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ヤンチャ性と知的なものの融合

 子ども時代、わんぱくで、いたずらっ子でいることは、どういうことであるのか?言い換えと、子ども時代は、子どもらしくある、いる、生きるとは、その後の人生とどういうかかわりがあるのかといった問題ともぶち当たる。
 今や、その存在が誰もが認めるビートたけしこと、芸人・映画監督などマルチな才能を有する有名人は、もちろん、モノの見方でもユニークである点もまたない。
 彼は、テレビドラマ「たけしくん、ハイ!」や映画「浅草キッド」などで有名ともなった、東京下町の足立区で、少年期を、まさしく、やんちゃ坊主で、一枚上手のご母堂の下で、優秀な兄などと自由気ままに過ごしたともいう。それも、飲んだくれのペンキ屋のオヤジの倅という立ち位置も重要である。これは、まことに、社会的、家族的にスリリングな環境にいたことが推測される。
 この母、そして、この兄というアンチなイメージがあればこそ、また、生来の潜在的賢さ、この種があってのこと、わんぱくながら、ベビーブーマー世代で、母親の教育熱という手綱さばきもあり、明治大学工学にまで進みながらも中退し、浅草で芸人の修行時代へと歩む道程は、この、少年時代のわんぱく気質の爆発でもあった。中等教育時代、その子供らしら、好奇心旺盛な資質を封印し、勉強という母親が課した、一種“千住の虎の穴”で、知的なるもの、いや、学問の流儀、その重要さを悟ったのでもあろう。
 その片鱗ともいうべきものが、フライデー襲撃事件後の、謹慎期間である。その間、彼は、弟子の実家の修善寺の旅館で、学校の教科書を取り寄せ、片っ端から読破して、青春の学びを再構築したともいう。その後、フジテレビの名物番組ともなった『平成教育委員会』という、中学受験の過去問を格とする知的バラエティー番組を、名物アナの逸見正孝と企画したり、深夜の数学企画番組を、たけし軍団とプロデュースしたりしたほどである。
 本来、教育というものに止まらない、子どもの本性、幼児からの本能といった資質、それは、エジソンやら、岡本太郎やら、古今東西の天才に、終生まとわりついてもいた、タレント、ギフト、ジーニアスといった様々に呼べる資質を、母親、学校から、仮面を被りながらも、大切に保持してきた異端児でもあった。
 世はデジタル時代である。この令和において、幼児から、子どもからの、わんぱく、やんちゃ、いたずらっこ気質とは、どういうものか、令和の時代は定義が難しい
 よく、地上波テレビで放映される、「昭和VS令和」「昭和世代VSZ世代」など世代間格差を面白おかしく特集している番組を観ての感想だが、もはや、わんぱく、いたずらっ子とは死語であり、プログラミングキッズ、ゲームボーイ、将棋からスケボーにいたるオタク族の天才など、もはや、自然界における好奇心をバネにしたやんちゃ族は、絶滅危惧種でもある。これは、小学校から高校まで、クラスの1割しか眼鏡っこがいなかった昭和の時代、彼らは、軽いいじめの、いや、からかいの対象でもあった。だから、ドラえもんののび太は、それを象徴してもいる。しかし、令和の時代、9割は眼鏡っこであるという。そうも見えないのは、コンタクト族が潜在しているからである。

 極論を申し上げる。昭和の一般論である.。眼鏡っこには、わんぱく、いたずらっ子はいなかった。むしろ、お勉強派が多かった。因に、あのビートたけしが眼鏡をかけている場面を見たとがない。また、想像もできない。恐らく、コンタクトではないような気がする。彼の外見からして、やんちゃ組の証明である。
 このビートたけしの、やんちゃ性と知的なるものの融合性から、異端的個性、抜きんでたスター性が生まれるという法則性は、私の同世代でもある、とんねるず、ダウンタウン、そして、爆笑問題といったお笑い平成ビッグ3のコンビにも当てはまるような気がするのである。(つづく)
 


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