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数学随想~⑤補遺~

銀行業と数学

 

バブル時代のことです。早稲田や慶應の理工系の学生が、こぞって証券会社や銀行に就職する光景が非常に印象的でありました。理由は至って簡単です。彼らは、日立や東芝といったメーカーに就職するよりも、大手都市銀行や証券会社に就職したほうが、給料が断然よかったからです。でもそうした彼らは、バブルが弾け、北海道拓殖銀行や山一証券が倒産する頃までには、絶滅危惧種ともなっていました。

 そもそも、一流銀行や有名な証券会社に就職する学生は、東大法学部や一橋経済学部など、日本では、受験勝者、また、エリート学生でもありながら、新卒で入社しても、数年間は地元の商店街などを自転車に乗り、営業といった泥臭い業務にこれまで明け暮れていたのが実態です。霞が関のキャリア官僚が、不夜城とも呼ばれる官庁街で、民間企業の倍以上の残業を我慢して行っているメンタルと同じであります。ただ、無機質な面白くもない業務に、銀行員や証券マンは、高収入・生活安定などを優先して、札束を回収し、それを数え、帳簿のチェックなど、商業高校出身の女子事務員の方が上手なルーティン業務に黙々と耐えて、係長、課長へと昇進してきたのです。こうした銀行マン体質は今日、令和の時代、電子マネーやネット決済の時代に突入しても、まるで幕末の徳川政権のように、手立てをこまねいて、大量人員削減(リストラ){※廃藩による浪人}を断行する策しか見いだせないようです。

 1995年から今日に至るまで日本のGDPは横ばいです。失われた10年どころではなく20年以上も経過しようとしています。第二次安倍政権の安倍のミックスは、幻想成長と呼んでおきます。国民自身が、‘成長’の実感がないからです。理由はこれにつきます。

 では、海外、特にアメリカにおけるバンカー(銀行員)はどうでしょうか?

 メガバンクのエリートのほとんどは、MBAなりのタイトルホルダーです。学卒は皆無です。そうした彼らは卒業と同時に、数億から数十億の金融商品の売買から開発までを任せられます。この点が、日本の東大卒や一橋卒のエリートと違うところです。しかも、日本におけるバブルの崩壊(※1990年代後半)から、2009年のリーマンショックまでの10年以上にわたり、意外や意外、アメリカの金融証券系の大企業は、大学の理系、それも理学部数学科のエリートをこぞって採用してきたとのことです。つまり、彼らに絶対に損をしない、難解な数式を編み出させ、デリバティブやヘッジファンドに応用し、大儲けをしていたとのことです。この点が、日本の大手都市銀行の幹部の発想と決定的に違っていた点でした。1997年、拓銀や山一が破綻し、大手の銀行が不良債権に苦しむ中、東大や一橋卒の若手銀行員は、中小企業の貸しはがし業務に日々追われていたのです。

 今でも、日本はMBAが金融・証券業界では軽視され、ましてや、東大や東工大の理系、それも理学部数学科の学生を率先して採用するなどといった発想はこれまで皆無であったことでしょう。日銀の金利の高さという虎の威を借りて、利ザヤで銀行家業はなりたってもきたのです。今日、金利ゼロの時代とキャシュレス、電子マネーの時代、書店同様に銀行支店はもちろん、ATMすら昔の電話ボックスと同じ運命になろうとしてもいます。

 ここでです。バブルの頃の日本の()(ざと)い(業務内容より給料優勢の)理系学生が銀行や証券に就職していた行為は、愚策、先見の明なしの、短史眼的選択でもありました。それに対して、アメリカのメガバンクが、こぞって理系の学生、それも浮世離れした、理学部数学科の秀才から天才を採用していた姿勢は、賢明なる方針でありました。これが、高じて、もう学者やエコノミストでさえ把握しかねる複雑な金融商品を乱発し、これが引き金ともなりリーマンショックを招いたとも言われています。ある意味自業自得でもありました。
 一見文系エリートの憧れ企業でもある銀行や証券といった会社は、文系の、‘優秀なる学生’の巣窟でもあったのです。ちょっと大学入試で受験数学をやって、大学でも少々単位取得のため経済学部や商学部で数学をかじった程度のエリートが、銀行経営を担ってきたのです。ここに、バブル崩壊後、欧米のメガバンクにさらなる格差をつけられてしまった大きな要因があるように思えてならないのです。その日本の金融風土は、電卓の時代に算盤を学んできなさいとか、紙幣カウンターのある時代に、手で札束の数え方を教え込む、こうした時代錯誤経営感覚が、理系軽視・理詰め思考より根性論・奉公気質優先などで、銀行や証券をまるで、氷河期に差し掛かった、恐竜やマンモスのごときにしてきたように思われてならないのです

 日本における、いや、日本の、文系学生がこぞって集まる企業風土における社会通念を覆す本が、近年出されベストセラーにもなりました。それは、『統計学が最強の学問である』(西内啓)です。この本で、文系理系を問わず、数学に基盤を置く統計学の重要性を世の一般のサラリーマンは気づかれたことでしょう。

 銀行業における数学というものの重要性の認識の差が、金融業における近代化の欧米と日本との格段の差に如実に現れてきているのです。

 一台何千万もするATMが、電話ボックス化し、銀行自身には、不要の長物になる一方、コンビの端末や私鉄やJRの券売機がそれに変わろうとしています。

 先日TBSで放映されたドラマ、福山雅治主演の『集団左遷』も、そうした時代の風向きを読んだサラリーマンものとしてヒットしました。

 

 


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