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数学リテラシーが高校1年からしぼむ日本

 以下の抜粋は、日本経済新聞2020年3月9日の寄稿文です。筆者は、関西学院大学長村田治氏のものです。
 
高校の文・理コース分け
労働生産性 低迷の要因に
 
 読解力、数学、科学の3つのリテラシーの中で、これから世界において特に重要とされるのが数学リテラシーである。昨年3月経済産業省が発表した報告書「数理資本主義の時代」において、「第4次産業革命を主導し、さらにその限界を超えて先に進むために、どうしても欠かすことのできない科学が三つある。それは、第一に数学、第二に数学、そして第三に数学である!」とうたわれている。
 また、昨年6月に統合イノベーション戦略推進会議の報告書「AI戦略2019」が発表されたが、人工知能(AI)や情報科学の理解には微分、線形代数、統計学の数学能力が欠かせないといわれている。
 
 割愛
 
 なぜ、わが国のPISAの数学スコアがトップクラスにありながら、労働生産性成長率は下位にあるのだろうか。この謎を解く鍵はPISAの実施年齢にあると考えられる。PISAは高校1年生が対象となる。従って、高校1年までは、わが国の数学リテラシーはOECD加盟国でトップクラスであることは間違いない。
 だが、多くの高校は早ければ2年生、遅くとも3年生になると文系と理系にコースを分ける。13年3月の国立教育研究所「中学校・高等学校における理系選択に関する研究最終報告書」によると、高校3年生全体に占める理系コースの比率は約22%である。
 また文部科学省の「15年度公立高等学校における教育課程の編成・実施状況調査」によると、数学Ⅲを履修している生徒の割合は21・6%にすぎない。さらに19年度「学校基本調査」によると、大学で理学、工学、農学、医・薬学などを専攻する理系学生の割合は全体の約26%である。
 高校1年生段階まではOECD加盟国でトップクラスの数学リテラシーを誇っていたわが国の高校生は、その後、文系と理系のコース分けによって、80%近くが数学を学ばなくなってしまう。このため、十分な数学リテラシーを伴った人的資源の蓄積が進まず、わが国経済において技術進歩やイノベーションが起こりにくく労働生産性上昇率が鈍化していると推察される。
 一刻も早く、高校段階での理系と文系のコース別編成を止め、全ての生徒が数学Ⅲまで学べるようにすべきだと考える。さらに、AⅠの理解に必要な微分が数Ⅲの範囲であることを考慮すると、現在の高校段階での文理の区別を止めることは喫緊の課題ある。そのためには、初等・中等教育の段階から数学それ自体の面白さを生徒に伝える工夫も必要となる。
 
 ※以上の<割愛>の部分は、様々なデータに基づく、日本のPISAによる数学リテラシーが、世界の中でもそこそこ上位にいる実例を述べている箇所です。
 
 
 数学者の藤原正彦氏の名言「小学校時代に大切なのは、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数、英語、パソコン、そんなのどうでもいい」これを援用して、敷衍して述べさせていただくと、「中等教育(敢えて申せば中学時代)に大切なのは、一に数学、二に数学、三、四がなくて五に英語、それも、中学時代に最低でも数学ⅠAまでは終わらせておくこと!」これは、弊塾のコラム“数学随想”でも詳しく語っていることなので、その論拠はここでは敢えて申し上げません。
 
 今、中等教育で改革が必要なのは、英語教育なんぞではなく、数学教育なのです。何度も申し上げますが、英語教育の欠点をあげつらい、世間、政府、そして学校現場から英語教師へと批判の強風が、雨あられとして吹き付けはしますが、数学教育への批判は、無風状態です。凪の状態の日本の数学教育が大海のどこかしらへ漂流してしまう、その行き着く先は知らぬ半兵衛です。今、使える英語教育の方針に突き進んでいるのなら、むしろ、それは、タイタニック号が氷山へ向かい航行しているようなものです。これは、英文学者阿部公彦氏が舌鋒鋭く指摘している点でもあります。その一方、現在の日本の数学教育は、凪の海、いや、サルガッソー(船の墓場)に留まっているとしか考えられません。これぞ、「日本の常識は世界の非常識」の最悪の欠陥でもあります。アルコールランプ上の石綿に載っているビーカーの中の生ぬるい水中の蛙の運命にあるともいえるのが、日本の数学教育なのです。

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