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使える英語と医学部受験の生物

 <使える英語>、4技能、こうした実用主義という錦の御旗を掲げる文科省、そして一部の大学に言いたいことを、<医学部入試>と<生物という科目>という観点から述べてみたいと思います。
 国公立はもちろん、私立の医学部入試では、数学、そして英語、さらに理科2科目が必須のところがほとんどです。そして、その理科という科目に関して以下のような選択分布があることは、周知の事実であります。
 
 国公立の医学部志望生徒  物理と化学がメジャー  化学と生物はマイナー
 
 私立の医学部志望生徒  物理と化学が若干メジャー~国公立のすべり止めの生徒が多いほど物理を選択~
 
 医学部志望男子生徒  物理と化学が半数以上  化学と生物はマイナー
 
 医学部志望女子生徒  生物と化学が半数以上  物理と化学はマイナー
 
 そうなので、医学受験組生にとって、<生物>という科目は、マイナー、ある意味、日陰者的立ち位置の科目なのです。文系受験生に譬えるならば、歴史系が物理、地理系が化学、そして、政治経済系が生物とも言いえるかもしれません。
 ある医学部関係者の意見として、小耳にはさんだ情報ですが、「丸暗記で対応できる領域の多い生物よりも、地頭の強さ、頭の回転度を優先すれば、物理で入ってきた生徒の方が、誤解を恐れずに言わせてもらえば、伸びしろがある、ある意味ありがたい」といったようなことを聞き覚えがあります。また、「医学部で習う生物の知識など、わざわざ高校で覚えてくるより、これからオリンパスなど医療工学系企業とコラボしてゆく上でも、物理を習得してきた学生の方がこれから前途が明るい」といったようなことも聞きおぼえがあります。極端な比喩ですが、英語でいう<読み・書き>が物理で、<話し・聞く>が生物とも言えなくもありません。化学は、その中間に位置します。
 医学部にとって、大学で必須の生物的知識など、わざわざ高校の段階で学ばなくてもいい的文脈に聞こえます。文科省的見地からすれば、医学部受験生は、センター試験で生物は必須、そして、二次試験では、必ず物理と化学を選択、いわゆる、3科目が避けて通れない受験システムにすればいいですが、これは理想論というものです。これを、今流行りの、今般中止となった4技能を試験する民間英語資格系テストなるものは、この医学部の方針と真逆であるように思えてならないのです。極論的比喩を申しあげましょう。
 
 医学部における入試科目と英語の譬えです。
 
 真の<読み・書く>という技能さえあれば、それに引き連れて、<聞く・話す>技能は必然的に伸びるというのが私の説です。数学は、理系の象徴としての特権的科目として、除きます。英語は、英語で書かれた医学書や医学論文を読み込む上で必要でありましょう。化学は、医薬品の知識として土台骨になるものです。あとは、物理か生物かという選択になります。
 誤解を恐れずに言わせてもらうならば、世の文系・理系の進路選択の分岐点が、実は、数学の負け組が日本では、必然的に文系になっているに過ぎません。その筋で言わせてもらえば、医学部受験の際、生物選択をする大方の生徒は、物理苦手派が大勢を占めている厳然たる事実があります。彼ら、彼女らは、生物が好きで、暗記に命運が左右される部類に入る<生物>を選択しているわけではないのは、文系の生徒が、英語、国語、そしてとりわけ歴史や地理が好き選択しているわけではないのと同じです。
私の教え子で、文系の早稲田や上智に進学した生徒で、取り分け女子が目立つのですが、社会ではなく数学で受験した女子生徒は、ほぼ100%に近く、積極的数学派ではなく、歴史はもちろん、地理にさえ興味関心がなく、むしろ苦手の女子が多いということです。そうした女子生徒は、“お勉強の数学”を生真面目にやってきて、数学で落ちこぼれてはいないというものの、歴史や地理といった知識・教養系にはくみしない部族であります。これと同じことです。医学部志望女子の生物選択は、物理より生物の方がましと考え、それを選択しているのがほとんどでありましょう。弊塾から、医学部や国立理系に進んだ女子生徒の口頭質問での雑駁な統計から言いえることです。
 生物という科目は、医学では、有用です。大学医学部での予習を高校時代にやってきたようなものです。しかし、理系秀才医学部生は、生物を選択しなかった者がほとんどであります。そうはいうものの、医学部生として、必要な“使う知識”という<生物>は、入学後、学び始めて、それなりの医学的“生物”知識を習得します。
 これを、英語に置き換えてみます。<使える英語>など高校時代、話したり、聞いたり、書いたり{※英作文能力は、ある程度高校時代に修練を積む必要があります。またリスニング力も最低限度CDプレーヤーなどで鍛えておくことも必要ですする技能は、二の次で構わないのです。医学部受験生に、生物という科目を必須にするのが、馬鹿らしいのと同じように、一般大学受験生に、民間資格系試験を、<話し・書く>能力を大義名分に掲げ、新テストの一環で、50万人もの数で採用するなぞ、愚の骨頂、無駄なシステムとさえ言いたいのです。読む力とある程度の聞く力を一次試験で、二次試験ではその大学で別個に書く・話す能力を試験すればいいだけの話しです。
 
 このたび、英語民間試験採用に積極的だった大学や落胆・失望したとコメントする大学というのは、「自身の大学の英語教育カリキュラムが、4年間で<使える英語>など我が大学で身に付きはしませんよ、ですから、高校時代に<使える英語>を習得してきてくださいね」というメッセージを送っていると世の親御さん・高校生は認識しておいたほうがいい。
 
 社会科の政治経済という科目の立ち位置を考えてみて欲しいのです。日本史・世界史・地理・政経・倫社と大まかに区分けしたとき、政経と倫社で文系私大を受験できる大学が如何に少ないか、特に、政治経済などの科目は、大学生が、就活段階で、日経新聞など定期購読し、池上彰氏の本を読み、その知識をひけらかすかの如きに企業面接に臨むものです。そして社会人ともなれば、否が応でも、政治経済的知識を前向きに習得せざるをえない、そうでもしなければ、お笑い芸人チュートリアルの徳井義実のような挫折に実社会で見舞われかねないのも現実です。
 医学部生が、高校時代に<生物>など履修しなくても、必要性に駆られて自助努力をして医学部として真の、使える<生物>を学び取るように、書いたり、話したりする技能は、本当に読み・聞く能力さえあれば、大学で、自助努力でどうにでも伸びるものなのです。わざわざ、新テストで、英語だけ区分して民間業者に委託するほどのものでもありません。
 財界が自民党にクレームをつける、学生の<使えない英語>という根幹にくすぶる本当の原因は、高校時代の、真の読み{本当は書く力も若干必要なのですが}とある程度の聞く能力が身に付いていない“名ばかり英検2級タイトルホルダー”の量産と機能不全の大学の語学教育にこそあるのです。今般の民間資格系英語試験は、むしろ、全ての大学で行いさえすればいい、そうすると、その英語テストで基準を満たさない瑕疵学生を輩出する大学は、医師国家試験の合格比率を気にするレベルの低い医大の如く、日本全国の半分前後の大学で大学の語学教育の自己責任が問われることになるので、大反対の嵐が吹き荒れるでしょう。これが、高大接続教育の正体です。今般の民間資格系英語試験というものは、ある意味、大学の高校への語学教育の責任転嫁、語学教育の放り投げ、とさえ言い換えてもいいものです。家庭内で、お母さんに子供の教育{躾から勉強に至るまで}を全て押し付けるお父さんが、無能な大学でもあるのです。

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