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CEFRは日本人学生に不適格だ!

世界の常識は日本の非常識(Ⅲ)

 

 消費税にしろ、IR(=カジノ)構想にしろ、欧米の尺度、いわば、グローバル化の流れに組み込まれる制度・仕組みというものは、実は日本人には馴染まない、そぐわない、合わない、似合わないということを私は、何度も主張したいのです。グローバリゼーションに合わせれば合わせるほど、日本の利点(=武器)は脆弱になってゆくのです。これからは、“日本の非常識”を、むしろ逆に武器にしなくてはなりません。文明優先{これこそ無鉄砲で、戦略なき、指針なきグローバル化です}で、文化を軽視してはいけないのです。インバウンド観光で成功している最大の要因は、この“世界の常識は日本の非常識”ともいえる日本文化なのです。この点で落合陽一氏は『日本再興戦略』(幻冬舎)でほぼ同様なことを論じています。

海外の王室と日本の皇室、海外の様々な言語とユニークな日本語、文化にしても、平安時代から連綿と続いてきた絵巻物(鳥獣戯画や源氏物語絵巻)の伝統を手塚治虫が、ディズニー映画に触発されて、漫画からさらに日本アニメへと飛躍的に発展させてきたサブカルの歴史など事例を挙げればきりがありません。

※こうした視点で何度も、英語教育に関して私が強調しているのが弊著『英語教師は<英語>が出来なくてもよい!』(静人舎)の主張低音でもあります。

 こと、教育も同様です。今般、2020年度の英語民間資格試験の実施の件であります。TOEIC(この機関は先日脱退しました)、TOEFL、英検、GTEC、TEAPなど、欧米言語基準、即ち、CEFR(セファー)なる欧州規格で、日本人高校生の英語能力を様々な民間資格試験の点数を俎上に載せて評価する文科省の方針、これなんぞは、英語教育の論客(鳥飼玖美子・阿部公彦・南方原朝和)によって色々な角度から批判されて、問題点も指摘されていますが、頑固な文科省の連中は、全く聞く耳をもちません。誤り、おかしいと恐らく文科省の役人も、政府の一部の連中も、認識してはいても、「4拍子そろった英語力を!」という、誰も反論できない、きれいごとの御旗を掲げたのは、財界からの「使える英語を!」という圧力からの苦肉の言い換え策でもあります。そして、英検やGTECなど民間英語機関(一種の大企業のようなもの)からの受験者数の増加による、収益による業界の繁栄。「業界栄え、生徒の英語力衰う」ではありませんが、その政治家への政治献金などのリベートコネクション、センター試験の主催者から、目玉の「英語」~最も受験者数が多い~という科目だけを取り上げ、外部委託する、政治家と業界にとっては美味しい(儲かる)、しかし、受験する側にとっては不味い(不都合で不便で、高額な)仕組み・制度を愚かにも、採用した方針は、ちょうど、第二次世界大戦、独伊枢軸国側についた帝国日本陸軍が対米戦、いわゆる太平洋戦争へと突入していった愚策同様に、撤退する賢さ(英語の民間試験撤回)を持たぬ態度は、教育という長期的に目には見えない大切な方策(これを私は教育安保と呼びます)を亡国へと改悪する愚挙以外の何ものでもないと申し上げておきましょう。

 もはや日本は「インバウンドだ!観光立国だ!東京オリンピックだ!大阪万博だ!」だから「使える英語だ!」よって「<話す>技能も試験に追加すれば、みな教師も生徒も、<話す>授業を学校で実践し、話せるようになるはずだ!」こうしたグローバル教の論理の末端、いわば短史眼的・蒙昧なる実用主義・合理主義に汚染された風潮に、ある意味で、日本社会の利点・武器でもある「世界の常識は日本の非常識」ともいえる英語教育風土と申しましょうか、特質と申しましょうか、そういったものを解消・抹殺してしまう、日本の英語教育のいい意味での独自性をも払拭しようとするファッショ的論理に教育界は席捲されつつあるのです。これは、別の機会で述べますが、「現代文B」を、「論理国語」と「文学国語」と選択科目として分ける政策についても同様です。

 消費税を上げれば、税収が増えるという目論見でしょう。消費税を10%にすれば、確かに税収はあがるでしょうが、景気が落ち込む。むしろそれを5%にしたほうが、結局は、消費欲が刺激され税収が10%にしたときよりさらに上がるという経済学者の説もあります。IR(=カジノ)を誘致すれば、横浜市の税収が増えると予測しているのでしょう。それも、お得意さんとなる中国人の富裕層です。未来永劫、中国からのカジノ目当てで来日する数の保証はありません。それは、高大接続教育に関しても同様のことが言えます。センター試験に代えて、2020年度から<話す>技能をも試す試験を導入すれば、使える英語能力を有する高校生が大学に入ってくる、増えるだろうと思い込んでもいるのでしょう。その典型は、日本の大学入試システムを変えなければ、使える英語能力を有する生徒は生まれてこないといった短絡的論拠などから生まれたものです。現実には、財務省の予測{税収が劇的に増える}以上に、文科省の予想{使える英語の学生が劇的に増える}は外れると見た方がいい。目先の点数、英検にしろGTECにしろ、それ目当てに勉強し、それなりの点数をとるかもしれません{※私がよく譬える例ですが、企業でも売り上げが急上昇しながらも経常利益が下降線を辿る=いわば薄利多売の商売=バブル時代のスーパーダイエーの体質の如く}。しかし、英語そのものの実力は下降線を辿るでしょう。消費税と同様に、税収増えて、景気悪化、それと同様に、点数目当ての勉強盛ん、英語力劣化、こうした現象を引き起こすと私は断言します。それは、消費者の財布の紐の固さ以上に、受験者の“楽をしたい、要領で何とかしのぎたいという現実的気質”の方が一枚上手だからです。それは、制服や校則というものがありながらも、それを如何に掻い潜って、制服という制約の中で差別化する目的でおしゃれする知恵、また、校則をぎりぎりかわすファッションセンスの要領の良さは、教師が把握している以上の知恵の宝庫であるからです。勉強や科目の選定で、そのずる賢さで、結局は、新テストは、香港の民主化運動で、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」を撤回する羽目になったのと同じ運命を辿ると予言してもいいかと思います。その一番確たる要因は、高校生・高校教師、父兄たち、そして大学当局、文科省、それぞれのハブ(中心接点)ともなっている高等学校の校長先生の組合、全国高校長協会が英語民間試験の導入延期を要望を文科省に提出したことです。そのことからも今般の英語改革というものが如何にいかがわしい・おかしいものかを物語ってもいます。もし、数十年前の日本の高校生なら、「英語民間試験実施反対!」のデモを文科省の前で起こしたり、反対署名運動を全国的に起こしてもおかしくない状況が、今の日本の教育状況でもあるからです。


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