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年金問題と教育問題はパラレルだ!

 ここ最近、ニュース番組やワイドショーで盛んに取り上げられている老後の年金問題です。
 
 新聞などの見出しです。
 
 年金だけでは不足  老後2000万円必要
 
 老後2000万円必要  金融庁が報告書
 
こうしたものです。
実はこの年金といっても、政府の勘案した、その額は、超有名企業で大企業のサラリーマンの厚生年金をもとにした額でありましょう。地方公務員や中小企業のサラリーマンは、3000万円以上だとも言われています。更に、自営業者の加入している国民年金になれば5000万は必要とされてもいます。しかし、この国民年金の場合は、一般サラリーマンの厚生年金を基に作られた制度であって、その額からして、スタート時点では、老後の孫にあげるお小遣い程度のものであったことを考慮すれば、国民年金の場合は、そもそもスタート時点からして、生涯働く、個人商店のおやじの小遣い程度、雀の涙程度で、現在の自営業者は、この2000万なんてもんじゃない灰色の将来すらが待ってもいるのです。
 以上のように、生活と関わる、それもお金と繋がってもいる生活に直結する問題は、世間を大いに騒ぎたて、ハチの巣を突っついたかのように、メディアで毎日のように取り挙げられてもいます。これは、日本の人口が、この先60歳以上が4分の1以上を占める、世界でも前例がない超老人社会を迎える日本では、喫緊の課題でもありましょう。
 では、これとパラレルな関係にある、教育問題に敷衍して、また結び付けて語るメディアは少数派であります。これは、少子高齢化で、子供が少なくなる社会、それも、選挙の票とは結び付かい未成年をターゲットとする教育問題は、メディアはあまり取り上げません。
 50年前、40年前、30年前と、高等教育、即ち、大学の授業料の額の問題です。恐らく、ここ半世紀一番物価が上がってきたものは、家計に占める出費の割合ともいっていい、それは、学校、取り分け大学の授業料です。この急上昇の学費がもとで、大学生の4人に1人は何らかの奨学金をうけている実態を招いてもいるのです。また、半世紀以上も前の時代であれば、サザエさん一家のように、父がサラリーマンで、母は専業主婦、それでも子供二人は大学まで何とか通わせられた時代でもありました。今では、両親共稼ぎ世帯でさえ、子供二人を大学まで卒業させるのはしんどくなってきている時代です。以下の数字を見てください。
 文部科学省の調査データによるものです。年間授業料の比較です。
 
 
 昭和50年  国立:約36000円   私立:約182000円  約5倍
 
 昭和60年  国立:約252000円  私立:約475000円  約1.9倍
 
 平成7年   国立:約447000円  私立:約730000円  約1.6倍
 
 平成16年  国立:約520000円  私立:約820000円  約1.6倍
 
 昭和50年頃の大学卒の初任給は、恐らく7~8万程度であったことを考えれば、今の学卒の初任給が20万だとすれば、今の物価感覚では、年間授業料は、‘国立で10万’、‘私立で40万強’であったと思われます。その当時の東大生は、親と喧嘩して、地方の親元を離れて、東京に出てきた秀才は数か月ほど家庭教師でもすれば、年間の授業料などまかなえた時代でもありました。国立のブランドが、本当の意味で光ってもいた時代です。現代では、国立の授業料でさえ、学卒初任給の2.5倍以上です。私立では、4倍強です。親や奨学金にでも頼らなければ、大学を卒業できない時代なのです。数十年前まで、昭和の末まで普通であった、四畳半で共同便所・共同台所のおんぼろアパートにさえ住めば住居費など心配なかった時代ですが、今では、ワンルームマンションなどが殆どで、居住費がバカになりません。お笑いコンビオードリー春日俊彰の‘春日の家(おんぼろアパート)’などに住む現代っ子は、絶滅危惧種です。
 だいたい共通一次試験開始(1979年)以後数年で、私立の授業料が国立の2倍を切り始めたのです。国立の授業料の急上昇です。
 2004年以降、大学の独立行政法人化により、大学の研究費削減や教授任期制など、学生のみならず、大学の教員にとっても世知辛い時代に突入しました。‘博士のワーキングプア’‘ポスドク’という言葉が、それを象徴してもいます。
 以上のような高等教育に関しての指摘を、年金のように、また年金にからめて批判する新聞やテレビはあまりありません。高等教育も新自由主義(悪しきグローバリズム)という大波にのみ込まれようとしています。
 では、初等中等教育に関してこれから述べてみたいと思います。
 厚生年金が、雑駁に言わせてもらえば、私立の小学校から高校までとも譬えられます。それに対して、国民年金が、公立の小学校から高校までと言っていいかと思います。
 公立の小学校から中学校への進学、これは、黙っていても義務教育なので、進むことができます。しかし、公立の小学校から私立の中学校への受験が伴う進学は、公立小学校の授業や教科書という‘国民年金’では、進学という望み、即ち、‘文化的な生活’が不可能な現実が横たわっています。また、公立の中学校から県立のナンバー校(翠嵐)や準ナンバー校(川和)への進学、これも公立中学の授業や教科書という‘国民年金’だけでは、到底進学‘満足のゆく生活’もおぼつきません。
 国立大学への進学は、公立の高校からは、民間の‘積み立て年金’(=塾や予備校)にでも加入していなければ、希望する東大や一橋、東工大など‘国民年金’だけの授業・教科書では、進学できないとい教育的世知辛い現実が十代の少年少女を待ち構えている実態は、60代後半の後期高齢者が、国民年金はもちろん厚生年金でさえ老後・退職後文化的な最低限度の生活がおぼつかなくなるという金融庁の報告書と同じ関係があるといってもよいかと思います。国民年金、いや、厚生年金という私立の学校に通っている者でさえ、塾・予備校という民間の保険会社{住友生命や日本生命など}の積み立て年金などに加入でもしなければ老後が不安、即ち、受験という進学が不安という人生の初めと終わりがまったくパラレルな構図を描いている実態は、人生30歳から50歳の働き盛りに、我が子の学費と老後の蓄えという不安に板挟みのサラリーマンなどに、もう‘節約’しか防衛手段がない、それにさらに消費税を10%に上げる政府の方針、景気がよくなるわけがありません。我が子への赤子から大学卒業までかかる養育費・学費の2000万、自身の老後の蓄えの2000、いわば、経済的<前門の虎後門の狼>とも言えましょう。住宅ローンの20~30年にわたるローンの返済というストレスとも寝食を共にする日々、小学生の6人に1人が相対的貧困(子供食堂の需要の急上昇)という見えない現実や年収400万以下のサラリーマンが5割にまで上昇しようとしている日本社会の中で、「インバウンドだ、オリンピックだ、虎ノ門ヒルズの開発だ」と騒ぎ立てるのは、盆踊りの縁日に財布をもたない、お小遣いのない子供が、東京音頭が賑やかに流れる神社仏閣の参道で、何も(お好み焼き・綿あめ・金魚すくいなど)買えずに、寂しく指をくわえてただ眺めているだけの光景が、まさしく<教育と年金という光景>とダブって見えてしまうのは私だけでありましょうか?

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