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歴史とは、なぜ学ぶのか?学ぶべきなのか?

 「全ての動物は、社会の中に生まれてくる。しかし、歴史の中に生まれてくるのは、人間だけである」(司     馬遼太郎)
 
 「歴史は後ろ向きに進む」(ポール ヴァレリー)
 
 「愚者は経験から、賢者が歴史から学ぶ」(ビスマルク)
 
 「歴史を学ぶのではなく、歴史に学ぶ」(森本哲郎)
 
 「学問は歴史に極まり候なり」(荻生徂徠)
 
 これを強烈に意識、自覚し、ものごとの判断から行動への礎、それを、無私とも、覚悟ともいっていもいいのだが、それを自身の、社会性の“律”とするか否か、それがリーダーとしての磨かれた歴史観ともいい、事実、そういうものでもある。これに近い、良識とやらを全国の高校1年に一律に求めるその料簡とやらにほとほとあきれ返る今日この頃でもある。
 
 何故、歴史を学ぶのか?まず、一般的な、その素朴な動機とやらを列挙してみたい。
 
 ①歴史から、何らかの、市民(国民)としての常識、いや、良識を身に付けて欲しいといった文科省の見解から、学校の教科にその科目が組み込まれてある。一部、いや、ほとんどの国家では、それも愛国心・母国愛などを涵養する“毒・麻薬”をブレンドしている。歴史教科の‘隠し味’とやらである。だから、単位としてあるため、生徒は仕方なくやっている、何らの感情など介入せず、無機質に歴史を学ぶケース。それが、ほとんどの中高生の実態である。社会人になると、数学ⅠAやⅡBを忘却の彼方へ雲散霧消するのと同じように、歴史を記憶の彼方へ忘れ去る人々でもある。こうした部族の一部が、社会人となり、仕事で英語が必要になって、学び直すように、それとは、対照的に、内発的に歴史の意義を痛感し、歴史を再学習する、それが②の社会人として、歴史学習者として蘇生してもくる。
 
 ②学校の科目云々など関係なく、自身が、社会、会社、つまり、家庭をも含めた世間という中で、巧く、上手に、倫理的、道徳的に生きてゆく、ある種の、“生活上の糧”を得ようと、殊勝にも歴史を学ぶケース。戦前の日本社会での修練・修身のような一環として、ある意味、宗教がない日本人にとっての、宗教的意味合いのある歴史である。それは、歴史小説を、世のサラリーマン、経営者が、山岡荘八の“徳川家康”に、吉川英治の“宮本武蔵”に、司馬遼太郎の“坂本竜馬”に、それぞれの、人生上の範を求めてのめり込むケースである。比較的大企業の管理職や中小企業、大手企業もだが、そうした社長に多く見受けられるケースの、発展途上の中高生予備軍でもある。コンプレックスを持つ中高生が、自身を“坂本竜馬”に擬えて、幕末に詳しくなる例など、その典型でもある。孫正義や渡辺美樹などは、『竜馬がゆく』の愛読者であったともいう。
 
 ③楽しいから、面白いから、ゲームやアニメ、ライトノベルの類で、歴史上の人物をダシに、カッコいいヒーローをエンターテインメントの主人公として、軽いノリの歴史オタクとして、歴史に熱をあげているケース。スポ根マンガの『あしたのジョー』の“矢吹丈”や『巨人の星』の“星飛雄馬”に憧れるのと同じノリで歴史上の人物、真田幸村や伊達政宗に熱をあげる。歴史上のヒーローに“萌え”ている部族である。巷の歴史オタクや一部の歴史検定受験者、さらには、軽いノリの“歴女”もこの部類に含まれる。戦国時代を一番好むと公言する少年少女など、その典型でもある。
 
 ④最後に、余談であるが、歴史を思想としてとらえている、極論ながら、“歴史とは死である”と認識し、過去の人物との魂の呼応・往還・共鳴といったことを第一義とする、過去を思い出す哲学であることを、歴史と向きあう精髄と認識しているケースをあげておこう。これは、能狂言、歌舞伎、茶道や華道など、一種、古典芸能の世界の、その道の奥儀と一脈も二脈も通ずるものでもある。こうした行為は、本物の(?)歴史小説家が、イマジネーションの閾で行ってもいる精神の営為、内なる会話でもある。本居宣長が稗田阿礼・太安万侶(古事記の作者)と数十年にわたり魂のやりとりをした偉業、そして、その宣長と同じ魂の振れ合いを十年以上にわたり行った小林秀雄の晩年の達成など、西欧風に言わせていただくと、日本哲学として歴史、歴史としての日本哲学ともいっていいい、そうした歴史のケースである。これは、科学としての歴史学とは、ある面で、一線を画するものである。民俗学において柳田国男や折口信夫が用いたある種の“直感”でもあり“直観”でもある。『平家物語』や『太平記』の作者の精神に連綿と流れてもいる歴史観{仏教観や無常観が底流に流れている思想}である。こうした崇高なる歴史との対峙の姿勢は、大方、世の、名高い知識人が、‘歴史という神’と向き合う際の、“精神のたしなみ”として身に付けている謙虚な訓示でもあり、表には、口には、出さない、‘歴史という神’を扱う際のエチケットであり、マナーでもある。こうした歴史観は、政治、経済の世界では、無力でもある。この人生上・歴史上の急所をつくことば、「勝者が歴史を作り、敗者が文学を作る」(佐々木幸綱)に集約されてもいる。だから、政治家は、政治家の吐く言葉は、たとえ保守派のものであっても、薄っぺらい、揚げ足を取られやすい隙があるのである。行動や結果が求められる職業柄、それも仕方あるまい。高坂正堯、岡崎久彦、山内昌之、佐伯啓思などの、知の地下水としての歴史観と自民党の政治家のそれとの違いである。学者(外交官)でもあるから、それができると言えば当たり前だが、我々国民としては、前者より後者の良識が求められる。何も、平成や令和の政治家と学者との関係は、平清盛や源頼朝、後白河法皇や後鳥羽上皇と九条兼実や慈円との関係に擬えていえば、中世においても変わりはない。
 
 今般、歴史総合なる科目が新設された、この科目、日本史や世界史の近現代史を先に学べば問題はないが、中学生レベルのその知識しかない17前後の少年少女に歴史総合のコア、ツボ、その課題とやらを学ばせる、その真意が理解できない。英文法や英単語もろくすっぽ知らない高校1年生に、ディベイトやプレゼンレベルの、クラスみんなを説き伏せるようなスピーチをさせるようなものである。理想は言うは易しい、実現は難しい、この真理は歴史が教えてもくれているではないか。教育改革の歴史、あゆみを顧みることなく、カリキュラムを改変するその愚挙・暴挙といったら、鉄面皮の官僚には想像すらできていない。
 もちろん、学校で学ぶ高校1年生の歴史への姿勢といったら、せいぜい①の部類に属する者たちでもあろう。それを、政府は、②のグループではないであろう、期待するのは。恐らくは、④の学者の域ではないにしろ、知的に歴史に向き合える、歴史を考える若者を生み出したいのでもあろう。③のグループは、個人の問題であり、公的教育が口をはさむ領域でもない。一種、趣味の問題ですらある。
 
 日米の太平洋戦争はどうして起こったのか?日韓の関係はどうして険悪なのか?近代の女性の社会的地位はどのように変遷してきたのか?などなど、現代の私たちの命題でもある歴史的現在地を自身で考えなさいといった方針でもあろう。しかしである。こうしたテーマは、一筋縄ではいかない。正しいとされる回答がないのである。せいぜい、一番まともな、まっとうな歴史の解釈を要求しているにすぎない。実は、この点こそが、高校1年の歴史未成熟青年・歴史発展途上人間には、難儀なわざでもある。いっぱしの大人でさえ、テレビのワイドショーのコメンテーターでさえ、共感・納得する意見など吐けない領域なのである。こうした、無理難題は、④の部族の入門・初級レベルの‘知的歴史観’を持ち合わせていない限り、なかなか‘合格点の回答’など出せない代物なのである。それを授業の場で根付かせるのは、学校で‘使える英語’を教えるのと同じ命題にぶち当たるのである。では、この観点から、次回、高校1年生と歴史総合という科目の関係性に、具体的に踏み込んでみたい。

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