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菅総理の座右の銘「私はブレない」が自身を縛っている!

 物事を成し遂げる上で、有言実行か不言実行か、そのどちらがいいかといった議論がテレビかどこかしらで聞いた覚えがある。これはどちらでもいいのである。人それぞれ、状況によりけりである。しかし、この有言実行が、自縄自縛となるまずいケースをこれから語るとしよう。それは、菅総理のいま置かれている立場が恰好の事例である。
 
 鈴木敏文の『朝令暮改の発想』(新潮文庫)という本があるが、彼は、この変化の激しい時代、この朝令暮改というマイナスの意味の四文字熟語を、“変化への対応”の鉄則というプラスの意味に変えてしまった。従来であれば、この朝令暮改の語義には“ブレる”といった意味合いがついて回ってきた。しかし、日本のコンビニの父でもある鈴木が、まさしく、この朝令暮改は恥ずべき決断・行為というものではないことを、流通業を通して、ビジネス界に宣言したようなものである。戦前もこの朝令暮改というしたたかさがあれば、あれほど日本国民を悲劇へと導くこともなかったかもしれない。悪い意味の“武士の面子”である。
 
 先日テレビで聞いた橋下徹氏の弁だが、「菅さんは、答えがある方向へその解決を進める手腕はあるが、答えがない、見えない問題課題に対しては疑問符?がつく」という菅義偉という政治家の資質をもろに言い当てた指摘が私の記憶に残り続けている。まさしく、総務省という地味で、国民にはあまりうかがいしれない役所で実績を上げてきた手腕をこの言葉が証明してもいよう。甘利明氏が進めたTPP交渉、民主党政権以来の未解決の原発処理問題、安倍総理でも実現できなかった北方領土問題など、菅氏はまず解決する能力はゼロといえる。まず無派閥で、子分がいない、二階幹事長に祭り上げられた神輿にすぎないからでもある。CO2の排出問題なんぞ、すでに答えがでている喫緊の人類のテーマでありながら難題でもある、それも自身がこの世にすでにいない2050年のスローガンなど掲げても、一向に彼の功績などにはならない。鈴木善幸が土光臨調の増税なき財政再建と放り投げた、その資質と同類のものを菅総理にうかがえる。
 
 今般のコロナ禍の二回目の緊急事態宣言の発令の遅さがよく批判されるが、実は、これは、菅氏の選挙用ポスターにも記載されている自身のスローガン「私はブレない」というものに縛られた、自身のメンツ、政治家としてモットー、自身の政治家の選挙のイメージなどが頭の片隅に浮かび、宣言が後手後手と回り、内閣支持率の下落とあいなった。もちろん、“GO TO EAT”やら“GO TO TRAVEL”という二階幹事長の方針に忖度していたのは明らかであるが、それ以上に自身のモットーに、自身が面子に縛られていたことは、安倍晋三元総理が、オリンピック開催と習近平来日に頭をいっぱいにして、空港の水際対策、つまり、台湾で成功した事例のような決断に踏み込めなかったことと相通じるものがある。
 菅総理が、日ごろ「私はブレない」などと選挙区の支持者、また自民党の連中、官僚たちに自慢げに口にしている言葉が、まさしく、朝令暮改という行動に踏み切れなかった淵源である。自らの座右の銘に自縄自縛されたかたちである。これなんぞは、有言実行が自らの足を引っ張った典型でもある。
 その一方、中曽根康弘元総理は、日ごろ風見鶏というありがたくないニックネームを賜っていた。さぞ、心の奥底で「政治家の本分などバカには分かるまい!」と呟いてもいたことだろう。つまり、政治家は、その時泥をかぶり、非難ごうごう、石を投げつけられても自分の死後、後世自身のやったことが正しいとわかってくれればそれでいい、そういった姿勢、自身が国家の踏み石、土となってもかまわないという心根、気概でもある。逆説めくが、逆の意味での“真の名こそ惜しけれ=武士道”でもある。少々飛躍するが、山本周五郎の『樅ノ木は残った』の主人公原田甲斐の生き様でもある。
 
 保守の論客でもあり、憲法改正論者でもあり、靖国参拝是認総理でもあった。しかし、鈴木善幸から、総理の座を受け渡されて以来、自身の信念という剣を鞘の中に入れた。自身の信義を封印した。これを世論やマスコミは風見鶏と称したわけである。この文脈でいえば、菅氏の眼鏡、小泉純一郎元総理のフィルターからは、“ブレた”と烙印を押されたことになる。しかし、彼には、土光臨調から託された国鉄・電電公社・専売公社の民営化という難題が面前にあった。その時、公共の、国家の利益のためなら自身に毀誉褒貶など恐れるに足らずという覚悟があった。しかし、菅総理は、国家衰亡の危機(※少々大袈裟である)と自身の面子を天秤にかけて、後者にこだわるメンタルが続いた。これが、第2回目の緊急事態宣言の後手の評判の悪さへとつながったのである。また、更なる2週間の延長も同様である。
 
 ポーツマス条約を結ばざるを得なかった小村寿太郎、ロンドン海軍軍縮条約を結んだ若槻礼次郎、聖断を終戦へと導いた鈴木貫太郎、サンフランシスコ講和条約締結の夜、日米安保を結んだ吉田茂、日米新安保を結んだ岸信介、日中共同宣言にこぎつけた田中角栄、こうした先の見えない難題へと猪突猛進する器のでかさなど微塵も感じない菅総理、“日本丸”をタイタニック号の運命としないことを願うばかりである。



 

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