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ALTから観た英語教育の死角にして盲点

 政府は30年余り、私のようなネイティブスピーカーをALTとして「輸入」し、私たちは英語の感覚や発音を教えるなど一定の役割を果てしてきた。問題は私たちが「お手本」にはなれないことだ。人が魚を見て「水中で呼吸ができる」と思えないように、米国人が日本の子どもたちに「英語が同じように話せるよ」と納得させることは難しい。学年が進むほどそれは困難になり、1、2年生では私から生き生きと学んでいたが、5、6年生だと日本の大人を見習うようになる。子どもたちには早い時期から、ネイティブに加え、自信と熱意を持つ日本人の教師に触れる必要があると思う。
 日本では、学校だけで英語を学ぶ子どもと英語塾に通う子どもとの間には、英語力の大きな差が生じてきている。私は定期的に塾に通う小学校2年生の英語力に驚いた。
 この格差を縮め、日本の英語教育全体の質を向上させたいのであれば、政府は予算措置を講じて、小学校に専任の英語教師をもっと積極的に採用すべきだ。過重な負担を背負う日本の小学校教師の肩から英語を下そう。そして5,6年生から英語専門教師が指導した方が、日本の英語教育は平等で効果的になるのではないか。{朝日新聞 2021年7月22日(木)}
 
 以上の投稿文は、元JETプログラム外国後指導助手ローラ・カッツ(Laura Katz)さんのものです。朝日新聞の《私の視点》というコラム欄に載った文章の抜粋です。
 ここでカッツさんが語っている視点は、弊著『英語教師は<英語>ができなくてもいい!』で主張してもいる箇所です。ネイティヴや帰国子女系の英語教師が、如来であれば、純ジャパながら英語を理路整然と教えられる英語教師を菩薩とした点もあり、舶来志向、本家一番主義、生の英語が最善などと鹿鳴館思考で英語教育を考えている文科省、学校運営者、学校関係者などが瞑している観点でもあります。特に、私が下線を引いた箇所であります。これは、中学生と高校生の関係にも該当します。中学時代は、コミュニケーション主体で、話せる英語が目的とされています。しかし、高校時代は、そうは問屋が卸しません。高度な読み、つまり、複雑な英文法から難解な内容の英文読解の世界へと踏み入れます。簡単な英文法で、間違いなど気にせず、どんどん英文を読んでいきましょう的教え方では、秀才以下の生徒は、興ざめしてしまいます。これが、カッツさんが日本で経験した真実でもあります。この点、世の大方の英語教師は、節穴になっている傾向が大なのであります。
 
 薬師如来、大日如来や阿弥陀如来などは、歴史上、貴族から武士階級にかけての信仰対象でした。観音菩薩、地蔵菩薩などは、庶民の信仰対象でもありました。平安仏教と鎌倉仏教の決定的な違いでもあります。
 
 明治時代の東京帝国大学の人気英語講師小泉八雲のあとを引き継いだ夏目漱石は、学生たちに、ハーンと比べられて最初は不興でしたが、その後、漱石の英語力と学識が生徒に認知されてもいったというエピソードは、まさしく、カッツさんとコンビを組んでいた優秀な日本人英語教師の姿でもありましょう。低学年には、不人気でも高学年に圧倒的に指示されるまでに至った方です。恐らく、カッツさんは、その小学生の英語を学ぶメンタルの変化を嗅ぎ分けて、いたたまれずに本文の投稿となったと思われます。
 
 私は、ネイティブや帰国子女の身に付けた英語を<運命の英語>と命名しました。一方、大手予備校の英語講師から学校の名物英語教師、そして市井の個人塾の英語講師に至るまで、<生涯一捕手>をもじって、<生涯一英語教師>を任じておられる高邁なる方々が会得、習得した英語を<宿命の英語>と名付けました。最も言語的に隔たりの多い英語と日本語、また、究極的に自国で英語を必要とはしない日本、そこで英語を身に付ける風土で、苦労して、また、自身が発展途上でもあり続ける人間が、同じ<宿命>にある教え子を導く上で、どれほど説得力があり、効率的、効果的に英語を教えられるか、それをカッツさん自身、謙虚に、メイドインジャパンの英語を推奨しているように思えてなりません。
 
 日本人は、0を1や2にする独創性に欠けるが、1を3や5に、3を30に変える応用力には長けていると申します。自動車しかり、コンビニしかり、カメラしかりであります。こうした工業製品の得意技をどうして英語にも応用できないのか不思議でなりません。そのヒントは言語学者鈴木孝夫の書物を数冊読めば納得できるはずです。
 日本独特の用語とさえ言える学校英語・受験英語は揶揄の対象です。<如来教師>からは、鼻であしらわれます。しかし、それがどうして‘悪’とされましょう。県立浦和高校出身の宇宙飛行士若田光一さんは、学校英語を将来への武器とせんがために、高校時代に前向きにブラシュアップしたといいます。まずは、政府の連中に申しあげたいのでありますが、小学校の英語教師は、カッツさんがいう“英語専門教師”が必須の条件であります。これを原理原則にしなれば、小学校は英語嫌い養成所に成り下がることは、鳥飼玖美子氏が警鐘を鳴らしているところであります。

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