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MGSと真逆のSEFR:<英語民間試験>

 9月16日(月)の朝日新聞の一面に大きく載った記事の見出しです。
 
 英語の民間試験「問題ある」65%:大学昨年比大幅増
 高校は89%
 実施迫り不安高まる
 
 以上の通りです。私が1年以上前から予言・予測した通りに“教育現場は更なる混迷の状況”に陥っています。
 大学や高校の当事者は、もちろん、父兄や生徒達も同様ですが、一番の問題点は、以下の3点に集約されます。
 
 ①経済格差:裕福な家庭の生徒に限り、英検やGTECなど複数機関を複数回何万円も費用をかけ、さらに生徒によりけりですが、<話す>技能向上のために何十万もかけて英会話スクールにまで学校・塾・予備校以外に通い、受験し、恐らく実力より偶然によるものの方が要因として大なのですが、一番点数のよいものを大学に提出できる優位性
 
 ②地域格差:離島や僻地など、また、交通の不便な地域、また、受験会場まで何時間も、時には、宿泊もかねてしか受験できない民間試験など、完全にスポーツ競技におけるホーム(都会)とアウェイ(田舎)で練習時間や準備設備に差別が行われていた一昔前のサッカーの国際試合を彷彿させます。
 
 ③複数の民間試験の公平性・公正性の担保:英検(新タイプ)やGTEC、TOEFLにしろTEAPにしろ、IELTSにしろ、それぞれの点数をCEFR(欧州言語共通参照枠)という基準「物差し」に当てはめて評価する点の客観性の担保が問題となっている側面
 
 ※英語という科目の特権化:私は、敢えて高校生の立場で申し上げたいのですが、スポーツ系の部活動に高校3年の夏まで専念している生徒にとって、残り半年間、英数国理社と、試験の1月の半ばに照準を合わせて勉強するスタイルが狂わされる、英語だけ高3の冬以前に民間試験を受けなくてはならない、英語という科目の特権性、それほど、他の科目とは別個に、<英語>を特権化していいのでしょうかと問題提起したくなるほどです。
 
 私が敢えて、この場で取り上げたいのは、③の点です。欧州の物差しを、それも、ギリシャ語やラテン語、そしてアルファベットなどの親和性を有する欧州の“兄弟”言語内の基準で、それも、メイドインアメリカのTOEFL、メイドインイングランドのIELTS,そして、メイドインジャパンの英検やGTECなどを一緒くたに評価する限界・矛盾・不自然さ、これらを問題提起したいと思うのです。この点では、立教大学名誉教授鳥飼玖美子氏などが、新聞、雑誌などで色々と批判もしているので、学者・専門家の視点ではなく、一塾講師、一素人の目線から、今般のこの民間試験大学入試が如何に‘いかがわしいもの’かを語ってみようかと思います。
 
 皮肉なことに、9月16日付けの同日朝日新聞の大見出しの真下の記事は、次のようなスポーツ記事でした。
 
 マラソン東京五輪に4人内定
男子(中村匠吾・服部勇馬)女子(前田穂南・鈴木亜由子)
 
 それ以外の記事は、この英語関係の記事の左側に
 
 千葉停電なお11万戸
 台風1週間 復旧さらに遅れる
 
英語の民間試験の記事の面積は5割、マラソン内定の割合3割、台風による停電記事2割、以上の一面(9月16日〔月〕)のスペースの割き用であります。
 この英語の民間試験採用とマラソンの五輪代表決定記事を、一部の人は、類推の摩に取りつかれやすい人、連想の習癖がある人、何かと譬えを引用したくなる人、こうした気質を有する人なら、私の意見に同意、また、恐らく膝を叩いてほくそ笑むことでしょう
 
 今回のマラソン代表の決定の経緯は、MGSという五輪代表を一発勝負で決定する方式(※これが従来のセンター試験方式)によるものです。従来の日本陸連の五輪マラソン代表決定のプロセスが如何に曖昧、ダーク、陸連上層部の意向を忖度したものであったか、それは、ソウル五輪代表をめぐってもめた、瀬古利彦をめぐる中山竹通からの批判、バルセロナ五輪をめぐってマスコミを賑わわせた、有森裕子をめぐる松野明美からの異議申し立て、マラソン代表決定基準が、実績によるものか、タイムによるものか、勝率によるものか、陸連の基準があれこれブレ、グレーであったことが、引き金ともなり、今回東京五輪の際に、一発勝負で、3名中2人をそれぞれ決定するMGSという手法が考案され、決定されたそうです。そうです、タイムなら中山選手が、勝率なら瀬古選手が、暑さに強い選手なら有森選手、勝負強さ、伸び盛りなら松野選手、それぞれ、評価の対象が違っています。これを、陸連の“主観”で代表をこれまで選んできたのです。国民の半数以上は、これは少々‘おかしい’という批判が湧きおこり、今般のMGSという一発勝負形式で、だれからも文句がでない公平性・公正性を優先したレースを決定し、実施したのです。
 実は、この日本陸連と真逆の試みを行おう、いや決定したのが文科省の政策なのです。マラソンレ―スには、福岡国際マラソン(英検)、別府大分毎日マラソン(TEAP)、東京国際マラソン(GTEC)、海外では、ボストンマラソン(TOEFL)やらロンドンマラソン(IELTS)、国際陸上(ケンブリッジ英検)といたように様なレースがあります。これらのレースで世界記録を出した選手、即、オリンピックのマラソンレースの勝者(志望大学合格)になる可能性は、ワールドカップ系の球技種目(ラグビーやサッカーなど){数学や国語という科目}と比べ雲泥の差があるところが、マラソンランナーと短距離アスリートとの違いでもあります。ですから、日本記録保持者の大迫傑選手が3位と、いまいち振るわず、実力を発揮できなかったことからも明白です。しかし、これが、人間の現実でもあるのです。
 文科省の政策は、英文学者阿部公彦氏の書の題名ではありませんが、「史上最悪の英語政策」(ひつじ書房)というもの、まさしく陸連と真逆のことをしている証拠です。
 文科省の言い分です。まず、<話す>技能を‘錦の御旗’~誰も反論できない!~の如くに大々的に掲げていますが、たかだか高校生の<話す>能力のために、数学・国語・社会・理科といった新テスト(センター試験の路線)から、英語を別格扱いして、その英語のみを民間試験業者に委託し、受験生に、これまでの倍以上の国公立大学試験に必要な受験料を負担させる、その経済的対費用効果を考えた時、これは、もう阿部氏も喝破していることですが、文科省、それも下村博文元文科大臣と英語検定協会やベネッセコーポレーションとの政治資金提供などの利害関係の背景があること明々白々です。安倍首相と加計学園・森友学園の関係、下村元文科大臣と民間英語機関との関係、これは、相似形をなしているとさえ言えます。
 福岡国際マラソンや東京国際マラソン、ボストンマラソンやロンドンマラソン、こうしたレ―スの記録・実績をもとに、日本陸連が五輪代表を選ぶことが、どれほど、日本国民に問題視されてきたことか、文科省の見識は、日本陸連とは真逆の方向に進んでいます。時代錯誤も甚だしいといわねばならないでしょう。
 もう一点、文科省が、やり玉に挙げる従来のセンター試験の“欠点”というもの、それは、“一発勝負というものの悪い点”を指摘するものであります。これなんぞ、文科省というものが、人性論、人間とはいかなるものか、人生とはどういうものであるのか、<理想・性善説・机上の空論・物事への洞察力の欠如>こうした暗愚・蒙昧さが透けて見えてくる点です。
 生徒の中には当日体調が不良の生徒もいる、それも仕方がないことです。自身の苦手な箇所ばかりたまたま出た、それも不運というものです。自身に相性の悪い問題が今年度だけ出た、それも宿命というものです。たかだか1点、2点の差で受験の勝敗が決まる、こうした様々な運命的“負の”要因を挙げて、何度も試験を受けさせ、一番いい点数を大学に提出させるだと、馬鹿もほどほどにしろ!と言いたくなります。実人生という大海原に出てみるがいい、理不尽なこと、不条理なことの連続です。会社の昇進・昇給などの要因は、上司の主観によるものが半数以上です。就活の際の、希望の会社に行けなかった経験など、枚挙にいとまがないほどです。勝負の世界、オリンピックなど零コンマ1、2秒の差でメダルを逸する世界です。大学入試など、その1点、2点で合格不合格がきまる未成年の世界など、矛盾だらけの実社会に足を踏み入れるためのイニシーエション(通過儀礼)と弁えておかなくてはなりません。韓国など、男子なら徴兵制、さらに、日本以上に苛烈な受験戦争、理不尽とも言える学歴カースト社会の国家です。社会的イニシエーションのハードルが満ち満ちています。1点刻みで受験の命運が決まる、それが人生というものの縮図です。それも50万人もの高校生が同一の日、同じ試験をうける従来のセンター試験という公平性・公正性といった試験制度を改悪した、時の文科大臣(下村博文)・時の総理大臣(安倍晋三)、この両者の責任は重い。民間試験業者への委託のリベート、そして、自身が大臣・首相の時代に教育大改革を行ったという‘教育改革レガシー’を残したいがためだけに「これからはグローバル化だ、そのためには教育は従来のままではだめだ!」と道徳教育や愛国教育と味噌も糞もごた混ぜに、経済が低迷しているどさくさ紛れに断行した史上最悪の教育大改革です。大学の65%、高校の89%が「問題あり」と回答している最中でも、来年度、実施しようとする、その頑迷さ、ほとほとあきれて言葉もでません。
 今般の新テストの受験生が、ゆとり世代と揶揄される30代中ごろの働き盛り世代、就職氷河期のせいで非正規雇用で、不運と嘆いている40代中頃の、引きこもりの多い中年世代同様に、英語民間試験受験世代と、<英語が予想以上にできない世代>との烙印を押されぬことを願うばかりです。
 
 
 

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