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初等教育における一番大切な科目

 では、国語の重要度が、中等教育の段階で、低かったのですが、その根拠を率直に申しあげましょう。それは、国語という科目は、ある意味で、小学校低学年で“勝負”が決まってもいるということであります。それはどういうことかと申しあげると、小学校の1年生から3年生くらいまで、ちょうど常用漢字を必死に覚えなければならない段階で、それと並行して、どれだけ本を前向きに読んだかどうかで、その後4年生以降の国語の出来不出来を左右するということでもあります。それは、英単語を中学で必死に丸暗記するだけで、能動的に、英文を読む、英作文をする、そして、音読する、そうした行為をしなければ、英単語の根っこが生えていこないのと似ています。
 
<図Ⅱ>
 小学生                中学生       高校生
 1年 2年 3年 4年 5年 6年  1年 2年 3年  1年 2年 3年
<常用漢字取得期間>⇒
            ⇒国語の勝ち組となる!
<読書習慣確立期間>⇒
 
※以上の小学生低学年で、漢字と読書の習慣を身に付けた子は、4年生以降、国語の問題集などやらずとも成績がいい。一方、その習慣にいなかった子は、その後、問題集をやろうが、アヒルの水かき程度しか成績は伸びない。これは、あくまでも私の仮説です。
 
 これは、よく生徒やご父兄に語る喩えでもありますが、国語という科目は水泳に似ていると。小学校の低学年にスイミングスクールに通っていた子が、ちょうど4年生から学校でプールができ、体育の授業で泳ぐことになったら、ちょうど差がつくのと同義であります。<活字という水>をスイスイと泳げるか否かで、国語の成績を左右すると言っても過言ではありません。
 国語の文章は、大方、小説、論説文、随筆、詩などに大別されますが、ちょうど小説が平泳ぎ、論説文がクロール、随筆が背泳ぎ、そして詩がバタフライと喩えることができましょうか。だから、男子では、“論説文”が得意な生徒が多かったり、女子では、“小説”が得意だったりする傾向があったり、もちろん、オールラウンドプレーヤーの如く、全てが得意な生徒ももちろんいるでしょう。ですから、まさしく、国語は、<活字という水>に10歳前後までに慣れ親しんでいることが肝要なのです。
 
 よく、サピックスや日能研などで、成績上位者が、算数では男子、国語では女子が上位者に分布するという傾向は、実は、次のような事例からくるものだと考えられます。
 
 男子は、4年生以前は、サッカーをやっていたり、スポーツ系の習い事をやっていたりと身体を動かす事で低学年を過ごしている子が一般的に多い。その一方、女子は、ピアノなどの、文化系と申しますか、屋内ですること、それと同時に読書をする習慣の中におかれる子が多いかと存じます。そこに、<国語の伸びしろ>の根拠がどうもあると私はにらんでもいるのです。あくまでも主観的一般論と断りを入れての上で申しているまでです。
 
 「お母さん!あのさ、田中の奴、知ってるよね、あいつサピックスとかいう塾に行くんだって、地元の公立中学が荒れていて、行きたくないんだって、それに中高一貫校という学校の方が、何か、いい大学に行けるとか言ってたんだけど、僕も行きたくなっちゃた」
「あんた、本当に行く気あるの?本当に勉強なんかするの?サッカーのクラブどうするのよ?」
 「サッカーは3年間止めるよ、中学に入ったらまたやるよ!」
 
 こうした親子のやり取りをして、中学受験の進学塾とやらに通い始める少年が多いかと存じます。しかし、この男の子は、小学校の低学年に発育盛り、身体をめいいっぱい動かしていたことが、今流行りの言葉で申せば、算数につながる右脳とやらを鍛えてもいた、しかし、感情や五感(※小説などで求められる資質)を司る左脳とやらには、効果薄の年月でもあったわけです。ですから、この、めいいっぱい身体を動かしていた習慣が、算数という解法から一つの答えを導きだす科目にはうってつけ、超ゲーム感覚で、その算数能力が飛躍していったと考えられなくもない。
 
 私の教育的仮説ですが、北海道の自然豊かな所で、テレビもNHK以外、民放の1,2局しか映らない、ましてや、スマホやゲームなぞ疎遠な子ども時代を過ごさせ、自宅では、読書三昧の子ども時代を送り、小学校4年の時点で、東京に引っ越し、都会の超進学塾に通わせたとすると、その子は、開成や桜蔭などわけなく合格してしまうのではないでしょうか?
 林修氏などは、小学校の段階で、日本画家の祖父の蔵書、日本文学大全集を読破していたそうです。その甲斐があってかわかりませんが、彼は6年生から中学受験の勉強を始めたにもかかわらず、愛知県のナンバーワン中高一貫校東海中学に合格したのです。また、今や、テレビ等で活躍されてもいる国際政治学者三浦瑠麗さんも、小学校時代から父親に一切テレビを観せてはもらえず、本ばかりを読んでいたそうです。それも、1年間に1000冊を読んでいたともいいます。まさしく、私の仮説を裏付けてもくれる情報です。この両氏は、もちろん、現役で東大生になっています。
 ここに、数学者藤原正彦氏の常々主張してもいる名文句「小学校で大切なのは、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数、パソコン(プログラミング)、英語、そんなのどうでもいい」が、ますます説得力を増してもきます。
 
 これは、神奈川県のケースでありますが、栄光学園、聖光学院に合格する男子と浅野学園に行く男子、浅野学園に合格する男子と逗子開成もしくは桐蔭学園に行く男子の一つの分岐点は、国語の点数が左右しているような気がします。算数の力は、そんなに大きな差はないと考えられますが、国語力に各段の差が生じて、受験の明暗をわけているというのが、私の推測です。因みに、2022年度中学入試で湘南白百合学園が「国語1教科入試」を始めると新聞で報じていました。学校当局者が、私と同じ考えを抱き、実施に踏み切ったのではないかと思われます。また、数学者の藤原正彦氏は、入試以外の面接で、読書体験と語らせる、どれだけの本を読んできたのか、それを突っ込む面接試験なるものを提唱してもいました。恐らく、どこかの中高一貫校では、面接でそれを導入するところがこれから現れるのではないかと思われます。
 
 恐らくでありますが、国語ができる小学生は、まず速く読める、それだけではなく、黙読しながらも、まるで、有名俳優か、NHKの名アナウンサーあたりが、朗読してくれているかのように脳裏にその場面や情景が浮かびあがってもきているのでしょう、文字を読む、その瞬時に“映画化”しているかのような神業を脳内で行ってもいるかのようであります。本を読むのが好きな子ども、嫌いな子ども、これを無意識にできるか否かで命運を分ける、いや、意識してもできない子どもが読書嫌いになる。
 
 私の塾の生徒で、特に、男子ばかりでありましたが、次のような御相談を数件受けたまわったことがあります。だいたい、中2か中3でした。
 
「おかげ様で、英精塾に通わせていただいているおかげで、中2の今でも、英語の成績はクラスで数番、全校で上位にいます。ありがとうございます。数学はもともと算数の時代から好きで、得意で、その延長線で、成績も心配ないのですが、この度、ご相談にあがったのは、ほかでもない、息子の国語の成績に関してなんです。英数は、9割前後得点するのですが、国語に関しては、いつも50点そこそこで、この間は、70点ほどゲットしたのですが……」
 「それはいいじゃないですか!お母さん」
 「いや、先生、その時の国語の平均点が、83点なんですよ、喜べませんよ!」
 「ああ、そうですか…」
 
 このようなやり取りが印象的です。その生徒は桐蔭学園の生徒でしたが、逗子開成の生徒さんもいました。このようなやり取りをしたあと。
 
 「うちの息子の国語なんですが、どうしたら成績がよくなるでしょうか?」
「いや、もう駄目ですね」と応じる。そのお母様は暗い表情になる、そこで、
「しかし、お母様、今からでも遅くいですから、本人に、お母さんは、本代だったらいくらでもお小遣いをあげるから、本を読みなさいとご指導願います。そして、その本を読んだら、感想文だと本人が憂鬱、嫌になっちゃうので、食事中でも、車の中でもいい、そのあらすじと面白かった点を語らせる習慣をつけてください、その読書の習慣が、高校3年になった頃若干でも効果がでてくる、そこで、高校3年の段階で、現代文の読解のノウハウとやらを伝授して差し上げますから、それまで“読解の基礎体力”を身に付けさせてください。その高3でやる現代文の読解法というのが、巷に溢れかえっている“テクニック”や“記号”などをうたい文句としたやり方です。具体的には、ゴロ語で有名な板野先生や論理エンジンで一時代を築いた出口先生などです。今では、若手の現代文講師柳生先生などもいますが、彼らの参考書を読んでも、伸びる伸びないの命運が分かれる可能性の大差にでてもきますから。
 
  こうしたやりとりをよくした記憶があります。また、補足したことを申し上げると、次のような喩えを国語が苦手な親御さんと本人を前にしてします。
 
  国語、いわば、読解が得意な生徒は、水泳でも地上を走るように、イルカのように、すいすいと“活字の海”を泳げます。例えば、25メートルプールの第4コースに、百円玉、シャープペンシルなど、意図的に沈めておきます。また、プールサイドに理科と国語の先生を立たせておきます。当日は晴れ渡り、巨大な入道雲がプールから望めます。さまざまな状況をセットして、その子に25メートルプールの第4コースを泳いでもらいます。但し、泳ぐ途中で様々な物が目に入ってくる、そのコトを質問する前提で泳いでもらいます。
すると、水泳が得意な生徒は、泳ぎ終わって質問すると、「第4コースには、百円玉とシャープペンシルが沈んでいた、プールサイドには、理科を国語の先生が見学にきていた、空は入道雲が昇っていた」など、泳ぎながら、目にした状況をハキハキ的確に応えてきます。
一方、水泳が苦手な生徒は、25メートプールを泳ぎ切ることが目的で、まるで平泳ぎが溺れかける犬かきの如くに必死に泳ぐことが精いっぱいで、はあはあ言いながら、わき目も振らず泳ぎきるわけです。その後、「第4コースに何か落ちていなかった?」「プールサイドに誰か見学にきていた?」「今日はどんな天気、空模様だった?」と質問しても、「何か落ちていたかな?」「誰がいたっけ?」「晴じゃあないですか?」とぎこちない応えしか返ってはこないのです。必死に泳ぎきることだけが目的、ただ本文を読み切ることだけをしただけ、まるで、字幕のない洋画を2時間観たあとに感想を聞くに等しい有様なのです。
 
  水泳が得意、国語が得意な生徒は、まるで名俳優にその小説なりを朗読してもらって、脳裏に映像化しているように、その文章が深く認識できている。しかし、読解が苦手な生徒は、だだ、読み切ること、どういう小説かくらいで、ディティールなど枝切して、漠然としか内容が捉えられていないのです。
ここに、国語ができる生徒とできない生徒の命運が分かれる分岐点があるのです。この私の仮説を証明したい思いで、昔、偶然にも4名の対照的生徒がいた頃のことです。国語が得意な女子2名、苦手な男子2名、中学2年です。ある無名の20ページほどの小説を読ませ、読み終えた者から、私の元に来てもらい、もちろん、部屋は別です。そして、その小説のあらすじと登場人物と場面場面を質問し、応えてもらう実験をしたことがあります。
すると、その得意な女子2名は、15分くらいで、私のもとにきました。それぞれ、彼女たちに質問します。
 
  「どういう内容だった?」「登場人物は?」「これこれの場面はどう思った?」などなど質問すると、彼女らは、「これこれこうで、こう思いました」「6名がいました、これこれこういうキャラで、こういうそれぞれの関係の人物たちです」「こうで、こうで、こうだと思います」とハキハキと応じてきました。やっぱりなあ!あの水泳が得意な生徒と全く同じだ!と感慨に耽りました。
それに対して、苦手な男子2名は、その倍の30分以上たっても、もたもたして、読み終えていない、そして、催促して、無理やり読み終わらせて、「もういいから、来なさい」と一人一人、面接形式で質問しました。すると、同じ質問です。「ええと、……ぽい内容だったかなあ?」「ええと?どんな人がいたっけ?」「そんな場面あったかな?ああ、そういえば、あったけど、別に…」こんな返答の有様でした。もちろん、戦前の少々難しい小説であったこともありましょうが、その読解の深さと浅さが典型的にくっきりとコントラストを描きました。
  これが、国語という科目の厄介さでもあるのです。ですから、お父さん連中の生活習慣病ではありませんが、会社の健康診断直前、数週間前から規則正しく、栄養バランスの取れた食生活をしたからといって、血糖値や中性脂肪の数値が改善しないように、国語という科目の得意苦手は、半年、1年と英語や数学とはわけが違い、小学校の読書習慣がものいう科目であることを親御さんはよく認識しておかねばなりません。これは中学まで国語が苦手で、高校生になって、どこかしらのカリスマ予備校講師に習ったからといって、読解力が伸びたりしないのと同義であります。それは、表層的論理力がついたにすぎないのに、読解力がついたと勘違いしているのです。自動車学校の学科の問題をたくさん練習してひっかけ問題に足をすくわれなくなった程度の代物です。(つづく) 

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