題集のコンセプトに生徒自身の能力とシンクロしたとしても、自身の可能性を秘めた、また、生のヴェテラン講師の教授内容までは、残念ながら到達できない可能性が高いのです。つまり、生徒自身の現実的‘殻’は破れても、理想的‘殻’までは壊せないということでもあります。ここの教育上の真理は、お分かりになる方は分かるはずです。これ以上は踏み込みません。
 次に、デジタル社会における、学習環境から教育産業をみてみますと、インターネットによる様々なブロードバンド予備校という存在、無数に様々なものがあります。スマホによるスタディーサプリ(※リクルートによるものが代表的)、東進ハイスクールのDVD授業や衛星予備校などといったものが挙げられます。では、こうしたデジタル化された教育産業と生徒との関係をこれから語ってみたいと思います。いや、塾・予備校だけではなく、学校でもi-padや電子黒板などの普及度は高まっている現実も忘れてはいけないと思います。
 最近、スマホ育児という言葉をお聞きになられた方も多いかもしれません。2歳から6歳くらいの幼児・子供にスマホを与え、その画面で、様々な楽しい動画、ちっとしたゲームなどで子守の代用をさせて、自分は料理や洗濯、ときにはその母親までスマホのアプリを楽しんでいる状況を指す言葉です。こうしたデジタル育児とも言うべき環境に、あるアンケート調査では、45%が問題なしと返答しているようです。しかし、まだ、55%ほどが、‘ちょっと問題なんじゃないの?’と訝しく思っている母親が存在しているということですが、この45%の数字が多いと見るか、少ないとみるか、ここに、デジタル社会のリトマス試験紙があるとも言えそうです。
 では、この‘スマホ育児’に関しては、意見がほぼ真っ二つに分かれそうな現代にあって、事がデジタル教育(小学校から高校まで)に関してとなると、実は、もっと無頓着なご父兄が多いやもしれません。
 東進ハイスクールのDVD授業、河合塾マナビス、他の衛星予備校、スマホのアプリ授業、こうしたものが、1流講師による、一方通行の、好きな時間、好きな場所で、自分のペースで勉強ができるという点が長所でもありますが、その死角というものに、ご父兄そして我が子、その生徒本人が気づいていないケースが意外に多いのです。それは、映像の講師と画面の生徒の1対1の関係、それも、リラックスの精神状態{※生の教室で、本当はほどよい緊張感があり、他の生徒がいた方が自身の能力の尺度ともあり、ある意味いいのですが}で、その生徒が、その講師の手法を学び取る、ある意味、パソコンの画面を見て、通販で買った靴やシャツが、規定のMやLだと思っても、若干のズレといった理解の齟齬が生じているという事実です。勿論、通販で買ったザイズがドンピシャの場合もあります。しかし、それと同じ商品を街のショップで見つけて、試着してみたら、Sの方がピッタリだったとか、ELの方がむしろ窮屈でないといった体験に似たようなものが、実は、このデジタル学習の盲点でもあるのです。
 先日(2018年5月17日)東京ビッグサイトで、“教育ITソリューションEXPO”なる国内最大の教育産業の最先端ツール{画像授業の最先端の端末機械、電子黒板やら、電子ノートなどの驚くほどの学習機器}の展示会に出向きました。大学から幼稚園まで、また、予備校や塾など相当な数の教師・講師・担当者などが大勢詰めかけていて大盛況でした。その後に、灘校の和田孫博校長の『灘校が実践する、個々の能力を引き出す教育』という題の講演を拝聴しました。簡潔に感想を申し上げると、「ああ、やっぱりね!こうした超進学校に限り、こうした展示会で出品されている最先端の、デジタルな教育ツールには、あまり関わってはいないのだな!」というものでした。私のこの展示会での感想は、自身の焦りというよりも、むしろ、自分の主宰しているアナログの少数精鋭の、生徒の使用する≪鉛筆(シャープペン)とキャンパスノート≫と講師の用いる≪チョークと黒板≫、このアナログの関係がますます希少性をもってくと確信をもった次第です。なぜならば、これは、アナログ人間の私が、知人のIT系の超デジタル人間にも語ったことですが、「デジタルはアナログのためにある」「世の中がどんなに最先端社会になっても、人間というアナログの権化を相手にする教育とは、その進歩の最後尾にとどまっていなくてはならない」、この言葉にその方は「まったくその通りです」と同感してくれたことが印象に残っています。身体の成長の止まる高等教育(大学)から、デジタルに染まればいいわけで、初等教育(小学校)中等教育(中学高校)は、アナログ、準アナログと旧来の手法にこだわるべきであるというのが私論として譲らない点でもあるのです。但し、我が子を、将来、一流のSEやプログラマー、また、ハッカー、ゲームプログラマー、更に、将来オリンピックの競技種目にすらなりそうなeスポーツのゲーマーなどにしたいとお考えの親御さんは例外ではありますが…。
 ここで、お察しのよいご父兄・生徒さんを相手に、少々回り道的脱線をしたお話しをしますが、2009年1月2日のNHKの初春トーク番組「宮崎駿・養老孟司 子どもが生き生きするために」を見た場面のことですが、番組の終わりに、少年少女の質問時間での次のようなやりとりがあったことが痛烈に印象に残っています。
 
 「宮崎先生、僕は、先生の作品をすべて見ています、他のアニメ作品もたくさん見ています、どうしたら先生のような作品が作れるようになるでしょうか?」
 「お答えします、明日からアニメを見ないことです。本を読みなさい。」
 
 この二人のやり取りから、デジタルの母は、あくまでもアナログであるということ、イマジネーションの源泉は、活字であるということ、これは、学校教育にもいえることだと思います。
 私がよく観るテレビ番組の一つでもある、未来世紀ジパング(テレビ東京)の8月8日の特集『世紀の驚きの建築!アンビルトVS日本の建築』を見ましたが、現在世界では、意外や意外、木造建築{※番組では、特にスイスを例に挙げていましたが}が見直されている趨勢にあるというものでした。日本では、根津美術館などを手掛けた、建築家隈研吾氏による、東京オリンピックのメインスタジアムである国立競技場なども木を中心のコンセプトに設計されたものであり、今、世界は木造建築ブームとも言われ、スイス連邦工科大学のローザンヌ校の校舎(隈研吾設計)やスイスの時計メーカーSWATCHの新本社の建物(坂茂設計)やオメガの製造工舎(坂茂設計)などを取り上げていました。
 隈研吾氏の弁ですが、2000年までは、効率的な鉄とコンクリートによる建造物が主流でしたが、これからは‘人間の時代’に変わらなければならないという自覚が世界中で芽生え始めてきているという。その象徴が、木造建築であるとも語っていた。
 道元の仏教用語ですが、面授面受というものがありますが、これは、‘教え’というものが、師と弟子、先生と生徒の関係とも言っていい、こうした‘教え’は、生に(直接)師と弟子が面と向き合ってしか真の精髄は伝わらないというものです。この概念は、マラソンの瀬古利彦と監督中村清とのエピソードで知ったものです。アーティストのDVDではなく、生のライブが廃れることがない所以でもあるでしょう。私の好きな禅の言葉ですが、啐啄同機というものがあります。親鳥が外から殻を突っつく行為を‘’といいます。雛鳥が内側から殻を突っつく行為を‘’といいます、この二つの行為が絶妙にマッチした瞬間を、同機といいます。この阿吽の呼吸がピッタリの時、雛鳥が卵から出てきます。これこそ、アナログ英精塾で一貫して譲らない理念でもあります。
 大手のデジタ授業が拡大しても、個人の本物のアナログ授業が廃れることがないのは、ちょうど、大手回転寿司チェーン店がどんなに栄えようとも、銀座すきやばし次郎や日本中の寿司の隠れた名店がなくならないのと同義であります。
 東京オリンピックに向けて森喜朗元首相が、経済効率や暑さ対策のためと称して、サマータイムを安倍首相に提言しましたが、これなんぞも、アメリカでの80年代のゆとりの教育を90年代輸入して大失敗した愚挙と同じ過ちをしようとしている。欧米では、サマータイムは逆に見直しの対象となっていることを最近ニュースで知った方も多いかもしれません。グローバルスタンダードと称して、使える英語・実用英語・資格系試験へと盲従している政府は、サマータイムなど実施したとしたならば、大きな誤りのかじ取りと言わざるをえないでしょう。だらか、英精塾では、政府の方針や文科省の政策など信用してはいないのです。むしろ、無視して、生徒に英語を教えているのです。

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