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コラム
2020年の英語大改革(改悪)という'病'への処方箋【中編】
|譬えるなら「スーパーは公立の英語の授業、デパートは私立の英語の授業」
総合スーパー(GMS){ヨーカドーやダイエーやジャスコ(今のイオン)や西友}という業態がダメになった原因が、「何でもあるが、欲しいものがない!」という通説があまりにも有名である。
また、百貨店(デパート){三越や高島屋や伊勢丹や松坂屋}という業態が、駄目になった原因が「欲しいものがあるが、高い、だったら、アウトレットモールで、 ブランド品を安く買う!」という消費者感覚と、“モノよりコト(高級ブティック(品)より高級レストラン(体験)、いわゆる豊かな社会でのモノ離れ)という消費者意識が原因とされる。
スーパーは、公立の英語の授業に、デパートは、私立の英語の授業に譬えられなくもない。
ここで、敢えて生徒の声を代弁させていただくと、公立の中学高校の生徒は 「読み・書き・話し・聞くという授業、即ち、何でも教えてくれるが、表面だけで、満足いくものでは到底ない。塾や予備校へ通わなければ、私立の進学校のレベルの授業などしてはもらえない」と本音を吐くことでしょう。
それに対して私立の中学高校の生徒は、「高度な内容、ハイレベルな事を生徒の理解もお構いなしにどしどし進め、基礎や根本的なことなど当然わかっているという前提で授業をする。ついてこられない生徒は、塾や予備校で、ハイレベルの内容を、丁寧に詳しくフォローしてもらわざるをえない」と愚痴をこぼすことでしょう。
ここにこそ、現代の学校英語の欠陥が如実に表れているように思えてならないのです。
また飲食店を例にすれば、公立学校は「おそい・まずい・やすい」といったら失礼かと思いますが、私立学校は、「はやい・びみょう・たかい」とも言えましょう。
こうした飲食店からお客の足が遠のくのは必定でしょう。
そこで生徒は、塾・予備校へと足を向けることになるのです。
コンビ二の高品質の惣菜(セブンプレミアム品)や弁当、また、デパ地下で購入した高級惣菜などでの’内食’が右肩上がりの現象を見せるのと同じ傾向なのです。
スーパーのく衣・食・住>という何でもそろった、庶民的・低価格路線を、実は、英語教育でも<読み・書き・話し・聞く>四拍子重視という、大学入試英語改革に引きずられて、現場、特に高校の場でも行われようとしていることは、消費者(生徒)の気持ちを考慮せず、どんどん<話し・聞く>の方向へと比重が傾く、そして、<読み・書き>の時間が目減りしてゆく。
週6時間の貴重な授業をますます、水で薄めたコクのない、薄っぺらなものへと推進する、英語授業破綻への自殺行為とさえ言わねばならないでしょう。
現代、消費者は、購入するジャンルの”買い分け”をしているはずです。
インナーの服であれば、ファーストファッションのユニクロ。
アウター、即ち、外出のおめかしする服なら、百貨店や高級専門店。
薬ならマツキヨなどのドラッグストアー。
家電なら、山田電機やヨドバシカメラなど、靴ならABCマートなど、”買い分け”の時代なのです。
英語教育も、”教え分け”の時代とさえ言えるでしょう。
英語教師が、たかだか、週5、6時間、 40名の生徒を前にして、ネイティブに到底及ばない発音で、生徒に<話し・聞く>の授業を行うのは、ちょうど、三越で薬を購入したり、ユニクロでスニーカーを購入したり、 山田電機でTシャツを購入するようなものです。
学校では、<読み・書き>というものを、ネイティブではわからない、意識していない側面から、英文法・英語学・言語学などを身に着けた英語教師が、文法と読解を徹底的に教えればいいだけの話しである。
<話し・聞く>は、発音の理論なり、リスニングの法則性を生徒に教室の場で教授し、スマホやCD教材で自宅学習させれば、どれだけ効率的か、英語教育”理想”論者、”実用”英語支持者は、わかっているのだろうか?
ここでは、深くは触れませんが、独断と偏見を承知の上で、敢えて申し上げると、世の予備校講師、また、優れた英語講師は、非英語学科のほうが断然多いのです。英文科は、除外しますが。
これは、私自身、確信をもっている仮説でもあります。
|学校という場が、<話し・聞く>よりこれまで以上に徹底して【英文法と読解】を教えるべきである
現代の中学高校生は、どんなに良い参考書を独学で読んでも、現場の黒板や家庭教師の脇での説明を、生で経験しなければ、その本質は、理解できないというのが、凡庸なる私の見解でもある。実は、この凡庸なる生徒が、世の6割前後だからこそ、私は彼らの気持ちがわかるのです。
長嶋・王監督より、野村監督の方が、指導者・監督としての資質が勝っていたのと同じ理由がここにもあるのです。
ここに、塾・予備校の必要性が浮かび上がってくるのです。
それは、学校にも、この役割を果たすべきだと、私は主張しているのです。
特に、英文法の仮定法の項目など、その参考書の解説でどれほどその本質が理解できている生徒がいようか?
これは、県立進学校からMARCHに進学するレベルの生徒くらいの能力がだいたい該当しているかと思います。
私なんぞは、高校の仮定法の授業では、また英文法の参考書の解説では、その6割強しか理解してはいなかった。
浪人して、大手の予備校の授業を受けて、初めて、100%仮定法の何たるかが了解できたという経験がある。
その後、大学生となり、またフランス語を究めて120%理解するまでに至ったのです。
私自身、今、自身の英語塾で、仮定法を教えていて、学校で習うレベルの低さ、また、 生徒の理解度の低さ、これらを加味して考えると、学校という場が、<話し・聞く>より、これまで以上に、徹底して英文法と読解を教えるべきであると考える。
日本語が話せないネイティブ、英文法も無意識にあるタレントのシェリーに、日本人の高校生に仮定法の本質をどれほど深く教えられようか?
これこそ、日本人英語教師の独壇場である。但し、英語の本質を教えられる英語教師に限ってのことだが。
そうした、草莽の優秀な英語教師は、文科省の方針に反旗を翻してほしいものです。
それは、敢えて、学校の授業で、<読み・ 書き>を下支えしている文法・構文・読解を徹底的に教え込み、勿論、発音の理論やリスニングのツボも教授して(それなら<話し・聞く>の授業は週1時間で済む!)、自宅での宿題は、その教科書のCDや、音声教材を課すことで済むわけです。
また、AT(アシスタント・ティーチャー)も不要にさえなります。
|<読み・書き>の領域は"演繹法"、<話し・開く>の側面は"帰納法"でいくべき
これは、今は深くふれませんが、<読み・書き>の領域は"演繹法"でいくべきなのです。
それに対して、<話し・開く>の側面は"帰納法"でいくべきなのです。
英語教育の方法論というものを、もっと緻密に考えて、生徒に英語を教授すべきであると私は考えるのです。
生の本音を敢えて代弁させていただくと、また、自身の受験での失敗・苦労を鑑みても、生徒は、学びの場、それは、学校でも塾でも同様ですが、実は"演繹法"を渇望しているのです。
学びの場を、下手な鉄砲数打ちゃ当たる的に、帰納法的にやってもらっても、テンションが下がるというものなのです。
ありがた迷惑ですらある。
生徒は、その教科の"本質・核心・要点"を渇望しているのです。
それを、教えずに、ドリル形式で、反復練習して、その"本質など"に自身で到達せよと指導しても、生徒は、やる気の度合いがマックスに到達しない、やる気がわかないとさえ断言できるのです。
教室という場で身につけた英語の"秘儀"を、自宅で独自に練習させればいいだけの話しです。
貴重な週5、6時間という授業は、まさしく<読み・書き>にこそ、適しているのです。
それに対して、<話し・聞く>の方面は、スマホやi-Pod などを駆使させて、音楽を聴くように、サラリーマンが電車通勤の途中、ウォークマンでリスニングのスキアップする手法を真似て、宿題形式で課せばいいだけの話しである。
続きは2020年の英語大改革(改悪)という'病'への処方箋【後編】をご覧ください。
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2018年7月30日 09:10
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