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悪のスパイラルとも言える大学入試改革

 1980年代のニューアカデミズの旗手浅田彰という若手インテリ思想家がいました。今では、放送メディアは勿論、出版メディアにもあまり登場していません。彼が、80年代中ごろ、次のような発言をしていたことが、今でも私の記憶に残っています。
 
 「よく大学入試の改革、改革と巷では、叫んでいますが、それは、超理想、ユートピア的考えで、理想の入試システムなんかありえません。もしも、その理想的入試とやらがあったとします。その生徒の学力、知識や知性、時にIQでもいい、そして、その生徒の性格やら人格、さらに社会性など、全てを判断し、優劣をつけ、そして選別する入試システムなるものがあったとします。もし、その入試システムで落ちた生徒は、その後、全てにおいてダメ人間の烙印を押されたも同然です。その後大学でも、社会でも、敗者復活戦のチャンスが全て摘み取られ、まるで、世界恐慌後の失業者の如く、社会の産業廃棄物的存在となり果ててしまうことでしょう」
 
 私の、思い込みと、少々の付けたしもあるやもしれませんが、このようなことを浅田氏は述べていたと思います。
 
 時代は、恐らく、1979年以前の国公立の一期校と二期校の“差別意識”を排除する目的で、共通一次試験が導入され、国公立大学にそれとは、また次元の違ったピラミッド型の格差、そして偏差値というモンスターを生み出したことへの社会批判、そして、共通一次試験というマークシート形式の問題点など、教育関係者からの指摘などが、当時でさえも受験システムの改善だ!改革だ!と声高に叫ばれ続けた、全く今と同じ風潮へのシニカルな批判として述べられたものだと思います。
 
 ところで、当時の浅田氏の、その生徒の学力から人格、そして体力に至るまですべてを判定する入試システムは、AIの登場により、数十年後、100年後、実現するかもしれません。中国は、現代の“科挙”と称して、AI使用の共産党主導の“AI試験”を行いかねません。事実、ソ連同様、中国の体育教育・スポーツ養成システムはその路線で金メダルを量産してきたのです。
  そういうプレAI社会の夜明け前の段階では、日本でも就活に一次審査にも使われようとしています。AIの精度が格段に上がっていけば、就活の大学生から大学入試の高校生、そして中学入試の小学生に至るまで、その対象が広がっていくやもしれません。その選別で、ダメだしされた、高校生や小学生は、どう自らの進路の海図・青写真を抱けばいいのでしょうか?
 今般の2020年度の新テスト、民間英語試験採用の<読み・書き・話し・聞く>の4拍子そろった試験システムなんぞは、英検について言わせてもらえば、読み100点、書き100点、話し100点、聞く100点といったように、全て均等の配点になっています。
 世の中に、絵を描くのが好き、得意な生徒がいるように、音楽が好き、得意な生徒がいます。これは、能力によるものではなく、資質によるものが大なのです。時に環境もあるでしょう。ある意味、努力や習慣ではどうにもならない暗黒の未知なる領域でもあるのです。現場の、真の英語教師ならわかっているはずです。現場の一般論ですが、内田樹流に言わせてもらうならば、街場の教育論的目線で言えば、女子は、聞く・話す英語、男子は、読み・書くに偏りがちであるという通説が厳然としてあるのです。これは、英語の教え方や指導の仕方によるものであるといった意見もありましょうが、中学から高校にかけての思春期特有の勉学上の性差でもあるのです。進学塾における小6での成績上位者は、女子は国語、男子は算数に分布する傾向のように、厳然とした男女による勉学上の性差色としてあることを、‘それは偏見だ!’というご意見を覚悟の上で申しているまでです。こうした学習上の事例は、暗記が苦手である生徒が、IQの低さによるものか、学習障害によるものか、また学習習慣・環境によるものか、はたまた努力不足によるものか、そうした複合的要因を見抜くことができる有能な教師なら、揺るぎがたい事実として得心するはずです。
 英検やTEAP、さらにGTECなど、様々な民間試験を同列に採用しようとする方針、それも試験会場の多寡や複数受験の機会など、様々な諸問題・弊害が浮かび上がり、賢明なる有識者の批判の的ともなっています。
 試験制度とは、その選別システムの優秀性{※試験問題が優れているか否か}よりも、その公平性こそが担保されていなければならないのです。その点、共通一次からセンター試験に至るまで、日本全国一律に、同時に、同じ問題を、記述問題を採点する主観性が入り込む余地を排除した絶対的客観性に裏打ちされた従来型の、必要悪的マークシート形式でもあるセンター試験というものの方がましなのです。それが、受験生をテクニックに走らせる原因ではないか、上っ面の学習で、高得点がゲットできる弱点ではないのか、そうした誹りを覚悟の上で申しているまでです。それは、民主主義という政治手法が、現在のところ、一番ましな政治システムであるのと同義であります。近年、この民主主義が、ポピュリズムといういびつな代物へと変貌し、イギリスのEU離脱やら、トランプ政権の誕生やらの引き金ともなり、限界を迎えつつある点も、指摘されていることは有名です。この民主主義の手法を、抹殺し、それ以上の政治システムを導入することは、今現在考えられないように、現段階の、センター試験によるマークシート形式を国公立の一次試験にし、二次試験で、記述形式による問題で更に、受験生の精査を行う以外に、現段階で現実的な入試システムはないかと存じますが、如何でありましょう。
 「角を矯めて牛を殺すなかれ」そして、株価売買の心得「まだはもうなり、もうはまだなり」、この二つの俚諺を文科省の連中、いや、安倍政権に投げかけたいと思います。
 なお、今回のコラムと同じ趣旨の私なりの主張が、2018年10月のコラム<大学共通テストのアンケート調査から見えてくるもの>の回をお読みいただくと、さらに同感されるやもしれません。

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