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「失敗は成功の母」されど「成功は失敗の父」

 「失敗は成功のもと」、この諺はあまりに人口に膾炙しすぎて、一種、「努力に勝る天才なし」「継続は力なり」に似たニュアンスを帯び、その認識と自覚、そしてそこから芽生える覚悟から行動へと自らの行動を駆り立てる魔力は失いかけているようです。そこから教訓を得る人は意外に少なくなってきています。それほど新鮮さを失いかけている言葉といえば言い過ぎかもしれませんが。影より光しか見ようしない現代人気質の顕れやもしれません。お笑いとイケメンがメディアで幅を利かすこのご時世では仕方がないやもしれません。

 それでは、「成功は失敗のもと」、これは、諺はもちろん、格言とて認識不足の方が多いかと思われます。これを「むむ、そうだな!」と、ニヤリとされて常日頃肝に銘じておられる方は、「勝って兜の緒を締めよ」流、家康的気質の人間やもしれません。

 野村克也の流儀で申せば、「勝って分析、負けて分析」、これを援用すれば、「模試で良い成績を取っても復習確認、模試で悪い成績を取ったらさらに復習」これを地で行く生徒は本番の結果が明るいものです。「平時は悲観的に準備し、戦時は楽観的に対処すべし」(佐々淳行)この心得を受験生でも忘れぬ人でもあります。

 ユニクロの社長柳井正の著書名で「成功は一日で捨て去れ」「一勝九敗」というものがあります。このコンセプトは、すでにセブンイレブンの生みの親、鈴木敏文の基本理念として数十年前から知る人ぞしるビジネスの心得として有名でありました。柳井氏の考えも、ある意味、その焼き増しに過ぎません。おそらくは、高度成長が終わった70年代後半から賢者は「失敗は成功のもと」から「成功は失敗のもと」へと自身のモットーをシフトし始めた嫌いがなくもありません。ドラッカーを通して知ったシュンペーターの<創造的破壊>の理念であります。

 この流通業の定理を下敷きに申し上げれば、世にはびこっている受験ハウツー本の“受験ポルノ(佐藤優氏の造語)”も心して読まねばならないことの真実が「成功は失敗のもと」の要注点を言い当ててくれてもいます。

 佐藤ママこと、佐藤亮子氏の『東大理Ⅲの3男1女を育てた方法』『受験は母親が9割』などいったエリート英才教育本や坪田信貴氏の『学年ビリのギャルが1年で偏差値40挙げて慶應大学に現役合格した話』などの成功体験本は、その<成功は失敗のもと>を心得て読まねばならぬものです。このご両人は、今や講演も引きも切らず、引っ張りだことやら。

 先輩や同輩の「この問題集をやったから合格できた!」「この参考書を使ったから成績が急上昇した!」といった類の言葉は、<蜜の味>と感じてしまう気質は、理性や知性を持ち合わせていない輩の証明であります。今激売れしている『鉄緑会 東大英単語塾集』(KADOKAWA)も、受験ポルノ的、「これを使えば受かるかも」的身の丈知らずの凡凡気質の高校生がいかに多いかの証明ともなっています。参考書・単語集にしろ、問題集にしろ、その使用者のバックグラウンドに思いをはせる知的想像力が欠如している高校生が余りにも多すぎるのです。

 我が子のために自己犠牲を惜しまなかった元英語教師という佐藤ママ、さやかとその母あ~ちゃんと坪田先生という、3要素の奇跡的な出会い、こうした諸条件があったればこその成功譚なのです。坪田先生には、その後、このビリギャルほどの成功体験はもたらされなかったことでしょう。ちょうど、オリックス元監督仰木彬の下に、ドラフト4位で入団してきた“掘り出し物”イチローがごとき天才が二度と現れなかったこと。また、幸運にも、巨人の長嶋監督の手に、ドラフト1位の黄金ルーキー松井秀喜がもたらされた運命と同義であります。この少女体験で、本業の塾講師より、今や講演で稼いでいるのが、落合中日元監督とダブってしまうのは、皮肉屋の私だけでしょうか?ただ、佐藤ママの流儀、坪田先生の手法による成功体験の結果のみ、そして、そのプロセスと彼らが敢えて触れない諸条件、これらに目が向かずに、そのハウツー本に記載されているアドヴァイスを鵜呑みにして、自身の諸条件{※学校レベルや使用している教科書など}を忘れ、行ったとしても、望む結果が得れない現実は、深夜の通販などで、「これで15キロ体重が減りました」をキャッチフレーズに、サプリや健康食品など衝動買いしても、10人中2~3人程度しかダイエットに成功しない実態は、「これは個人の感想です」「効果は個人差があります」という言い訳がましいテロップで証明済みです。しかし、買ってしまうのです。悲しい人間の性です。

 麹町中学校の「宿題をやめた」「定期試験をやめた」「担任制をやめた」等の学校の当たり前をやめたという学校改革成功本『学校の「当たり前」をやめた。』なども、ある意味、中学受験で失敗して、寄留で入ってくるモチベーションの高い中学生、そして、公立中学校でも昔から最も伝統もある有名な“エリート進学校”である要素が、追い風となり成功した例なのです。この手法をただ猿真似しても、いわば、公立の問題校や標準校に適用しても、大した実績が残せないことは、鋭い切り口で学校問題に関する多くの著書{※『学校に金八先生はいらない』『教師と生徒は“敵”である』『教育改革の9割は間違い』など}を出されている、“プロ教師の会”代表諏訪哲二氏の『学校の「当たり前」をやめてはいけない』は、こうした文脈の中で興味深く読める本です。麹町中学校校長工藤勇一氏の考えのアンチテーゼとして心得ておくべき視点・観点を提示してくれてもいます。

 世の賢い人は、その成功事例を参考程度に心に収めて、独自の流儀を見出すものです。凡人にはこれができないものです。安易な成功体験に自身を準える習性をもつ愚鈍なる高校生やその親御さんの心情が、深夜の焚火の炎の明るさに惹かれ自身の身を焼き焦がし、死滅する蛾たちの習性にダブって見えてきてしまうのです。日本画の最高傑作の一つ、速水御舟の『炎舞』の中の蛾の群れのように!

 


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