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令和のざれごと~登山と英検・TOEIC~

 登山家の野口健氏が、再度自分の原点を見つめなおすとかいうことで、エベレスト登山を40代後半にして再チャレンジする映像を先日テレビで観た。結果は、生命第一主義を優先して{天候不順を考慮して}失敗に終わったが、その彼の蛮行、いや勇行を言いたいのではない。その彼の登山における、エベレストにおける登山者の光景なのである。「いや~!驚いたのなんの!」あんなにもエベレスト登山家が行列をなして、金魚の糞の如くぞろぞろと群れを成して遅々として凍りの峰づたいを歩いている様を見て、興ざめした思いがした。 近年、富士登山でさえも、毎年夏何十万人が御来光を仰ごうと、老人から子供まで、登山する光景に辟易していた私だが、その富士山の倍以上もある世界最高峰のヒマラヤ登山を、富士山登山のごとく、初詣の参拝者のように参道を歩いている様にダブって見えた。世界一というブランドが日本一で世界遺産ともなった富士山同様に大勢の登山家を引き付けている様に、ある異様さを感じたものである。
 富士登山のほとんどは、五合目までバスか自動車で行き、そこから徒歩で、山小屋がそれぞれの登山ルートに配置され、医師さえ7~8合目あたりに常駐している安全ぶりである。無謀にも、短パンTシャツ、そしてスニーカーで登山しようとするバカ外国人もいるようである。富士山もなめられたものである。
 
 エベレスト登山にしても、富士登山と内実はそう変わりがない。登山のスペシャリストもしくは、ずぶの素人・登山愛好家かの違いだけである。あとは、ネパールに何百万の登山料金を支払う費用と、5合目から7合目あたりまで現地のシェルパを雇うだけの資金があるか否かの違いである。
 植村直己が日本人初のエベレスト登頂に成功したり、女性登山家田部井淳子が女性初のエベレスト登頂を実現したりしたのは、勝海舟が咸臨丸で太平洋を横断したような感をおぼえる。ましてやエドモント・ヒラリーがエベレスト登山に挑んだスピリッツはコロンブスの大西洋横断の感すら覚える次第である。
 今や、登山といい、極地探検といい、高度な無線機はもちろん、天候を分単位で知らせる高度な機器(ハイテクのスマホのようなもの)やGPS機器を携帯して、安全盤石の態勢で危険に挑むという光景、いや、行為が一種興ざめするものになり果てているというのが私個人の感想でもある。話は逸れるが、プロボクシングも、階級が細分化され、15ラウンド制から12ラウンド制へ、工事現場の<安全第一>の標語が、あらゆる社会の側面に入り込んでいるご時世でもある。ファイティング原田の時代、具志堅用高の頃、そして令和の現代、格闘技でさえも、<安全第一>が貫かれている。
 
 
 大手広告代理店電通や大手出版社文芸春秋社が後援者ともなった犬ぞりでの北極点到達やら、植村の明大時代のエベレスト踏破という経験は、冒険・登山という真の意味での最後の時代でもあったであろう。フォークランド紛争が原因で、犬ぞりの南極横断という冒険が頓挫した{※アルゼンチン政府の軍の支援が不可能となった事態}。それが原因であったとされるが、彼が最後に消息を絶った、誰もが挑んだことのない、最も困難とされた“冬期マッキリンリー登頂”という無謀なる“冷静さを忘れさせる行為”へと駆り立てたものは、その<集団でのバックアップ体制の冒険>から<冒険の原点>への回帰でもあったであろう。はっきりと記憶してもいる、テレビ朝日の映像である。私の高校時代である。植村が一人で、クレバスに落ちない予防具として、自身の体の両側に長い竹竿をくくりつけその魔の山の、白銀の誰もいない裾野の平原をのそのそ歩いてゆく後ろ姿に、真の冒険家の孤独感・孤愁感・孤高感というえも言われぬものを刻みつけられた覚えがある。昭和と令和のエベレスト登山とは、マゼランの帆船とペリーの蒸気機関をつけた黒船くらいの違いがあるとさえ言える。
 
 さて、どうしてこんな登山の話をしたかというと、現代日本における、英語の資格試験に関しても、同類の諸条件が、合致すると思えたからでもある。
 
 今や小学校から英語検定受験を始め、中学生ならほとんどの生徒がかかわる英語民間資格系試験である。高校生ともなれば、英検はもちろんのこと、TEAPやらGテックやら、様々な英語民間試験というものの“関所”がまちかまえてもいるご時世である。立教大学なんぞは、今般このシステムに鞍替えした。
 
 義務教育の段階の英検は、富士山登山としよう。高校の段階の英検やTEAPはキリマンジャロ程度の登山かもしれない。そして、留学に必要なTOEFLや社会人や大学生が目指すTOEICは6~7000メートル級のヒマラヤ登山かもしれない。
 小学生から中学生の英検受験者は、5級から3級まで、その受験会場を覗けば、まさに富士山登山の光景とイメージがダブって浮かび上がってもくる。
 高校生ともなれば、五大陸で一番無難で難易度が低い、キリマンジャロ登山ともいえる英検2級(準1級)かTEAPなどの受験生ともイメージがかぶってもこよう。このアフリカ大陸最高峰の山の登山者も、富士山同様の、ぞろぞろと行列の群れをなして登頂を目指す光景は、大学受験会場の2月のキャンパスを彷彿とさせる。
 大学生や社会人は、言わずもがなである。<金と時間>に余裕があり、中学や高校時代に国内の登山経験を経てきた者が、TOEFLやTOEICを留学・社内昇進を目的に受験するわけである。イングリッシュモンスターK氏や元カリスマ予備校講師で今やユーチューバーに鞍替えしたM氏などの、“趣味”で何十回もゲーム感覚でチャレンジしているもの好きもいる。
 そういう英語“狂人”、いやTOEIC中毒症の連中が、何度もヒマラヤ登山(TOEIC満点)を成功させて、それに釣られて、「私も、僕も」と英語資格登山をめざず“馬鹿”高校生は、今年のコロナ禍で、会場が十分に取れないという理由で、冷静に目を覚ますのではなかろうか?
 新聞メディアで報じていたが、TOEIC協会やらが、試験会場を確保でないとの理由で、試験を中止しているそうである。それに‘玉突き状態的災難’で、一般ビジネスマンは、昇給・昇進に必要なTOEICの試験が受験できず、困ってもいるそうである。
 もし、昨年末(2019年末)大いに話題となった大学全入共通テストやらの英語民間試験導入を今年度、ごり押しで実施していたら、どういう事態と相成っていたであろうか?コロナ禍(小早川秀秋の裏切り)で、関ヶ原の合戦の西軍の如きに、TEAP(石田三成)やらGテック(宇喜多秀家)やら英検(大谷吉継)やら、その他の海外系の機関(小西行長)やらが、総崩れ(中止)となり大変なる事態を引き起こしかねなかったことを世の教育評論家では誰も“IF”の前提で指摘している者はいない。
 
 

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