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都道府県魅力度ランキングなんてこんなもの!

 先日都道府県の魅力度ランキングなるものが出された。毎度のことながら、上位ベストテンの都道府県は余り話題にもならず、最下位の茨城県や栃木県、そして群馬県ばかりに焦点が当たられた。ワイドショーでも、イケメンお笑い芸人よりブサイク芸人の方が、様々な面でいじりやすいように、毎年、この3県がクローズアップされている。九州の<さが(佐賀)しても見つからない県>と揶揄される佐賀県知事などノーコメントで興味の対象外でもある。
1位(1)北海道:自然
2位(2)京都府:伝統
3位(3)沖縄県:自然
4位(4)東京都:都会
5位(6)大阪府:都会
6位(5)神奈川県:都会と自然
7位(9)福岡県:都会と自然
8位(11)長崎県:自然と伝統(キリシタン)
9位(7)奈良県:伝統
10位(10)石川県:伝統(金沢という小京都)と自然
 
41位(47)栃木県
42位(32)山口県
42位(46)徳島県
44位(40)群馬県
45位(38)埼玉県
46位(45)佐賀県
47位(42)茨城県
※(カッコ)内は前年順位
太字は関東圏域ながら、東京、神奈川のキャラが立つ地域の日陰者ともなっている。
 まるで、ジョンやポールの背後で地味キャラとなってしまうリンゴやジョージのビートルズ内の如き立ち位置でもある。
 
 以上のべスト10に入る都道府県の傾向は明々白々である。自然度と都会度の偏差値が異常に高い、はっきり言わせてもらえれば、旅行と消費の観点で、その対象として魅力が際立っているかいないに過ぎない。そこに、歴史と伝統(観光の側面)の要素が加味されている分布である。
 このベスト10の都道府県の魅力度は、人間でいえば、異性に求める条件要素とダブっても見える。都会的要素は、お金である。一方、自然的要素は、ルックスである。人間は、その外見といおうか、モノ的条件で第一関門を篩にかける、そして、コト的条件を後回しにして、のちのち後悔する。それは、性格と知性である。「本当に大切な物は目に見えない」『星の王子さま』を弁えないつけが離婚とあいなる。
 コンビの父鈴木敏文が、「旨いものは、毎日食いたくない、食うと飽きる、たまに食うから旨い。本当に旨いものは、毎日食べても食いあきないものだ」中国人料理人の多い中華街より、日本人オヤジが作る街中華のチャーハンの方が“旨い”ことが断然それを証明してもいる。中華街のチャーハンが東京、大阪であり、街中華のチャーハン、庶民の味、それが栃木、群馬、茨城でもある。情報過多化による<味覚の白痴化>の証明、それがこのランキングでもある。その味がわかる奴が分かればいいのである。私なんぞは、中華街のチャーハンよりも横浜の下町や場末の日本人店主の中華料理の方が断然舌にあっている。
 
 令和の時代、この魅力度ランキングでいうベスト10なるものが、男性の魅力度の必須の条件、いわば、超イケメン、また、超カネモチという基準で短絡的に選別されていると考えられる。その両者が曖昧な都道府県は、魅力度で低い分布となる。特に、首都圏に近い栃木、群馬、茨城は、身近にいながらも、その男性の魅力に気づかない、メディアやドラマ、SNSに影響を受けた高級志向の女性に持てない男性と言えなくもない。職場や近隣で毎日のように接する“気づかない周りのいい人”、それが茨城や栃木、群馬でもある。ベスト10~20圏以下の順位など五十歩百歩で、そんな順位はどうでもいい、昔のAKB48のベスト10、いわゆる<神セブン>とやら以外はあまり違いがないのと同義でもある。
 
 白黒とはっきりとわかるもの、それしか目に入らない、それにしかその個性を感じない現代人は、グレーという色の魅力を認識できていない。それは0と1の二進法的思考のデジタル人間の証でもあろう。少数や分数の妙が分からず、整数にばかり意識が向く、その個性や特徴を判別できない、“長所の色盲”と言わざるをえない。その証が、関東周辺のこの3県に評価の点数を入れない輩でもある。県の発信力不足、宣伝不足もあろうが、それ以前にこうしたアンケート調査に応じる、そして点数をつける人々が、愚劣なのだ、軽薄なのだ、単細胞なのである。
 
 茨城、栃木、群馬から一歩も外へでたことがないマイルドヤンキーにとって、そこそこの家庭サービスもできる都会的要素もあり自然も豊かな地元に対しての愛は強いはずである。とやかく、あれこれ、「<自分の旦那>を格付けするな!」と心で叫んでいるにちがいない。
 沖縄の美しい孤島や北海道の大平原に住んでいる地元愛の強い人は、東京砂漠なんぞには住みたいとも思わないことであろう、また、東京や大阪の都会人は、コンビニやマック、そしてショッピングモールなどがない沖縄や北海道の僻地なんぞには住みたいとも思ってもいないはずだ。こうしたご両人は、たまにその観光地(東京と北海道)に行くから魅力的なのであって、永住するとなれば、話は別でもあろう。そうした観光目線の基準でランキングしているに過ぎない。もし、各県民の住民満足度を点数化したならならば、こうした傾向はばらばらになるはずである。北海道人が白い恋人を、京都人が八つ橋を、宮城県人が萩の月を、あまり食べていないのは、東京人が東京タワーに、横浜人が中華街に、さほど足を運ばない実態同様、他人の芝生は青く見える、その青さの鮮やかさ、それがランキングになっているにすぎない、ささやかな庶民の地味な生活にこそ、人生の渋い魅力があるということを知らぬ輩にアンケート調査を行っているに過ぎない。調査対象が、バカな愚劣なる大衆にすぎない、その愚劣さがこのランキング結果でもある。
 
 以前横綱貴乃花が、「好きな人、好きなタイプ、理想の人は誰ですか、いますか?」と質問を受けて、「好きになった人が理想の人です」と応じていたことが印象深く記憶に残ってもいる。
この魅力度ランキングは、結婚するならどんな芸能人がいい?と聞いているようなものである。男性なら、福山雅治や木村拓哉であり、女性なら、新垣結衣や深田恭子と応じるようなものでもある。傍から見れば、ルックスも富も両面兼ね備えてもいる、しかし、実際に結婚して共同生活をしなければ、その人となりの魅力が分からぬように、外見でのみで、この都道府県の魅力度ランキングをつけているにすぎない。
 千葉県民にとって、身の丈にあった“都会”が錦糸町であり、埼玉県民にとっては、池袋が分を弁えた“歓楽街”でもある。彼らには、渋谷、新宿、六本木なんぞ眼中にないのは、昭和の時代、東京下町(足立・葛飾・江戸川区)の住民が、外食など娯楽で足を運ぶ“華やかな街”が浅草であり、銀座や赤坂などでは毛頭なかったのと同じである{※これは私の経験則とビートたけしの青春時代を考慮してのことである}。こうした昭和庶民の良識を失った、情報過多社会の負の側面の症状であることを、このアンケート調査の結果が物語っていることを指摘するコメンテーターがいないのがまた、地上波の凋落の原因の一つかもしれない。
 こうした都道府県魅力度ランキングなるものが愚劣なのは、都民に23区魅力度ランキングのアンケート調査を行ったり、地方の県が、自身の各市魅力度ランキングを実施していないことからも明白である。「うっせい!うっせい!うっせいわ!」と茨城、栃木、群馬の各県民が内心叫んでいることだろう。
 栃木県の山本一太知事は、根拠不明と激怒し、法的措置も辞さないをおかんむりなご様子である。一方、昨年よりも順位を上げた栃木県福田富一知事はご満悦である。昨年は、この調査会社に出向き、抗議の説明を求めたという、まことに単純な知事である。我が子が、クラスの成績順位が47位から41位に上がったくらいでホクホク顔のバカ親にダブって見えてくる。42位から最下位の47位になった茨城県大井川和彦知事は涼しい顔である。こういう所に知事の良識という、知の、知事の知ではない、その品位が現れるものである。
 
 この都道府県魅力度ランキングもある意味で、世界の大学ランキングなる格付けと似ている面がある。ほとんどのベスト10圏内の大学は、英語で講義をする大学である、いわば、便利さという<都会的要素>を十二分に兼ね備えている、さらに、研究環境の良さといった快適さともいっていい<自然的要件>をしっかり満たしてもいる。オックスブリッジやHYPSなんぞは、都会と自然を両面で兼ね備えている魅力が世界中の優秀な学生を引き付けてもいる。金持ちでルックスもいい大学である。だからといって、私は何も日本の高等教育を英語で行えとか研究施設を充実せよと言っているわけではない。
 
 東大や早稲田など、大学の世界ランキングなるものを気にしてか、どれだけ海外の優秀な学生(留学生)を集めるか、集められるか、その視点に大学経営の軸足を置いているようである。観光都市ではあるまいに!大学の学生集めに汲々とする露骨な態度、9月入学など推進する急先鋒の大学でもある。大衆には見えない、論文の数に危機感を大学当局は憂うるべきではないだろうか。一般大衆は、見えるもの、ランキングばかりに目が行く、人は見た目が9割をもじって、大学はイメージが9割、研究よりも経営優先、それは、各都道府県同様に、日本の大学にもいえることである。
 ついでながら、PISAによる国際学力調査結果に右顧左眄する文科省も、山本一太知事とダブって見えてきてしまう。

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