カテゴリ

HOME > コラム > 姉(英語)と妹(数学)を差別するバカ親(文科省)

コラム

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

姉(英語)と妹(数学)を差別するバカ親(文科省)

 日ごろ、間欠泉のように脳裏に浮かんでくることを、はっきりと捕らえて語ってみたいと思います。科目における兄弟差別のようなことです。
 まず一つは、大学入試で、昨年末に大いにメディアを賑わした英語の4技能を測る民間試験の導入の件であります。世は、使える英語だの、書く・話す能力の向上も必要だだのと教育のすべての科目において英語だけを目玉商品であるかのように、また、親の敵であるかの如くターゲットにしてきました。世の軽薄な親御さんに一番受けがいいのがこの英語という科目なのです。愚昧なる大衆の意識に、ぺらぺら信仰があるからでしょう。社会に出て使えるような英語を教えるという、実用主義という幻想を一番抱かせやすい科目であることが絶好の“バカな大衆を釣る餌(政治家の甘い言葉)”となっているのです。センター試験における3大主要科目でもある数学、国語に関しても記述式の導入なども図られましたが、頓挫しました。思い描く理想像と現実のギャップ(階段の段差)で毛躓いたも同然です。テレビ等で目にする観光地の美味とされる、映し出される食物が、実際は、たいして旨くもなかった経験に近いものがあります。「観光地に旨いものなし」と、グルメ賢者が吐く言葉を彷彿とさせます。余談ですが、海老名サービスエリアの48時間で世界一の数を売り上げた、ギネス公認のメロンパンなんぞ、そんなに旨いパンとも思われませんが、東名高速道路の、一期一会的気持ちでドライバーの歓心を引き、つい衝動買いしてしまう消費者心理がまさしくそれでありましょう。
 3年間の高校時代のカリキュラム、授業スタイル、シラバスなどへの文科省から現場へのチェックも抜け落ち、厳格な指導も手薄で、二の次にされ、中等教育の結果を測る<関所>ともいえる大学入試のみを改革して、そこから現場が自主的に授業をやってください方式の教育手法で果たして、教育改革などできようはずもありません。
 そもそも、英語に関しては、やたらと、「英語改革だ!」「従来の英語教育ではダメだ!」とかわめき散らす文科省{※首謀者は下村博文}や一部の有識者は、数学の現場指導は超緩い、超生ぬるい放任主義、現場高校生は数学ができなくて仕方ない的態度でこれまできました。それは、共通一次からセンター試験へ、そして、私大も参加するアラカルト方式に変更してからというもの、英語はリスニングを課す方向へ、しかし、数学は国公立では、取っても取らなくてもいいような数学軽視の方向へと受験界が全面的に大きく舵をきり、なおかつ、現場の高校では、MARCHから早慶上智レベルの文系私大への合格実績最優先主義、しかも、数学の落ちこぼれ組容認主義{*まず英語ができる、そして国語もまあまあ、そう言う生徒は日本史や世界史の特訓で有名私大へ押し込む主義}は、早くて高校1年、遅くても高校2年の段階で“数学におさらばできる”学校のカリキュラムがいまやまかり通る時代になっています。理系、数学資質の劣化した高校生に誰も異議を申したてる人が、今や極少数派となりつつあります。近年、佐藤優氏などから、こうした、特に、中高一貫校の、数学離れ生徒と数学軽視学校への批判がなされていますが、現場と生徒、そして親御さんは地球温暖化の環境問題同様に、ほとんど“知らぬ半兵衛”で、<自分だけは別に数学なんか学ばなくてもいいや的根性なのか>危機感が全くありません。ましてや、文科省が、せめて、理系文系にかかわりなく、全ての高校生に数学を高校2年まで{※できれば高校3年まで}は必須にする方針を打ち出さない国の態度では、こうした風潮に歯止めはかからないこと必定でしょう。
 
 英語教育、英語入試に関しては、現場高校教師のレベルアップに関して文科省は口うるさく指導してくるが、数学教育の存在意義、数学教育の大切さや質の向上、数学入試の改善などに関しては、一切口を挟まない態度、それは、同じ兄弟でも、兄(英語)には、口うるさく“勉強しなさい”とわめき散らすにもかかわらず、弟(数学)には、“勉強しろ”だの、“実力をつけなさい”などと一切干渉してこない、気質がいびつに偏った母親の感がいなめません。
 
 英語に4技能の理想を求めるのならば、せめて、数学に関しても、“理系文系関係なく、数学ⅡBまでの履修を”と、どうして義務付ける方針を文科省は打ち出さないのか?
 英語ができない生徒は、その理由を世間では、学校のカリキュラムや学校の先生に押し付けます。教え方がまずい、カリキュラムが悪いとやり玉にあがります。しかし、数学に関しては、まず学校の授業の質や先生の教え方が批判されることはありません。生徒自身は、「俺には数学のセンスねぇや!」とか、その親御さんは「数学ができなくても、私立の有名大学は英国社で入れるわ!」と心中思っているはずです。数学に関しては、自身の数学能力に関して自己批判への回るのです。数学の教師が、自身の教え子が現場で、落ちこぼれても、放課後に補習するとか、個別指導するとか、聞いたことがまずありません。数学の敗残の将は、個別塾や予備校などに救いの手を求めるのです。しかし、数学に関しては、英語や古文ほど、再生され、力が急上昇する事例(こと)はまれなるケースです。つまり、高校の授業で数学に関しては復活する生徒は極、極少数派なのです。
 こうした実態を、文科省は、どうお考えなのか?
 
 姉(英語)にばかり、あれこれ身だしなみ、言葉遣い、立ち居振る舞いなど口うるさく躾ける母親は、一方では、髪を染め、ギャル語を話し、人前で傍若無人に振る舞う妹(数学)に一切干渉しない母親、これが文科省というバカ親なのです。姉(英語)には、東大理科Ⅲ類(読み・聞く・話し・読むという4技能)を目指しないとやかましく指導しながらも、妹(数学)は不良仲間と午前零時過ぎまで遊び惚けて、喫煙飲酒をも放任し、高校中退もいとわないバカ親の教育方針が、まさしく文科省の数学という科目への態度といってもいいのです。
 
 <高校現場の数学教育無能力>の実態、そして、大学当局の、<馬鹿でもいいからいらっしゃい的商い主義>、さらに、<科目のコスパ思想をもつ有名私大志向>の高校生、これが、数学離れの一番の病根であります。
 平成学生のコスパ学習気質{※受験で出ないもの、不要な科目は敢えて勉強しないメンタル}、“名ばかり進学校”ともいえる高校の合格実績第一主義{※数学が全くダメでも有名大学に押し込んじゃえ根性}、そして、少子化による大学経営が焦眉の急の危機感{※おバカちゃんでもそれなりに面倒を見て就職のお世話をしてあげますサービス精神}、これらの教育界の複合汚染こそ、数学軽視の淵源でもあります。数学落ちこぼれ、数学嫌い、数学放棄、数学できなくてもいい主義、数学など自校の生徒に無理して教える必要もない方針、「数学なんてできなくても、そんな科目は将来君たちには必要ない職種に就くのだか問題ありませんよ」的高校の空気感、これらが、妹でもある数学という立ち位置をどんどん狭め、劣化させ、強いては、日本の見えない国力(いびつな家庭崩壊:妹がぐれて家族がばらばらとなる悲劇のファミリー)を脆弱なものにしているのです。
  数学軽視の社会的風潮は、<透き通った悪>(ジャン・ボードリヤール)なのです。

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

このページのトップへ