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アフターコロナの教育原風景

 アフターコロナの教育界というものを予想してみたい。いや、見えてくると言ったほうが適切かもしれない。日ごろメディアで報じられていることが気にかかって仕方がないからである。
 テレビ番組などでは、従来の出演者やレギュラーのタレントがネット中継やらスカイプで出演されている。当然、ソーシャル・ディスタンスの風潮の世論の模範生として、テレビ業界で実行されてもいるのだろう。「人との接触をなるべく避けるように」との政府の警告の実践例の典型でもある。
 もちろん、教育界においても、学校は休校、塾も休講、その代わり、オンライン授業が<仕方なく花盛り>といったところだ。
 学校からは、紙の教材を郵送してくるところもあれば、ネット配信される学校の先生の映像を自宅で観るように指導している学校もある。その両者のミックも当然ある。
 塾・予備校にしても、大手から中堅に至るまで、ほぼネットによる映像授業に切り替わってきてもいる。東進予備校(教室にきてDVDを観る形式のもの)や河合塾マナビス(映像授業形式のもの)などは教室ががらんとしていると聞いている。教室に足を運んでまで映像授業を生徒は見ないのである。自習室すら閑散としているそうだ。
 
 経済評論家須田慎一郎氏は、先日、朝のラジオ番組で、日本のオンライン教育の後進性を批判していた。「アメリカと比較して、日本は、このような事態になってタブレット端末やオンラインによる授業の整備が全く整っていない、あたふた状況だ!」と日本の教育インフラの整備のなさをついていた。彼の口調から、日本は学校も塾も映像授業にこれからすべて移行するのが正しいと言わんばかりの口ぶりであった。実は、彼の指摘は、日本のPISAなどの国際テストへの点数の“いまいち度”を改善・修復する方策としては正しいが、日本の青少年の真の学力(国力の下支えともなる学生の知力)を伸ばすか否かの点ではなはだ疑問であるとさえ言える。だから、今般の非常時にかこつけて、即、教育のデジタル化がこれからの喫緊の課題なのだという理屈を短絡的に主張する点こそ、以前橋下徹元大阪府知事から「勉強の足りないジャーナリスト」と揶揄された所以でもある。
 
 ではタブレット端末やパソコンによる映像授業とやらのもたらす負の側面を申し上げたい。
 最近、国際政治学者の三浦瑠麗氏が、「新型コロナウイルスは、格差社会をさらに広げる」と発言していた点を援用し、教育に当てはめてみよう。
 このたび、人との接触が“禁じられ”て、数メートル隔てて活動すること、また、屋外にはなるべく出ないこと、不要不急の場合を除き、自宅にいること、即ち、Stay Homeが世の中の標語となっているご時世、必然的に学校や塾などは、ネット配信の映像授業を取らざるおえなくなるご情勢である。こうした映像授業を自宅で観る(自宅学習)という誰もが指摘しないマイナス的側面を語ってみたい。
 日ごろ、教室内で、生の授業を受ける従来のスタイルは、やる気のある生徒、やる気のない生徒に分けられよう。この二極化されたやる気のある生徒でも、学校の不明なところ、分からない箇所を、放課後、学校の先生や塾の講師に個別に質問することもできた。このやる気があってもそれをフォローするのは、アナログの手法、もしくは、きめの細かさが求められていた対面教育である。やる気のない生徒でも、放課後、塾や予備校に足を運び、そのブースなり小教室で同じ空間の中、ある程度の緊張感の空気の中、必然的に勉強モードへとスイッチオンすることになっていたはずである。そうした“学校ではやる気がないながらも塾ではやる気スイッチが入る”種族が、いまや、このコロナ禍のより、絶滅しかけている点を指摘する者が一人としていない。当然、学力の向上よりも“身の安全”が優先されるから当然なことでもあろう。
 今般の教育界、学校や塾・予備校も含め、自宅学習を余儀なくされる風潮から、これまで、
①学校だけの授業で力がついたタイプ
②学校だけでは不十分で塾でそれをアナログ形式で補っていたタイプ
③学校の授業はそもそもやる気が出ず、塾の場が真剣勝負であったタイプ
④学校の授業で全く理解ができず、塾の恩恵でかろうじて勉学についてゆけたタイプ     
⑤学校の授業なんてチンプンカンプン、やる気すら湧かない、しかも、塾の授業すら効果が薄いタイプ。
 このコロナ禍社会がもたらしたオンライン教育や自宅学習といった方式で実力が付く生徒は、はっきり言って、①のタイプのみである。それ以外の生徒は全て、力など、自宅の画像授業で身に付きはしないと断言できるのである。
 
 これは、数学が一番いい例であろう。
 高校1年となり、数学が苦手な生徒は、大手予備校のカリスマ講師による“高校数学、超基礎、分かりやすすぎる!”と銘打たれた講義を聞いてもほぼ8~9割は数学のアリ地獄からは抜け出せはしない。はっきりと断言できる!小規模の、10名前後の授業を聞いても効果薄といたところだろうか。数学という科目は、特に、数学ⅠA以上ともなれば、一対一対の対面形式で、鉛筆片手に、紙の上でこうでもないああでもないと説明を受けなければ決して得意とはならない代物でもある。この点、家庭教師のトライが全面閉校となっている事態で、上記の②以下のタイプの生徒は学力崩壊ゾーンに入ったと推察される。
 
 ここで、話は飛ぶが、タブレット授業、オンライン授業、こうしたデジタル授業というものは、高等教育、中等教育、初等教育と年齢が下がるにしたがって効果がないというのが私の持論でもある。むしろ、教育上逆効果ですらある。それは、2歳以上6歳未満でスマホ育児なる風潮が世を席捲しかけてはいるが、これと同義である。脳の発育が飛躍的に進化進歩する12歳近辺までの生徒は、鉛筆で手を動かし、目の前の黒板を観て、フリーハンドで図形などの問題を解く行為、これこそ貴いのである。タブレット端末で、指ですっときれいな図形が描けてしまうデジタル数学教材など、百害あって一利なしとさえ言える。
 この度のコロナ禍による自宅学習が一番影響をもろに受けるのは、中学受験するサピックスや日能研の10歳から12歳にかけての少年少女たちであろう。無論、翠嵐や湘南などのナンバー校を目指す湘南ゼミナールや臨海セミナーの中学生も学力的に影響を受けるとみられる。更に、早稲田アカデミーやハイステップから、早稲田高等学院や慶應付属高校を目指す中学生も、数学や英語など中途半端な学力で本番に臨めざるをえなくなる可能性が低くないだろう。こうした小学生や中学生は、中高一貫の進学校や優秀な高校へ進んだとしても「今年度は学力が低い生徒たちだ、そういえば、ゆとり世代をもじってコロナ世代とでもいおうか!」とその学校の教師に学力が疑問視されかねない事態を招く将来像を誰も教育関係者のなから聞かれない。もちろん今は、そんなことを言っている、悠長な事態ではないからだ。しかしである。このコロナ禍が過ぎ去った後、日本の教育界は、ほぼ全般にわたり、オンライン教育オンリー、デジタル授業旋風という末恐ろしい授業が猛威を振るう光景が遠くに見えてきて仕方がないのである。それは、東日本大震災のあとの、東北の陸前高田や女川といった湊町の、もはや従来の活気が戻らない閑散とした漁村風景といった運命をたどるのではないかと危惧されて仕方がないのである。町の安全第一主義により、無駄な予算をつぎ込んで、海がまったく見えない巨大な防潮堤を築き、あの美しいリアス式海岸の湊町の光景が失われた事態と全く同じ運命を、感じないわけにはいかない。“デジタルという巨大な防潮堤”が、生徒と教師(講師)のえも言われぬ教育的アナログの魅力を奪いかねない事態が目の前にきているということを忘れないでいただきたい。
 
 世界遺産のDVDを観ること、好きなアーティストのライブ映像をネットで観ること、演劇や歌舞伎などをネット配信で観ること、確かにコロナウイルスのご時世には、癒し、気休め、ストレス解消、などなどに貢献してもくれるだろう。しかし、一年後、二年後、このパンデミックの大津波の後、マチュピチュやアンコールワットへの旅行者が激減するとか、ミスチルのライブや劇団四季のミュージカルへの観客が減るなどとは、当然ながら考えられない。
 生の授業、対面授業、教室の授業、個別指導、こうした形式の教育が、数年後、姿を消している日本であれば、日本は、もはや、産業2流国から、3流国へ、更にステップダウンすること間違いないと断言しておこう。
 
2018年、9月の弊塾のブログ、「スーパースターのDVDと2流元プロ野球選手の直接指導」を是非お読みくだされば、上記の内容が杞憂ではないことを確信されるはずです。

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