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仏料理人三國清三とZ世代

What is a self-made person?
 
 今年、オテル・ド・ミクニのオーナーシェフ三國清三の本『三流シェフ』が出た。既に『ミクニの奇跡』という文庫本がすでに出てはいたが、再度、この無冠の帝王(ミシュランでは星なしのレストランでもあった)の、叩き上げの人生を改めて考えさせられた。
 
 この三國シェフの人生というもの、もくもくと鍋洗いを何年もする年月が、すでにある料理人、特に寿司職人になるルート、いわゆる、寿司職人になるには、数年もの修行期間など不要だ!論というものと、ガチで対立するから興味深い。この論は、堀江貴文が『堀江貴文VS鮨職人 鮨屋に修行は必要か?』という書籍で俎上にあげてもいるから一読するとそういうものか!?と、ホリエモンの合理主義にも納得する思いがしてしまう。現代は、コスパやらタイパやら、対費用効果、時間節約など、生活から人生にいたるまで、無駄、無為、更に無聊といった観念が気毛嫌いされる。図書館で調べものをしたり、書籍を何冊も読みこんで、その課題やテーマをじっくり考える風潮が皆無になってきていることが、それを証明してもいる。それが、寿司職人の世界(寿司専門学校⇒寿司店開業)やSNS(自宅のデスクで)で学習したりネットフリックス(自宅のリビングで)で簡易に映画を観たりする世の風潮とダブりもする。
 
 先日、週刊文春の2023年5月25日号の阿川佐和子対談のコーナー“阿川佐和子のこの人に会いたい”で、この三國シェフが登場した。それを読んで、感じ入ったことである。
 
 この三國清三という男、まさしく、叩き上げといった、令和では、絶滅危惧種の料理人でもある。いや、巷には彼のようなひたむきな、それでいて、もくもくと牙を研いでチャンスをうかがってもいる料理人は少なくない気がする。政治家だと、田中角栄、経営者だと、松下幸之助、そして、料理人だと、この三國清三ありき、そのような思いを巡らしてもしまう人生である。その道の“今太閤”と呼ばれる人々である。非学校組、非学歴組とも言われる。それゆえ、現在のNHK朝ドラの主人公、牧野富太郎が脚光を浴びるのもうなづける。
 更に、料理人としては、10代後半に2年以上も、皿洗い(鍋洗い)を強いられた丁稚奉公期間を体験した人物として、東京オリンピックの選手村の料理を統括した帝国ホテルの村上信夫、天皇の料理番として名を馳せた秋山徳蔵、そして、この三国清三が、ビッグ3に入るそうである。
 ただし、三国は次のようにも語っている。
 
 三國 やっぱり洗い場を二年もやるやつはいないでしょう。洗い場なんて一番嫌な仕事だから。後で気付いたんですが、村上料理長、「天皇の料理番」と呼ばれた秋山徳蔵、そして僕、この三人には共通点があるんです。それは、三人とも十八歳で厨房に入って、十九、二十歳まで洗い場をやっていること。もしかしたら村上料理長は、秋山徳蔵もそうだったと思い至り、僕も外に出せば何とかなると思って、スイス・ジュネーブの公邸料理人として僕を推薦して下さったのもしれません。
 阿川 たとえ嫌な仕事でも、厭わず続けていれば、必ず誰かが見ていてくれる。これは、どんな仕事にも言えますね。でも、嫌な仕事を平然とこなしていると、そこから抜け出せなくなる可能性もありませんか?
 三國 能力があれば大丈夫です。次の鍋が溜まるまで手が空いた時、先輩から「お前これやって」と頼まれたとする。それをパパっとできれば、また別の仕事を頼まれる。そうやって洗い場以外の仕事を任されるようになっていくんです。鍋洗いだけに甘んじてちゃいけないんですよ。
 
 そうである。挫折、失敗、苦労、そういった体験をまず、“経験”に昇華し、なおもて、才能というものを、有していなければ、その道では大成しないのが、料理人のみならず、全てにおいても該当する。それは、教育、勉強、受験といったジャンルにも適応できる無情なる真理である。才能が、1でも、2でも、ある程度あれば、努力という月並みな鍛錬で、7にも、8にも育てることは可能であるが、才能が、0から0,5程度では、到底、その道では生き残ってはいけない。努力は、無駄ということになる。この観点は、教育者や指導者は、一般的には、口にはできない芸(art)や術(technique)における摂理でもある。
 
 今般、40年近く営業してきたオテル・ドゥ・ミクニをたたむそうである。そして、席数8席ほどのこじんまりしたレストランとして再出発するとのこと。
 コロナ禍によるもの、そして、彼の人生第三幕(※第一幕は、フランスでの修行期間、第二幕は、四谷の自身のレストランを開業し、オーナーシェフとして働いた期間)としての自覚、再出発、この二つが大きな要因だそうだ。
 彼の、次のような言葉が、非常に印象的であり、弊塾の経営とも、まさしくダブってもくる料理人として経営観でもある。
 
 三國 可愛がっていただいている歌舞伎の片岡仁左衛門さんから当時(バブル時代)うちへ来られた際には、「三國な、屏風と店というのは広げたら倒れるんだぞ」と言われました。正直言うと、ある程度有名になった後も厨房で働き続けるのって大変なんですよ。僕としては、外に出てうわ~っとやることが気晴らしになってたんでしょうね。
 阿川 そして、今度は八席だけの店を一人でやりたい、と。その衝動はどこで生まれたんですか?
 三國 荒木町にある寿司金のお親父さんに、「一人の職人さんが十人扱うと手いっぱいになる。だから、九席でもいけるけど、八席が一番理想的」と教えてもらったんです。親父一人で切り盛りしている高級なお寿司屋さんはだいたいそうですよ。
 
  こうした、言説は、大手予備校で、子供がまだ多い時代にカリスマ予備校講師として、1時間30分の間、何百人を相手に、マイクで講義をしていた者が、独立して、個人で塾を立ち上げたとしても生徒があまり集まらず。また、昨今ユーチューバーやネット配信授業を行ったとしても、往年の年収の数分の一にも満たない有様は特に有名なケースである。これは、日ごろ用いる例でもあるが、それは、三越や高島屋のカリスマ店員が、独立しても、さほど、そのブティックが繁盛しない例と酷似している。つまり、半分以上は、大手の著名な予備校や高級老舗百貨店の“ブランド”の力が、その人物の実力と過信するか、妄想するか、誤判断しての独立なのである。
 
 しかし、これが、オーナーシェフともいえる、自身が厨房で料理をプロデュースする種族は、予備校講師{※その予備校のテキストを、大方使う}や百貨店マン(ウーマン){※大手のアパレル商品やバイヤーの仕入れた衣類を販売する}とは趣を別にする。料理人は、全てが全て、その本人の、<腕と舌、そして感性の関所>を通ったものしか、お客には提供しない、この事実が、本質的なのである。この文脈で、牽強付会ともいわれようが、「鶏口となるも牛後となるなかれ」という諺が光を増してもくる。この違いが分からぬ御仁は、千宗室が、庵で目の前で立ててくれた茶の味と、それと全く同じ成分の抹茶を、機械で作り、洋室のリビングで飲んでも同じ茶の味だと、ぬかす、主張する部族と同じになる。こうした輩は、ホリエモンの感性と同じでもあろうか?
 
 寿司の名店で何年も修行して、独立し寿司職人になった大将、寿司専門学校で三カ月講義を受けて、即、寿司職人になった寿司店のオーナー職人、これらの二人が握る寿司というものが、同じであると思う人は、そうした茶だけの味を味わっているに過ぎぬ。それプラスαの様々な、その店とその大将の魅力・雰囲気・接待など、これらに過不足として顕れもするが、このネット社会、デジタル社会では、こうした、茶や寿司の、接待、もてなしの心、差異というものを鋭く峻別する感性や味覚などどうでもよくなっているように見受けられる。
 
 徒然草の「先達はあらまほしきものなり」ではないが、「無駄・無用・無聊はあらまほしきものなり」ではある。<食>から<学>にいたるまでの、文化から人格にいたるまで、その飛揚ともなる“肥料(こやし)”なのである。

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