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尾道の暮らしと正岡子規に学ぶ

  尾道は大変古い街で、不便で我慢がいる町なんですがそれだけに人々が褒美をいっぱいもらって暮らすコツがある。車も停まらない(坂の街)、山坂を自分の足で歩くから汗をかいて海の風が涼しい。自分で歩くからお腹が空いて魚が美味しい。自分の足で歩くから誰かと会って「やあ元気?」とコミュニケーションが出来てゆく。不便と我慢があるから、ご褒美をもらえるというのが文化の暮らし。この街は市制100年になるんですが、文明の尻尾になるな、文化の頭でいてほしい。便利快適主義、物の豊かさには私たちは辟易としている。これからは心が豊かな時代というのは文化。文明は新しくて高いものを求めます。けれども文化は古くて深いものを求める。尾道にはそういう文化がいっぱいありますから。「ここで暮らしたらきっと大変そうよ。だけどなんだか幸せそうね」じゃあその幸せの意味をもう1回考えてみようよという大事な会話がここから生まれる。~大林宜彦監督が愛した広島県尾道~
 
 以上のコメントは、『出没アド街ック天国』(テレビ東京:2020年7月4日)の「日本の郷愁の風景が残る街」の回で、先日お亡くなりになった映画の大林宜彦監督が述べたものです。レギュラー出演者の山田五郎氏や峰竜太氏などは、「良いこと言うなあ~!」とその発言に感動されていて、「このコロナ禍で超心に響くことばだなあ~!」とも語っていたことが印象的でした。
 
 “便利は人を不幸にする”の逆説ではないが、文明が発展・進歩しても、文化は、その十分の一も進化などしないものなのです。ましてや、文化という語には、進歩・発展などそぐわない、むしろ「文化が進歩する」「文化が発展する」などと表記すれば、それはむしろ誤用とさえ言えます。「文化が進化する」これさえも、違和感を覚える表記です。
 
 文化とは伝統ということばと相性がいい、ですから、伝統という言葉でご説明するとしましょう。
 
「伝統とは、その戦いに負けずにそれをいかに守り、受け継いできたか、その戦いの証である。それこそが伝統である」(西部邁)
 
 伝統とは、その国なりが、外国のモノやコトといった文明の大波・大津波に襲われて、それに押し流されず押しとどまったものとも言えます。それが裏を返せば、文化ということでもあるのです。
 和歌が平安時代において、“八大集”を挙げるまでもなく、天皇と同義でもあった。これは、本居宣長など国学というものを少しでもご存じの方なら得心するはずです。その和歌が、室町に正風連歌、俳諧連歌、そして、江戸には、正風(蕉風)俳諧、そして、川柳や狂歌と変化を遂げてきましたが、明治期、正岡子規が、それを、俳句と短歌へと近代において革新した。これこそ、575(77)という世界でも類例を見ない最短の“詩”の変遷、即ち、伝統でもあります。
 
 右も左も超越して、良い悪いは別にして、政治的意味を抜きにして、敢えて言わせてもらえば、“天皇”こそ、ある意味で“伝統”であります。‘天皇制’とは申し上げません。これ以上は、深入りしません。
 天皇家は、恐らく、一般大衆が、染まっている文明の典型、デジタル世界に一番疎遠な生活をされていることは容易に想像がつきます。あの尾道の住民のような日々を送られているのかもしれません。あのサザエさん一家のように、昭和の文明の“レトロな”利器に、依然として片足を乗せておられるのかもしれません。
 コロナ禍で、オンライン授業、リモートワークといったデジタルの文明の大津波の中、個人、家庭レベルでは、巣籠もり、マイクロツーリズムなど、窮屈、不便などの状況下に国民は置かれてもいます。しかし、その庶民の縮図、モデルケース、それは、正岡子規の生き様に見習うといい。“病床六尺”の世界で、結核と脊椎カリエスで布団からも出ることもままならない中、近代俳句と短歌に明るい写実主義という新風を送った、いや、革命を起こしたように、我々の誰かが、令和日本という社会が、デジタル文明に負けず屈せず、コロナ禍を逆手に取って、新たな文化を生み出すことを期待したいものです。
 
 「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふことは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった」(『病床六尺』6月2日付)
 ※これぞ、智慧というものであり、知恵とは一切関係のない概念である!
 
 「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きていても何の面白味もない」(『病床六尺』7月26日付)
 ※コロナを克服する、打ち勝つ、この役割は医学の世界のことである。この科学者の役割の根幹は、知恵であり、英知というものです。それに対して、我々庶民は、コロナと巧く共存してゆくことです。それこそが、また智慧でもあるのです。

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